柴田勝頼、長期欠場後2度目のリングインは“魔界4号”として! ストロング・スタイルを標榜した男の転機にストロング・マシン

 柴田勝頼、長期欠場後の最初のリングインは2017年8月のG1クライマックス最終日だった。2度目のリングインは“魔界4号”として。19日、柴田は星野勘太郎の写真を携え、スーパー・ストロング・マシンに花束を贈った。
・ 共闘ことばRPG コトダマン Presents KIZUNA ROAD 2018 ~スーパー・ストロング・マシン引退セレモニー~ 6月19日(火)18:30 東京・後楽園ホール

 まずは、マシン軍団より将軍KYワカマツが登場し、マシンへ花束を贈呈。

 続いて、カルガリーハリケーンズ、長州軍団、ブロンドアウトローズ、レイジングスタッフでマシンと行動を共にしたヒロ斎藤、元UWFインターナショナルの垣原賢人もリングへ上がった。

 さらには、魔界倶楽部の筑前りょう太、村上和成、柴田勝頼も登場。柴田は、魔界倶楽部の総裁である故星野勘太郎さんの写真を携え、マシンへ花束を贈った。

(バックステージ)
──セレモニーには様々な方々が来られました。見送られて、いかがですか?
マシン「いやぁ、うれしいですね。まさかと思う人まで来てくれて。わざわざ時間を割いてね、こうやって花束を届けに来ていただいて。そういう選手たちに感謝の気持ちでいっぱいです。特に柴田選手なんかね、体の状態があまりよくないらしいと……まぁ、日本とアメリカを往復してるような状況の中で、わざわざこの日に合わせて来てくれた。すごくうれしいです」

 かつての魔界倶楽部では、マネージャー的存在として星野勘太郎が“総裁”を名乗る。柴田は魔界4号として加わっていた。

 マシンの姿勢について柴田は振り返りVTRの中で「自分が目立とうというわけではなく、チームを盛り上げているっていうのは感じてましたね」とコメント。

 新日本の方向性と自身の理想のギャップで悩んでいた柴田にとって、魔界倶楽部は居場所となった。
・ 多重ロマンチック今、明かされる 魔界倶楽部のいい話

 柴田 僕の魔界倶楽部入りは本当は事故ですよね? 天山(広吉)さんとボクが乱闘してしまって……。
 上井 ああ、あったね!
 ――天山と乱闘? くわしく教えてください。
 柴田 ちょうど僕が目の怪我で試合を休んでいたころだったんですけど、マスクを被って魔界倶楽部のセコンドについていたんですよ。単に人数を多く見せるためだったから、中身はボクじゃなくても誰でもよかったんですけど。でも、そのときそこで乱闘が起きてしまったんですよ。そうなったらボクもそこに加わるじゃないですか? そうしたら、そこでボクのいい蹴りが天山さんに入っちゃったんですよ?
 上井 そう、すごい蹴りだった!
 柴田 当時は欠場してたんですけど、もうキックボクシングの練習はしてましたから。その試し斬りってのもあったと思うんですよ。ところが、それで天山さんがキレちゃって。
 上井 も~んすごいブチキレ方だった、あれは!
 柴田 だけどボクは正体がバレるとマズいんで、被ってたマスクを取られないようにしなきゃいけないじゃないですか? それで両手でマスク守ってる間に天山さんにボコボコにされたんですよ。 
 ――へえ! 天山さんがブチ切れてる姿が想像できませんね。
 上井 いや、すごいキレっぷりだったよ!(中略)
 柴田 でも、それがきっかけでボクは魔界倶楽部に入ったんですよね。
 ――どういうことですか?
 柴田 星野勘太郎さんが「あれでいいんだ」って言ってくれて。
 上井 思い出した! そうだ! 星野さんが「あれでいいんや、プロレスは」って言ったんよ!
 柴田 ボクは結構凹んでたんですよ。休んでる間なのにあんなことをしてしまって、「これは新日本をクビになるかもしれない」って思ってたんですね。そうしたら星野さんから電話がかかってきて「歯、大丈夫? あれでいいよ」って(笑)。
 上井 あれで星野さんは柴田さんのことを見初めたんですよ。べた褒めしてたもん。
 ――じゃあ、星野総裁に見初められてそのまま魔界倶楽部入りしたと。
 上井 そう。俺は魔界4号と5号で「破悧魔王’Z」をつくりたかったんですよ。だから、ちょうどよかった。
 ――でもこんないい話、あの本には載ってないですよね。
 上井 だって、いま思い出したんだもん!
(東方出版刊「KAMINOGE」Vol.7)

 ギャップが埋めようもなくなったとき、マシンが背中を押した。 
・ 新日本プロレス反骨の系譜 退団前の柴田勝頼に「1回やりたいことをやってみろ」と背中を押したスーパー・ストロング・マシン プロレス・格闘技の情報配信|カクトウログ ブログ

 既報通り、新たな新日本プロレス・ロス道場でヘッドコーチを務めた柴田勝頼。今現在は帰国中だが、その柴田、2005年に新日本を一時退団したのは知られるところだ。総合格闘技出陣を含めての、強さと理想のプロレスを求めての決意。中邑、棚橋の「新・闘魂三銃士」として売り出され、天龍、川田との一騎打ちも増えて来た時期での決断だっただけに、周囲からはもちろん慰留されたという。だが、そんな中、柴田自身がその胸のうちを明かし、自らの希望で相談したある先輩は、話を聞き終わると、こう助言したという。

 それは、本来なら新日本を守るべき、現役では同団体最古参となるベテラン選手(スーパー・ストロング・マシン)の言葉だった。

(中略)

 「出て行ってもいいんじゃないか?お前が良くなれば、新日本がお前を呼び戻す時が、必ず来る!」

 振り返りVTRに柴田が出てくるならば、この点にも触れてほしかったというのが消化不良ではある。魔界倶楽部での話はインタビューアーがうまく引き出せなかったのかも。「今の自分があるのは魔界倶楽部が影響している」とのテロップが入ったが、「いい時代ではなかったが、今の自分があるのはそこが大きく影響」との柴田ボイス。つながりが少し曖昧ではあった。

 ただ、マシン引退が話題となり、大会前にこのトピックスに改めてスポットが当たっていた。同じ時代に同時期を過ごした前田日明だけじゃなく柴田の来場もあるかも。前田と柴田が再会!? そう妄想していたのだが、前田の姿がなく柴田は登場。柴田たりとてロサンゼルス道場のキャンプがオフのこのタイミングしかなかっただろうから、これも巡り合わせ。

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 答え合わせをする必要は必ずしもないが、魔界倶楽部から柴田が学んだものは“チームとしてのプロレス”だけではなかっただろう。突貫小僧精神とでも言うべき「あれでいいんや、プロレスは」との教え。ナチュラルな感情に乗っかった攻撃だったり、プロレスは闘いだという前提は覆す必要がないんである。

 ストロング・スタイルを標榜した男の転機には、ストロング・マシンそして志を同じくするユニットがあった。新日本プロレスの系譜が実景となった場面には感動しかなかった。プロレスとは見れば見るだけ積み重なっていくジャンルなのだ。

 

 

※7/1追記 記念試合とセレモニーおさらい写真35枚!

 昨夜(6/30深夜)にセレモニーが関東地区『ワールドプロレスリング』で放映された。ブログでも改めて振り返っておきます。

<第6試合 スーパー・ストロング・マシン引退記念試合>
〇S・S・マシン・No.69
S・S・マシン・ドン
S・S・マシン・ジャスティス
S・S・マシン・バッファロー
S・S・マシン・エース
WITH スーパー・ストロング・マシン
(15分33秒  魔神風車固め)
高橋 ヒロム
●BUSHI
SANADA
EVIL
内藤 哲也

ハロルド・ジョージ・メイ社長が公約通りファンとの2ショットに応じていた。列が絶えない、みんな新社長に期待!

マシン本人&若松登場で新マシン軍団にパワーが注入される。L.I.Jとの異次元対決!

マシンは体調もあってか、椅子に座っての参謀役。

トレイン攻撃を指示するNo.69の腕回し。田口のそれと違って機会風にカクカクした動きだった(笑)。

正体不明の新マシン軍団危うし!? L.I.Jが一斉にマスク剥ぎに出る。隠す気ないだろ! No.69はモザイク風に手をヒラヒラ。

マシン軍団全員が力を合わせての全員ブレーンバスター。

狙い打ちされるNo.69がピンチ。

No.69をアシストだ! バッファローがダイビングヘッド。

ドンがアルゼンチン。

場外でマシンにホイップされた内藤哲也に、、、

、、、マシンの“最後のラリアット”が炸裂!

BUSHIにNo.69がセントーン。これもマシンの得意技だった。

巨体のドンがセントーンで続く。

No.69がBUSHIを魔神風車固めで仕留めた。マシンの必殺技が復活。

新マシン軍団、最初で最後の勝ち名乗り!

勝利の記念撮影。

マシンとワカマツが握手して、、、

、、、抱擁!

セコンドのマシンの手が挙げられる。

マシンの半生振り返りVTR上映の後に改めてマシン登場。

再びマシン軍団の悪徳マネージャーを務めた将軍KYワカマツ。

ヒロ斎藤!

垣原賢人! 毎回、マシンの方が相手の手を挙げているところ、実にマシンらしい。

星野総裁も“写真”で参加しての筑前りょう太、村上和成、柴田勝頼との魔界倶楽部!

最後の所属ユニットとなった青義軍!

本隊全員と。

マシンから感謝のお辞儀。

セレモニーではここまでの足どりと感謝が語られる。公式サイトより。

マシン「(※『マシン』コール)1978年、昭和53年、ある青年が、新日本プロレスに入門しました。5月の13日のことです。あれからちょうど40年、私のプロレス人生も40年。その青年は、数年後に海外武者修行へ出かけ、約2年間、その後、行方をくらましました(※場内笑&大拍手)。そして、ある年の後楽園大会に、謎のマスクマンが出現しました。私です(※場内笑&大拍手)。約34年前の話です。当時としては、かなり奇抜なデザインのマスクとコスチューム。いまじゃあ、なんのことはないんですけど(※場内笑)。あるマスコミからもよく批判されました。『マンガチックだ』『くだらない』とか。でも、リング上ではストロングスタイルを貫き通しました(※大拍手)。それが、私が40年間プロレスを続けられた一番の宝物です(※大拍手)。

本来ならば、『生涯現役で』と思ってましたけども、さすがに、古傷があちらこちら出てきまして、リングで受け身を取れるような状態ではなくなってしまいました。まあ、会社のすすめもあり、数ヶ月悩みましたが、この引退式を決断いたしました。なぜ、引退することを決断したのか? それはやはりケジメです。いままで応援して下さったファンの方々、私のことを一生懸命ヘルプしてくれた新日本プロレスの全選手たち、そして新日本プロレスのスタッフ一同様、そしていままでずーっとずーっと新日本プロレスを応援し続け、これからも永遠に応援していただけると思われるファンの皆様に、キッチリとここで最後のご挨拶をしたいと思い、決断いたしました(※大拍手)。

私もいろんなユニットに参加し、まあ、数えたらキリがありませんね。こんなに多くのユニットに参加したレスラーというのは、私ぐらいじゃないでしょうかね!? マシン軍団から始まり、カルガリーハリケーンズ、ブロンドアウトローズ、レイジングスタッフ、もう思い出せないぐらいいっぱいあります(※場内笑)。でも、全部の軍団が、私のプロレスのやりがいを起こさせてくれるような楽しいユニットでした(※大拍手)。私のプロレス人生に、まったく悔いはありません。『やりきった!』という感じです。

次は第二の人生を考えなくてはいけないんですけど、まずは自分のコンディションを整え、それからゆっくりと考えて行きたいと思います。まあ、小学校5年生ぐらいからずーっとプロレスのことばかり考えて、約50年近くなりますけど、プロレス以外のことは何も考えられないので、ちょっと時間がかかるかもしれませんけど、第二の人生の目標を早く見つけたいと思っております。本当にいままで私を応援して下さったファンの皆様に、心から深くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました(※大拍手&『マシン』コール)」

引退のテンカウントゴング。

選手たちも神妙な面持ちでリングサイドで参加。

リングアナからラスト選手コール!

テーマ曲がかかって引き揚げると思いきや、言い残したことがあると切り出すマシン。「まさか、ついに正体を告白!?」などとザワつく観客たちをなだめるマシン。公式サイトより。


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マシン「スイマセン。途中で止めてしまって。もうひとつ。これはマスコミの方々にも、ファンの皆様にも、伝えていないことがありました。(※場内ざわめき)笑わないで下さい。もう1人、大事な人に、深い感謝の言葉を、この場をお借りして捧げたいと思っております。本年、1月25日、午前7時12分、28年間連れ添った我が妻マサミが、がんのために天国へ旅立ちました。この場をお借りして、天国の妻へ感謝の言葉を、声を大にして捧げ、私の挨拶を締めさせていただきたいと思います。」

手に持っていたマイクを足元に置き、、、

天を仰ぎつつ、地声で「マサミーー!! ありがとーー!!」。

 

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