前田と再会で舌好調 新間寿「印象に残るオンドーフ戦」【週刊 前田日明】
前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」連載第212回をエントリーします。
※不定期連載となっています。
7日、巣鴨・闘道館主催の「新間寿スペシャル対談シリーズ『前田日明×”闘魂”』新間寿、前田日明、清野茂樹 スペシャルトーク&DREAM3ショット撮影会」が行われた。ごく一部となるがカクトウログ名物のメモ書きからトークを振り返る。
前田を初めて見たときの猪木「身体がルー・テーズの若いころにそっくりだ」
コロナ禍で延期になっていたイベントが無事に開催となった。前田日明と新間寿氏(かつての新日本プロレスでの「過激な仕掛け人」)が再会だ。
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11月7日(日)14:00巣鴨・闘道館 新間寿スペシャル対談シリーズ『前田日明×”闘魂”』新間寿、前田日明、清野茂樹 スペシャルトーク&DREAM3ショット撮影会
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— カクトウログ📶プロレス/格闘技 (@kakutolog) November 7, 2021
清野アナは昨夜に大阪府立実況⇒今日は前田トーク進行役で、実に時代を問わない“新日本”の送り手を務める。#前田日明 #新間寿 #清野茂樹 #闘道館 pic.twitter.com/nE3OPRoMlk
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IWGPシリーズはじめアントニオ猪木の一時代を彩った闘魂ガウン本物が飾られる。#前田日明 #新間寿 #清野茂樹 #闘道館 #新日本プロレス #njpw pic.twitter.com/2dt7pBlJ9X
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アキラ兄さん!
新間さん!高校卒業後にロイヤルホテルで新間さんと会う際のエピソードへ。パーマ頭を2日でオジャンにしてスポーツ刈りに。当時は73キロ、189センチ。アメリカ暮らしに憧れながら空手をやっていた。#前田日明 #新間寿 #清野茂樹 #闘道館 #新日本プロレス #njpw pic.twitter.com/eJB9cBMg9g
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ホテルで前田はステーキを3枚ペロリ。しかし新間さんのプロレス勧誘には首を縦に振らず。
前田「ボクシングや空手なら興味ある」
新間「ヒョロヒョロしてちゃダメ。東京の新日本の道場でカラダをつくってモハメド・アリのジムへ行け」#前田日明 #新間寿 #清野茂樹 #闘道館 #新日本プロレス #njpw pic.twitter.com/kJCzFZt6ac
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2人が出会った1977年7月のエピソードからトークはスタート。いつもの話も連発だが…その行間に「秘話」も飛び出す。
ロイヤルホテルで新間氏にステーキをごちそうされ“翌日に東京でアントニオ猪木と会う”運びに乗せられた前田。猪木の自宅での査定を通過して、新日本プロレス入門へと進む。
新間 あとで聞くと、猪木は「コイツは絶対にいい。身体がルー・テーズの若いころにそっくりだ」って言ってくれてね。
前田 猪木さんから(大きな期待をかけられる)特別扱い? ぜんぜんそんなのはわからなかったですね。18歳じゃわかんなかった。もう世界がガラッと変わりました。飛行機にも初めて乗ったし。
新間 IWGP(1983年、第1回リーグ戦)をやるときには、どうしても前田を(出場者に)入れたかった。ヨーロッパ(武者修行)に行って肩幅も2倍くらいになってたし。
前田 猪木さんも血糖値が2倍になっている、体調の問題との話で、助けるということで「しばらく戻ってくれないか」という打診がありました。海外は3年の予定だったのに1年経ったかどうか。何も変わっていないので、日本に帰りたくなかったですね。でも猪木さんの状態のことがあったんでしょうがない。
新間 (前田を指導している)カール・ゴッチに聞いたら「前田は大丈夫だ。いつでも前田は(第一線としても)使える」と。前田からも「私はレインボースープレックスができます」と。それは何だと聞いたら「7色でしょ。7種類のスープレックスができます。レインボー前田で売ってください」。ゴッチは横でニコニコと聞いてたね。
UWFという名称になったのはなぜ!? ビンス・マクマホン「それはいい」
前田と新間氏はお互いにかけがえのない存在であることをトークの随所で明かした。
新間 私にとっての新日本プロレスの思い出をさわやかなものにしてくれたのは、前田と佐山(聡)のおかげ。2人をスカウトしたのは私の誇りです。ただ…俺はポール・オンドーフを1年間使えると思って呼んだのに、たった1試合(前田に一方的に料理され、帰国)かと。
前田 オンドーフ戦は、新間さん(15分やってくれ)とゴッチさん(1分で秒殺しろ)の板挟みになって(笑)。
清野 間をとって3分だったわけですね。
<1983年4月21日 蔵前国技館>
〇前田(3分36秒 ダブルアーム・スープレックス・ホールド)ポール・オンドーフ●
前田 (自分の格闘技人生としても)新間さんに会ってなかったらと思うとゾッとする。揉めたことも全くないですね。
新間氏が1984年に立ち上げ、前田が参加した第1次UWF。UWFという名称になったのはなぜ!?
新間 「ユニバーサルプロレス」で最初にいこうと思ったら、ビンス・マクマホンから選手を派遣してもらえるんだから「フェデレーション」を入れて、向こうはWWFだけど、うちはUWFにして、ビンスに承認をもらおうという話になった。ビンスに言ったら「それはいい」と。5月に新日本とWWFの契約が切れるからビンスは「新間、5月まで我慢しろ。5月になったらアンドレでも誰でも新間と契約するから。全部ユニバーサルに送ってやるから」と。そういう契約だったわけ。
ところが第1次UWF社長・浦田昇氏との間に対立が起きる。新間氏は“浦田氏が率いることに選手全員が賛同している”ことを浦田氏に告げられ、「それは前田も賛同しているのか」と聞く。浦田氏は「そうだ」と答えたが、前田の意志はそうではなかったこともこの日の前田からは断言があった。ツールが十分ではなく、コミュニケーションがとりづらい時代でもあった。
新間氏は当時、正そうということはせず「何よりバラバラになってしまうことがあってはよくない。そちらで1本になることが望ましい」と手を引いたのだという。
アントニオ猪木暗殺未遂事件!? 首謀者に怒った新間氏を寸前のところで止めた猪木
過激な仕掛け人時代、アントニオ猪木暗殺未遂事件とは!?
ある日に猪木に呼び出されて、新間氏が足を運ぶ。普段は会見場となる場所で足を投げ出した猪木は「アメリカで俺を殺そうと計画しているらしいな」。新間氏は「俺の生きがいを殺してどうするんですか!!」と激高。「私が通訳も通さずに海外に依頼するんですか。翻訳が何か証言しているんですか」。いろいろ話すと、猪木もおかしさに気づく。
この流れで事務所の隣の部屋にいた(この話を猪木に吹き込んだ)首謀者に、新間氏はガラスの灰皿を振りかざそうとした。猪木が寸前のところで止める。エピソード紹介に込められる新間氏の「熱い思い」が止まらない。猪木による『道』引用も新間氏が考え、『男のロマン』も新間氏が発案。新間氏は猪木と一蓮托生だった。
プレゼント争奪じゃんけんコーナーでは様々な秘蔵品も。
そんな新日本プロレスが2022年に50周年を迎える。参加者から“50周年に猪木と新間氏が団結”シーンを要望されたが、新間氏が仕切りで進めようとしている独自プラン(記事としては伏せます)がトークで明かされた。
前田には高田延彦との和解についての質問が参加者から出る。
前田 30年前に親しかった後輩と、第三者に「和解したらどうですか」と言われても…というレベルなんですよ。どっかで会ったら「元気でやってるか?」とは言いますけど。
新間氏には、猪木・前田それぞれのベストバウトが質問された。
新間 (他媒体でも言っているように)ストロング小林戦。アントニオ猪木の光らせる力も凄い。前田の試合で印象に残るのは何と言ってもポール・オンドーフ戦(観客笑い)。
すっかり「ポール・オンドーフをたった1試合で使えなくした」前田をネタにした新間氏は舌好調だった。
前田 これまで(新日本以外で)団体運営、団体経営をやってつくづく思うのは、(かつての新日本のように)事務所に新間寿がいて道場に山本小鉄がいたら俺はいつでもアントニオ猪木になれたなと思いますね。2人がずっと新日本プロレスに残ってリングと会社運営、新間さんは会社運営だけじゃなくって格闘技戦をはじめいろんなアイディア、アイディアの塊ですよね。高校生のときに、アントニオ猪木vs.モハメド・アリが決まったというのでビックリしましたもんね。入門のキッカケになった「裏方のトップの新間寿さんに会いに行かないか」って言われたときに、ぜんぜん当時のプロレスに興味はなかったんですけど「新間さんに会いたいなぁ」と思って。そういうことを実現する人ってどんな人なんだろうと思って。そう思って会いに行きました。新間さんは今に続くプロレス界の宝です。これからも元気で健やかにやっていただきたいです。
新間 ありがとう。
最後に新間氏の挨拶となる。
新間 女性の方、何人?(4人から手を挙げる) ちょっと来てくれる?(と言ってプレゼント贈呈) 今日は本当に前田と会って楽しかったですよ。前田チャンとは久しぶりで。ウチの孫が小学校三年、タイガーマスクマスコットガールとしてやってます。孫がいないと生きていけない、そういう歳になっております。現在86歳ッ!! 88の米寿まで生き、90になって卒寿、寿という字は新間寿の寿です。この寿が終わるまで私は生きます!! いまいちど、もういちど、三度目の新しい人生をプロレスファンの人たちと(記事では伏せたが、この日の観客に披露したプランとともに)今年の終わりか来年、一緒にやっていきましょう。本当にありがとうございました!!
2人の初めての出会いは「ボクサーになるための道だと新間氏が前田を言いくるめる」というニュアンスで語り継がれてきたが、また違う引き出しで確認できる事実もある。2人の関係性は最高だし、新間氏が健在であることに改めて嬉しくなった。こういうドキュメントを伝えたいというのがボクのサイトをやっている動機のひとつでもあるが、空気感まではレポートしきれない。もしも一端が伝わればいいなぁと思いつつ筆を置きます。