アントニオ猪木「因縁があって暴動に」国技館降臨 24時間テレビ全発言
28日、事前に予告されていた『24時間テレビ』へのアントニオ猪木の参加が無事に行われ、両国来国技館登場が日本テレビで生中継された。
黄色いTシャツに赤マフラー、車椅子で「元気ですかーッ!!」
登場を果たしたのは28日の14時台。
両国国技館にテーマ曲『炎のファイター』が流れると、猪木が車椅子で押されてステージに入ってくる。徳光和夫アナウンサーが「まさに格闘王」と称え、興奮のあまりか「武道館に登場」と言い間違えた。
『燃える闘魂❗️#アントニオ猪木 が
なぜ闘病生活を見せるのか』⋰
(期待を)
背負っている
以上は頑張る
⋱
猪木が
📍#両国・国技館 に登場🎉難病
心アミロイドーシスと闘う
彼の思いを語った💭#寝るなジャにの
『#24時間テレビ』🌏
📡ただいま放送中
公式か@24hourTVhttps://t.co/Th6OBfva8F— 日テレ (@nittele_ntv) August 28, 2022
黄色いTシャツに赤マフラーの猪木。ひとことめの間合いが合わなかったことで、徳光さんが「猪木さん、もう一度最初からいきましょう」と呼吸を整える。
猪木「元気ですかーッ!! 元気があれば何でもできる」。
体調を聞かれた猪木。
猪木「ええ、見た通りで、その日、その瞬間、もう必死に頑張ってます。
本当はもう起きる状態じゃないんですが、こうやってみなさんとお会いすることで、私も元気をもらえます。ありがとうございます」。
徳光「イラクへも一緒に行きましたね」。
猪木「そうですね、いろんなとこ行った。(今日は)よろしくお願いします」。
VTRで明かされた「なぜ弱々しい部分を発信し続けるのか」
番組はVTRへ。映像とともに猪木の経歴。プロレス界の牽引、新日本プロレス旗揚げ、異種格闘技戦、プロレスラー初の国会議員当選、北朝鮮でのプロレス大会開催など。2018年、心アミロイドーシスになり闘病が始まる。
インタビュー映像。なぜ弱々しい部分を発信し続けるのか。
猪木「(発信すると)カッコ悪い部分も見られる。それもあるがままだから、それでいいよと。
かつてのファンががっかりするかも(と思ったけれど)実際は意外や意外や逆の反応で。
手紙の中に『カッコいい! カッコいい!』この状態で何がカッコいいんだよ? でもファンの人たちは本当にありがたい。背負っている以上は頑張る」。
いま大事にしていることとは?
猪木「そのときそのときのやりたいと思うことを逃げずにやる」。
果たしたい目標は?
猪木「両国国技館のみなさんに会えるのが楽しみです。
いくぞ! 1・2・3・ダー!」。
左腕での「ダーッ!!」は猪木のアドリブだったのか?
カメラが両国に戻る。
猪木「(両国は)いや本当にあの、なつかしいというか、もう、まったく最近はこのあたりに来てなかったので、表からみたらわからない、国技館が。
でも因縁があって、国技館が最後の両国じゃなくて、蔵前のときにね。
あのときにやっぱり暴動になって、私が闘いに出て見事に、簡単に負けたことがあります」。
補足すると、“国技館”での暴動は過去に2度ある。
1984年6月14日 蔵前国技館。
「第2回IWGP優勝戦」ハルク・ホーガンvs.アントニオ猪木での不透明結着(長州力が乱入)。これに観客が怒って、物が投げ込まれるなどした。
1987年12月27日 両国国技館。
たけしプロレス軍団からの刺客ビッグバン・ベイダーが初来日。猪木が3分弱で敗れてしまう。
猪木の発言意図としては、蔵前のときに暴動の因縁のあった国技館で、両国になっても簡単に負けてしまった際に暴動になった、ということだと思われる。
猪木「いつも俺は元気を送ったつもりですけど、今日はみなさんから元気をもらっています。(また元気をください)ありがとうございます」。
道の朗読をリクエストされた。
猪木「道
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ行けばわかるさ
元気でいくぞー! 1・2・3・ダー!!」。
このときに猪木が左腕を上げていたことにアレッと思ったが、次にカメラが切り替わったときには右手を上げて拍手に応えていた。ずっとマイクを向けてくれていた徳光アナウンサーが猪木の右手にいたため、ぶつかることもなく、カメラにもしっかり映るようにという猪木のアドリブだったのだろう。なんという気遣いだろうか。
こうしてVTRでの5分を含む10分間の猪木登場は幕を閉じた。