47年越しの因縁氷解!? ラリアット被弾常連の前田がハンセンと対談【週刊 前田日明】
前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」連載第217回をエントリーします。
※不定期連載となっています。
13日、紀尾井町サロンホールにて『プロレス空前絶後~偶然か?必然か? “格闘王”と“不沈艦”、年輪を重ね、今ここに遭遇!!~』と題されたトークバトルが開催となる。前田日明、スタン・ハンセンが登壇した。
前田「大暴れするたびに、自分がリングに上がってくるのを(ハンセンが)リングで待ってるんですよ(笑)」
前田は1978年8月25日に新日本プロレス長岡市厚生会館大会の山本小鉄戦でデビュー、1982年2月に海外修行に旅立つ。ハンセンは1977年1月に新日本プロレスに初参戦、1981年12月11日まで新日本に上がっている。わずかな数年間ではあったが、2人は新日本での時間をともに過ごした。
前田 いろいろ思い出す。大きくて、本当にずっと休まず動けて、迫力があって。本当に「ブレーキが壊れたダンプカー」でした。
ハンセン きょうの会はすごく光栄です。私が前田選手の存在を初めて気になったのは、ブラック・ジャック・マリガンという選手がいたんですけども、彼が私に「あいつね。若いくせにすごく強い」と。それによって私は前田さんを気になるようになった。
前田 (前田が細身だったため)マリガン選手には会うたび「グラスホッパー(バッタ)」って呼ばれてましたね。
ハンセン グラスホッパーという主人公が出てくるカンフームービーがあった。
前田 回想シーンに出てくる師匠が少年をグラスホッパーって呼んでて。(1972~1975米テレビドラマ『燃えよ! カンフー』の影響によりあだ名「Little Grasshopper」が流行語になったとされる)
ラリアット被弾常連だった前田ヤングライオン時代の話に。
前田 試合では絡んだことはないです。(ハンセンが)新日本への初登場のときに最後に大暴れして、若手が止めに行く場面があった。自分は2番手、3番手くらいにリングに上がったんだけど、他の選手がなかなか行かないんですよ(笑)。「しょうがないなぁ」とパッと俺が行って、ラリアットを食らった。それから大暴れするたびに、自分がリングに上がってくるのを(ハンセンが)リングで待ってるんですよ(会場爆笑)。
ハンセン その通り。リングの中でラリアットをかましてた、ヤングボーイたちに。ただそういうレスラーたちが成長していく姿。それはひじょうに楽しみではありました。
司会 前田さんがけっこうやられてた印象がある。
ハンセン やったかなぁ?(笑) とにかくラリアットを受けた選手たちはみんな勇敢でしたよ(笑)。
司会 行かないといけないわけですよね、やられるってわかってて。
前田 そうだね。だいたい俺、1番目ですね(笑)。当時は迫力があったので他の選手は気迫に押されるんですよね。
ハンセン 前田さんはたくさん食らったんですけど、それは敵にはなっていない段階。敵になればいいなと思っていたが、そうならなかった。ただ思った以上にビッグな存在になったんで、そういう選手と当時会えていたというのは光栄なこと。
伝説のハンセンvs.アンドレ。前田「リングが壊れるんじゃないかと」ハンセン「彼はひじょうにスマート」
司会 ハンセンさんの名勝負といえば、田園コロシアムでのアンドレ(・ザ・ジャイアント)戦。
前田 自分はまだ新人で、リングが壊れるんじゃないかと真剣に思いました。リングがドゥーンと(しなるように)なって。
ハンセン 彼が猪木以外の対戦相手を探していたところで自分を指名してくれた。彼はひじょうにスマートで、観客のリアクションというものを大事にしていた。そういう中で対戦相手として自分を選んでくれた。
司会 230キロ?
前田 あのころ島根の厳島に空路で移動する話になり、重量配分をすることになった。そのとき263キロでしたね。
ハンセン「特に自分が理解できなかったのが『ブレーキが壊れたダンプカー』自分はそんなに悪いものなのか(笑)」
司会 「不沈艦」や「ブレーキが壊れたダンプカー」っていう呼び名はご存知でしたか。
ハンセン 誰がつけたかは当時わかんなかったんですけども、何年も経ってからわかるようになった。特に自分が理解できなかったのが、「ブレーキが壊れたダンプカー」(観客笑い)。自分はそんなに悪いものなのかなと。昔は「した」かもしれないが、そこまでなのかと(笑)。「不沈艦」はベストなニックネーム、自分にとってはいいイメージ。
司会 2人が対戦したとすれば?
前田 彼が相手に決まったら眠れない日々がつづくでしょうね。
ハンセン 前田さんが成長する姿は昔から見ているけれども、そういった意味では世代は近いかもしれないけど、やっぱり時代が違うんですよね。ちょっと想像するのは難しい。
会場には多くの椅子が並べられ、立ち見までが出る盛況。参加者のほとんどが3ショット権(別売色紙)までを申し込み、貴重なショットを心待ちにした。前田の参加するトークイベントというと、現役時代の過去の因縁に話題が遡ることも多い。だけれども、ハンセンとは対戦もなければ因縁もない。むしろ当時の気持ちを思い出し、終始笑顔だったことが印象的だ。
ヤングライオン時代にラリアットを前田がラリアットを食らい始めた47年前。そんなわだかまりもまったくなかった。前田は懐かしく振り返り、ハンセンは当時接点があった前田が有名になったことを喜んだ。控室段階から意気投合で話に花を咲かせたようだ。
記事化はほんの一部分だが、2人の再会もプレミアムなら、観客は3ショット含めてプレミアムな時間を過ごしたのだった。