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アントニオ猪木

アントニオ猪木死去をスポーツ新聞が一面で伝える お別れの会は後日

アントニオ猪木

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 日本を代表するプロレスラーであるアントニオ猪木が1日午前7時40分、心不全で亡くなった。79歳だった。続報をまとめる。
近年の猪木ショットはこちらで

前夜に対面した実弟の猪木啓介さん「苦しまずに逝った」

 アントニオ猪木死去をスポーツ新聞が一面で伝える。日刊とスポニチはここ一番の“一面から裏一面へのぶち抜き”だ。

・ 実弟の猪木啓介さん(74)は、「自分もなんと答えればいいのかわからないような。びっくりしているところです」と神妙な面持ちで話した。最後に対面したのは前夜で、「部屋に来い」と誘われたという。「何か話をするのかなと思ったんですが、口は動いていたんですけど、何を言っているのかはわからなかったです」。2人きりで40分ほど過ごしたという。

 翌朝に猪木さんが息を引き取った。「苦しんで死んだわけじゃないですから。昨日からそのままずっと朝まで寝ていましたので。苦しまずに逝ったかなと思います」と話した。

・ 猪木さんが顧問を務めるIGF(猪木元気工場)は故人の遺志で、通夜と葬儀は家族葬で行うと発表した。IGFは「関係者の皆さまと相談の上、『お別れの会』は後日、執り行う予定でございます」とした。
(【猪木さん死去】実弟の啓介さん「素晴らしい兄貴」前夜部屋で2人きり40分「苦しまずに逝った」(日刊スポーツ))

亡くなる10日前のメッセージ動画が公開される

アントニオ猪木「最期の言葉」 – YouTube

 

団体・レスラー・関係者からの追悼

新日本プロレス

全日本プロレス

プロレスリング・ノア

スターダム(テンカウント追悼)

藤波辰爾


「突然の訃報に接し、悲しみに打ちひしがれています。
日本、そして世界のプロレス界にとって猪木さんの与えた影響は計り知れません。
猪木さんの残した功績、そして人生に、心から敬意を表します。
未だ、気持ちの整理がついておりません。
猪木さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます」

「猪木さんに、バカヤローって怒られそうな気がして…。最後まで我慢しましたけど、つい、自分の本音という部分が出てしまいました。今朝いろんなところからニュースが入ってきて、最初は疑ったけど、だんだんと回数が多くなってきたから、頭の中が真っ白になって、何も手につかなくなって。今でも動揺してて、どこからどう話せばいいのか…。まだ自分がリングに上がってていいのかとか、そういう思いが出てしまいました。

(思い出は)一言で語れないくらい多すぎるし、長すぎるし、早く死んでしまった自分の親よりも長く一緒にいたので。自分は本当に幸せです。僕の気持ちの中ではプロレスのすべてが猪木さんであり、僕の人生そのもの。闘いだけじゃなく、世間一般の常識とかいろんなものすべてです。これリングシューズを脱いで、本当の猪木さんとしてゆっくり休めるときが来たのかな」
(愛弟子・藤波が急死した猪木さんへ涙のコメント「プロレスのすべてで、僕の人生そのもの」【週刊プロレス】(BBM Sports))

長州力

ハルク・ホーガン
「レスリングキャリアの半分をニュージャパンで過ごしたように思える バスに乗って旅をし、生活をした。イノキは本当にイチバンだった 安らかにお眠りください マイ・ブラザー 愛している」
(“舌出し事件”の相手ハルク・ホーガンがアントニオ猪木さんを追悼「イノキは本当に“イチバン”だった」(スポーツ報知))

武藤敬司

髙田延彦

馳浩
「とにかく人生最高の思い出しかない。心からご冥福(めいふく)をお祈り申し上げる。参院選で猪木さんの秘書を務めたり、一緒に平壌でプロレスの試合をしたり、一緒にバグダッドで人質解放のためにプロレスをしたり。東京五輪の招致に成功した一因も、猪木さんからいただいた北朝鮮のIOC(国際オリンピック委員会)委員とのご縁だ」
(馳知事「人生最高の思い出しかない」…猪木さん追悼、平壌・バグダッドでも一緒に試合(読売新聞オンライン))

桑田佳祐
「土曜の夜の『燃える闘魂』、桑田“猪木さんがいたから元気になれた”佳祐でございます。
今朝、驚きました。アントニオ猪木さん、ご逝去なさいました。79歳でね。長い間、生きざまだけじゃなくて、お亡くなりになる手前、死にざままで、すばらしいメッセージをたくさんいただきまして、私にとって永遠のスーパースターでございます。ご冥福をお祈り致します。

こよいの三日月がですよ、あの人のお顔に見えてしまいました。アントニオ猪木さんが長い闘病の末にお亡くなりました。残念です。サザンオールスターズも大変あの方には、お世話になりまして、せんえつながら、猪木さんに関しては、私は親兄弟失ったような…せんえつながら、ずうずうしいですけど、親兄弟失ったような感覚でございまして。私の青春もこれで終わったような気が致します。猪木さん長い間、ありがとうございました。

もう私も66歳ですけど、猪木さん79歳。多くの私の世代の方々と同じく、ビートルズと、例えばクリント・イーストウッド、そしてアントニオ猪木に憧れて生きてまいりました。本当にまだね、心が整理できないんですけど、気持ちが。こんな日がくるなんてね。

なんか、猪木さんがいない世の中なんて、やっぱりちょっと信じられないな、って思うんですけど。猪木さんというのは強い。強いんだけど、弱いところとか、みっともないところがある。スキャンダラスなところもありながら、そういう猪木さんの人間的な器の大きさとか、色気とか、私大好きでした。今回は最後の最後まで、自分の衰えた姿を見せていただいた。いつもながらすばらしい、闘魂メッセージをいただきました。

今でも昭和のプロレス男子やっているんです。猪木イズム、闘魂イズム。やってみなきゃ人生わからないよ、っていうね。モハメド・アリ、リングにあげてね。だから、変態なんだよね。変態なの。それが好きなんだよね。発想がスタンダードじゃないんだよね。

猪木さん、月並みですけど、長い間、たくさんの夢、ありがとうございました。どうか安らかにお眠りいただきたいと思います。初めてお会いしたのは(TBS系歌番組)『ザ・ベストテン』で、82年に猪木さんが現れた時のあの感動。『猪木さん、コブラツイストかけてください』って私、バカだから。あの腕っぷしの、万力のような強さ、私いまだに忘れられません。猪木さんありがとう。ダー!」
(桑田佳祐「炎のファイター」をバックに猪木さんへの思い語る「私にとって永遠のスーパースター」(日刊スポーツ))

フリーアナウンサー・古舘伊知郎

「ぜんぜん驚かなかった。いよいよだなと思った。(9月27日にお見舞いで対面)しゃべるのがつらそうでした。ダイニングに車いすに乗って出てきたんですが『ベッドで寝た方がいい』と、ベッドの横に椅子を持って行って足をさすったり、もんだりした。寝てたんだけど、パッと目を開けて『明日、仕事早くないのか』と。猪木さんはファンや、自分を好きな人に最大限に気を使う人で口癖が『明日、仕事早いのか』だった。それが最後の言葉だった。

宿命的に何かと戦い続けてきた。最後は『病魔』と闘った。最後まで痩せ衰えた姿を全部さらして見せ続けたのは、猪木寛至を超えたアントニオ猪木の宿命だった。本当にいい顔をしていました。苦しみから解放されていた。元気な時の猪木さんを久々に思い出しました。(娘の)寛子ちゃんから、昨日電話があったそうです。周りの人と『寛子と話せてよかった』と言っていたそうです。

駄じゃれを言って人を楽しませて、いつも人に囲まれていた。その輪の中にいるだけで、僕は元気になれた。恩人です。猪木さんが、いろいろなものに挑戦するから僕も頑張れた。闘魂は輪廻(りんね)転生する。額に手を当てて『しばらく休んでください』と声をかけました。でも、アントニオ猪木が、この世にいないのは寂しい。

(1960年9月30日に大木金太郎戦で黒星デビューから)62年後、その次の日に亡くなった。それを思うと万感の思いがある。(猪木さんのベストバウトに、69年にNWA世界王者ドリー・ファンクJrに挑戦した60分フルタイムドロー)自分の実況じゃないけどね。あとはビル・ロビンソン戦、ストロング小林戦。猪木さんの先輩のヒロ・マツダさんが『猪木はどんな相手でも強く見せて名勝負をする』と話していた。でも、枕元でプロレスの話をしているとニヤッと『プロレスの話はもういいよ』と笑っていた。

(87年にプロレス実況を辞める時に)カール・ゴッチから受け継いだ実力世界一の世界ヘビー級のベルトを渡された。3カ月後に新日本のフロントからレプリカと取り換えてくれと言われたけど、駄々をこねて今でもある。『なんでも鑑定団』に出したら800万円と言われた。でも、それも誰かに受け継いでいく。闘魂と同じで、誰かに受け継がれていく」
(【猪木さん死去】古舘伊知郎「何かと戦い続けてきた」最後病魔との闘いは「アントニオ猪木の宿命」(日刊スポーツ))

「(都内の自宅を訪れて)死に顔きれいでしたよ。ここ数年の猪木さんの苦しみを時折、定期的にお見舞いに行ったりして見て来たので、猪木さん、楽になったねと本当に思いました。どこまで続くんだ、この苦しみはという感じだったので。昔の猪木さんの顔に出会えたような、きれいな顔をして、たたずんでいました」
(古舘伊知郎 猪木さん「死に顔きれいでした」自宅弔問後にYouTubeで語る(デイリースポーツ))

新間寿
「アントニオ猪木ほど素晴らしい人間はいない。これまでもいなかったし、これからも出ないだろう。たくさんの人に夢と希望を与えた。一緒にやれたことは感謝しかない。本当に寂しいね。プロレスは愛、格闘技は恋。愛は与えるものだけど恋は奪うものだから。両方できたのはアントニオ猪木しかいない」
(アリ戦“仕掛け人”新間寿氏明かす舞台裏 90億円訴訟は交渉で「チャラ」に(スポニチアネックス))

初代タイガーマスク(佐山聡)
「凄くショック。(猪木とは1、2週間前に電話で会話)声にはいつもの力がなかった。僕にとっては一生の師匠。本当に優しい人。怒られたことは一度もなかった。大きな柱を失ったが、残ったものが遺志を継いでいかないといけない」

坂口征二
「55年前に日本プロレスに入った時からのお付き合いで、新日本プロレスを旗揚げして2年目に自分が合流して、そこから一緒に新日本プロレスのために戦ってきました。猪木さんは、自分にはできないことをたくさん実現して、いつもプロレスのことを考えていて、あのような素晴らしいプロレスラーは見たことがありませんでした」
(初代タイガーマスク・佐山サトル氏「僕にとっては一生の師匠」(スポニチアネックス))

前田日明
「プロ中のプロ。(8月に出演した)24時間テレビで、体が弱っても苦しさをおくびにも出さず、最後まで“アントニオ猪木”を演じきった。驚いたし、感動した。(付き人の仕事でミスをしても)一切怒られたことがなかった。(シングルでの師弟対決は83年の1試合)今から考えると、身をもってプロレスというものを自分に伝えようとしてくれたと思う。(86年の藤原喜明戦直後、前田が猪木にハイキック襲撃)猪木さんは自分が顎を狙っているのを察知して、よけずにジャンプして首で(蹴りを)受けた。他の人にはできない」

蝶野正洋
「(新日で付き人)まだ気持ちの整理はつかないです。我々は平成を舞台にしていましたが、猪木さんは昭和を舞台にしたスーパースターで背負っているものが違っていました。それだけのオーラがあって、責任感もありました。また努力を怠らなかったのを見てきました。最後の最後までアントニオ猪木であり、闘魂を貫かれたことには敬意の念しかありません」
(前田日明氏「プロ中のプロ」 猪木さんの8月24時間テレビ“熱演”に驚き感動(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース)

徳光和夫
 54年前、プロレスを担当し、猪木さんのデビュー当時、馬場猪木の『BI砲』をネーミングしたのは私でした。当時から、プロレスの技術に関しては卓越したモノがあり、すぐに魅了された。猪木寛至の出現には本当にビックリした。公私にわたって、目をとじれば、思い出は尽きない。
 「24時間テレビ」に登場した時、正直ショックを受けた。あの躍動感あった、恵まれたアスリートが、見たくない現実だった。なんともやるせない中で、『また会おう』と手を握り、『分かった』と握り返してくれた時の手の弱さに、元気になってほしい、また逢いたいと思った。
 ゆえに、もしもの時があるかもとかられたが、まさか、1か月後に訪れるとは、心痛です。心より、ご冥福をお祈りいたします。
 が、本心は悔しい。もう一度、逢いたかった。
(徳光和夫 猪木さん追悼 BI砲を命名「猪木寛至の出現」回想 8月の握手弱く「もう一度、逢いたかった」(デイリースポーツ))

スタン・ハンセン
「ショックだよ。猪木さんは私のプロレス人生を変えてくれた大恩人だから感謝の気持ちでいっぱい。

(77年に新日本プロレスに初参戦。同年秋には外国人のエース格に抜てき)あの時、猪木さんにビッグチャンスをもらった。早い時期に、既に偉大なレスラーだった猪木さんに対戦させてもらえたことは忘れられない。当時、猪木さんが(若手だった私を)どのような考えで自分をピックアップされたのかは分からなかったが、それが私のプロレス人生を大きく変えてくれた。

猪木さんは常に新しい、フレッシュさを求めていた。自分も応えるように戦った。ど突き合いのファイトで精根尽きるような試合をした思い出しかない。タフで技のキレ味も鋭い完璧なレスラーだったと思う。日本で猪木さん、(ジャイアント)馬場さんという2人のレジェンドと戦えたのはレスラー人生最高の大きな宝だった。

日本のみなさんも猪木さんの死去はつらいと思うが、これからの猪木さんの存在を決して忘れないでいてほしい」
(【猪木さん死去】スタン・ハンセン氏「人生の大恩人。日本のみなさん、猪木さんを忘れないで」と追悼(日刊スポーツ))

辻仁成

国技館暴動の夜に猪木さん宅に呼ばれた田中ケロ氏「1、2、3は猪木さんのアドリブ」

 新日本プロレスで観客の暴動が起きた87年(昭和62)の12・27両国国技館大会後の深夜、猪木さんの自宅に呼ばれ、朝まで痛飲したという。「なあケロ、誰も暴動を起こそうと思ってやってるわけじゃねえんだよ」との弱音を聞き、初めて「人間・猪木寛至」の姿を見たという。

 90年2・10東京ドーム大会の試合後、リング上で初めて「1、2、3、ダァ~」を披露した猪木さん。6万人の前で「ダァ~」を提案したのはケロ氏だったが「1、2、3」は、猪木さんのアドリブだったとう。「最初は1、2、3でダァ~!という説明だったのに、よく聞くと『1、2、3〝アッ〟ダァ~!』と叫んでいる。こういうやり方があるのかと思った」と舞台裏を明かす。
(田中ケロ氏、国技館暴動の夜に猪木さん宅に呼ばれた「誰も起こそうと思ってやってるわけじゃねえ」初めて聞いた弱音(よろず~ニュース))

本名・猪木寛至から1文字を“継承”している棚橋弘至との共通点とは?

 新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』をかつてゴールデンタイムで放映したテレビ朝日は、1日の『サタデーステーション2時間SP』において、番組の大半である約1時間50分を使って猪木訃報を伝えた。テレ朝にとっては最大級の功労者に違いない。

 元ゴング編集長の金沢克彦氏のコメントから。
「猪木さんは、ジャイアント馬場さんと一緒にいた頃に、常にコンプレックスを持っていたんですよね。常にナンバー2。馬場さんを抜けないっていうね。その中で新日本プロレスを立ち上げて、資金もない苦しい中で、猪木さんが活路を見出したのは、日本人対決なんですよ。当時、日本人対外国人という図式が当たり前であって、日本人のトップは戦わないという不文律があったのを、猪木さんはぶち壊して他団体の大物選手と次々と当たったわけですよね。それが日本人の感情をものすごく揺さぶりましたよね」

 高島彩アナウンサーには“猪木ビンタ”を食らった経験があり、リスペクトも感じる進行だった。

 収録エピソードとしてカクトウログが聞いているのは、追悼番組ではないので、猪木さんが嫌がるであろう湿っぽいのはやめようということだったのだという。VTR中、CM中は武藤と金沢氏の雑談トークで和んだ。

 サタデーステーションには1984年の『徹子の部屋』でのくだりが紹介されていた。

猪木「今のプロレスブームというのは、ちょうど12年(前に)独立しまして、そのころは会場に行きましたら300人くらいしか客が入らなくて、割と地方へ行くと年取った人ばかりで、老人ホームみたいな感じで。俺たちが一生懸命やれば子どもが一生懸命見てくれる(ようになるはず)。なんかそんな信念みたいなものがあって」

 道場での猪木パネルを外した棚橋、訃報に際しての思い。

棚橋が目指したのはそれまでの「一寸先はハプニング」に代表されるスリリングでスキャンダラスなプロレスではなく、女性や子どもまで誰もが楽しめて「また会場に来たい」と思わせるハッピーな空間だった。棚橋のみならず多くの選手・関係者が再建に成功した新日本の会場を猪木さんに見てもらいたいと願っていたが、それは最後まで叶わなかった。
(〝脱・猪木〟で団体を再建させた棚橋弘至が猪木さんへの思い明かす「新日本プロレスは元気です!」(東スポWeb))

 常に新しいファンを迎え入れなければ業界に未来はない。ディティールは違えどプロレスへの考え方は同じ。カクトウログが目にした番組と記事からは、本名・猪木寛至から1文字を“継承”している棚橋弘至との共通のものが感じられた。


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