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シン・広田さくら「尖ってないとやれなかった」 居場所探しのプロレス半生
トークとツーショット撮影会(シン・広田さくら&シン・髙山善廣)は実に4時間半にわたる。笑いの渦に包まれながら、シン・広田さくらから数々のこだわりと過去の苦悩が語られた。あらためてみんなで『シン・広田さくらの面白いところをボ・ラギノールばりに突っ込みたい』。
※記事はトークイベント(23日、闘道館)の一部。イベント内で告知された文字化NG話題は除く。
GAEAの殺伐としたストロングの、その感じじゃない路線を走り始めたきっかけ
2024年10月11日新宿FACEの自主興行で「BRS(=ボ・ラギノール・スイシーダー、ロープの反動を利用したカンチョー攻撃)」を放った広田さくら。相手はアジャコングだったが、技を繰り出した広田は右腕を脱臼してしまう。カンチョー攻撃した側の脱臼が話題となったが、この2月に復帰を果たした。
イベントではケガをしたときの状況や経過がいきなり詳細に語られる。それでも気丈に「自主興行でケガをしたのが、他選手ではなく自分でよかった」「湿布を張り替えてくれたりとか、私の背中をこう洗ってくれたり、手の届かないことを子供たちがやってくれたり。学校の内履きとかも自分で洗うようになったりして、なんか成長みたいな。良かった、脱臼して」などとした。
司会(鈴木健.txtさん) なんで数あるプロレス技の中でカンチョーが代名詞的な技になりましたか。
広田 そうですね。意外とちゃんとした技とかやってるんですけどね。でも、いつからですかね。GAEA(GAEA JAPAN)の新人のときかな。カンチョーなんて原始時代から、たぶん人に指とお尻ができた時代からやられていたはず。プロレス界でも誰の技ということもなく、コミカルなレスラーがやってたりとかはあるじゃないですか。だから『私のものだ』みたいな感じではなく、なんかこんなところでちょっとカンチョーしたりとか!? みたいな感じで結構、そうですね、それこそアジャさん(アジャコング)とか下田さん(下田美馬)とかにたぶんしてたんだと思うんですよね。
司会 それまだ新人時代じゃないですか。
広田 そうです。そうです。
司会 先輩に対してそういうことやることに対してのためらいというか。
広田 当時、本当に私のスタイルを貫くっていうのって大変だったんですよ。私がプロレスの、GAEAの殺伐としたストロングの、その感じじゃない路線を走り始めたきっかけも、1期生の人たちがすぐ上にいて、その人たちと同じ土俵で闘っても絶対無理だから。なんかちょっと私にも注目させなきゃいけないっていうところで、なんかこう面白おかしくみたいなスタイルになっていったんですけど。でも『広田はいつまでそれをやり続けるの』みたいな。選手は。私もちょっとずつ天狗になっていっている時期があったんですよ。
司会 このスタイルで天狗になる(笑)。
広田 私は本当に、GAEAのときに尖ってて。尖ってないとやれなかったっていうのがあるんですよ。自分の意志を持たなきゃという。だから、私のスタイルを認めてくれたのは会社が先で。選手はもう『なんで広田につき合わなきゃいけないんだ』と。でも、そこには(広田の背中を押した)長与千種がいる。『今あなたたちは逆らえない。私のバックには長与千種がいる』っていう(笑)…言葉にしては言ってないんですけど、態度とかに出てたんですよね。だから『自分でこれだけお客さんを沸かしていると思うなよ』みたいな風当たりだったりとか。その先輩が悪いとかじゃなくて、私にもそういう態度が見て取れたから、そういう話になったみたいな。だから、私がたぶん実際に本当に天狗になって『私ちょっと一目置かれてるから』みたいな感じで、なってた時期があったんですよ。あのときは本当には天狗になってましたね。『1期生の人たちのマイクアピールでこれだけ会場を沸かせられますか』(会場笑い)みたいなことをどっかのインタビューで言っちゃったりとかしてた(会場「えー」爆笑)。それぐらい攻めたことを言ってたときがあったんですよ。
司会 わあ、すげえ。
広田 『それは別に本気で思ってるわけじゃないですよ。だって、そういうのってインタビューで言うじゃないですか』みたいな。そういうのひっくるめて天狗になってたんですよ。
司会 嫌なやつだなー。
広田 本当に嫌なやつ。そうでもしなければみたいな。なんかその時代はすごかったです。『今は私が沸かしてます』みたいな。
司会 そんな流れでカンチョーもつづけられた?
広田 だからそんなのがあったから、別にカンチョーと言うか、別にカンチョーに重きを置かなくても、私にはいろんなものがある、みたいな。マイクアピールもある、コスプレだって、みたいな。
司会 なるほど。
広田 でも『ボ・ラギノール』っていうのは私が言い始めたというか。
司会 これいつぐらい。
広田 多分GAEAの後半。ボ、中黒、ラギノール。
司会 なんで中黒を入れたんですか。
広田 あの…訴えられないように(会場爆笑)。なんか言われても逃げ道つくれるように。ちょっとメヒコっぽい感じで。
司会 実際何もクレーム来たことがない。
広田 ないですね。1回スポンサーになってくれないかなって、『あの会社に行こうと思うんです』っていうことを会社に相談したんですけど、そのとき社長に全力で止められました(会場爆笑)。『調子に乗ってじゃねえぞ』って。
司会 いやそれ行ってほしかった。
広田 もうちょっと尖ってたら行ってたと思うんですけど。
司会 ストップは賢明ですけど。いやけど、秀逸な名前ですね。これに限らず、技名すべて秀逸ですよね。
広田 そうですかね。その当時からちょっと変な名前とかっていうのが、私がやり始めたわけではないですけれども、あのまぁ『私がやり始めた』みたいなところ(という雰囲気)もあって。『へなーラサンセット』だったり、タッグ名だったり。当時はかかっこいい技名で当たり前、かっこいいタックチーム名で当たり前っていう中で、エキセントリックだったりとか、ボ・ラギノールとか。なんかちょっと変っていうのを打ち出してたのも、やっぱり私。
司会 そこは自慢していいですよ。
広田 そういうのが好きで。そのときにチーム・ボ・ラギノールっていう、あのカルロス天野さんと。天野さんもそれに感化されたわけではないと思うんですけれども、ちょっと広田ばっかり悔しいからって言って、天野さんが頭突きをするっていう、その技があったんですけれども、それのいい名前がないか探してたんだけど『ちょっとこれ、カルロス・ゴーンにしようと思って』(会場爆笑)って自分に感謝されて。『悔しいから』みたいな。『この技(ヘッド・ドロップの一種)名は「高田純次」ってしたんですよ』とか言って話をしてたら『何、いいな。それじゃあ、私のこの頭突きもカルロス・ゴーンにしようかな』って。
司会 知らなかった。『高田純次』もわりと早いうちから?
広田 あれはでも高田純次さん公認なんですよ。ラジオ番組に呼んでいただいて。『高田純次』を自分が試合でやってるのを高田純次さんのラジオの番組のプロデューサーさんが見ていたらしくて、そこに後日呼んでくださって。『ちょっと私はこういう技をやっていまして』って(高田純次さんに身ぶり説明)。
司会 なんて言ってました、本人?
広田 『ああ、それねー』って(会場笑い)。
司会 ちゅうか、本人やってないでしょ。あの動きは。
広田 それで『今後も「高田純次」って名前で』って言うと『ああ、いいよ、いいよ』って。公認で。それがGAEAの全盛のときだったから、2000年あたりですかね。
司会 いや本当ネーミング秀逸です。
広田 あとで映像で見返したりとかすると、カンチョーってすごくちょうどいいんですよね。威力とかが。でかすぎず軽すぎず。やり方によっちゃ大ダメージにもできるし…みたいなので。なんかここにあればっていうときにカンチョーがあるぞっていうので。だからちょっと多用しているっていうのが。
司会 真似しやすいというのが一番ですね。プロレスごっこでも。またこの、肛門っていうのはいかにプロレスラーであっても鍛えられる箇所じゃないので。人体の急所ですからね。
広田 でもよく考えたらたぶん反則ですよね(と自論)。
司会 どうなんだろう。
広田 鍛えられない部分への攻撃は。金的と同じじゃないですか。沸くけど、突き詰めると反則技。
司会 5カウント以内だから全然問題ないんじゃないかなと。
コスプレ相手の研究はする? ざっくり見ますね。あんまり見過ぎちゃダメなんですよ
司会 コスプレではその都度、その選手の例えば映像とか見て研究するわけですか。
広田 ざっくり見ますね。あんまり見過ぎちゃダメなんですよ。あんまり見すぎちゃうと、本当にしょうもない細かいところを真似しちゃうたりとかするので。人の記憶ってざっくりじゃないですか。そのざっくりにいい感じに当てはめた方が、この人こんな感じだったなっていう部分で収められる。あんまり研究とかはしないんです。人の想像力って本当面白くて、何にもやってないのにやってるように見えてしまう。人間の精神世界までの話になってくると思うんですけど、人がなんかこう残像とか、今までの自分の中の記憶みたいなものを、私が適当な動きをすることで、頭の中でちょっと結びつけるんです。だから『似てる』ってなるんですけど、ええ全然ですよ、本当に。動いてたりとか試合をしたりとかってなると『似てる』ってなるんですけど、本当に最近ちょっとこれやめなきゃなと思ってるのが、静止した写真をSNSで乗っけたりとかするじゃないですか。控え室で本人と一緒にイエイみたいな。全然似てないんですよ。似てないとかバレちゃうから。やっぱ隣に並んじゃうと。
司会 この話(2024年9月3日、髙山善廣支援「TAKAYAMANIA EMPIRE 3」興行)、僕、聞きたくて、このイベントやったようなもんなんですけど。
[シン・髙山善廣の写真がスライドに。カクトウログ撮影写真を使っていただきました。ありがとうございます]
広田 はい、ありがとうございます。
司会 髙山さんのマネージャーの石原(石原真)さんに聞いたら、なんか等身大らしいですね。
広田 あ、そうです。そうです。本当にぴったり、同じ身長。
司会 現場で見た時は全然大きく見えましたけどね。髙山さんより。
広田 いや、本当に身長はもう。
司会 196センチ。
広田 はい。
司会 それは自分の身長と比べてこう、どれぐらいの高さえすれば196になるかっていうのを。
広田 そうです、そうです。自分足す何センチという感じで(観客笑い)。
司会 身長を真似するって普通あり得ない。今までの日本の文化にはないですよ。
広田 身長さえ同じになればロープを超えられるだろうと。
司会 これは最初にお話が来たときは率直にどう思いましたか。
広田 その前に(木村)花ちゃんのコスプレのオーダーが来て、すっごい迷ったんですけど。まあでもやってみようと思ってやってすごく受け入れてくれてたっていう経緯があったので、オーダーをいただいたときに『ぜひお願いします』という気持ちで受けられました。
司会 オファーを受けた瞬間、何もカタチはないですよね。
広田 トップロープを超えること、金髪であること。この絵は浮かんだ感じですね。その高い部分をどうやってやろうかなっていうのを、もうそのときのオファーのやりとりで考えてた。
司会 こういう形で高さをつくるってのは割と早く浮かんだんですか。
広田 高くするっていうのはGAEAのときも三田英津子さんのコスプレだったりとか(観客「あー」)、ちょっと前で言うと桜花由美さんとか。身長高い人にはやったことがあるんですけど。でもそのとき三田さん・桜花さんのやつは、発泡スチロールを重ねてシューズ型に削って、リングシューズに止めてつくってたんですね。でも、高山さんはちょっと高さのレベルが違うからなーと思って。1回発泡スチロールを大量に買い占めたんですよ(観客笑い)。高山さんの身長になる分を買って、いろいろ考えて。これどうやってつくろうかなってもうでも作るだけじゃなくてやっぱり動かなきゃなっていうので色々考えて。でもさらに対戦が里村さんだしなって。全部動き切るのか、途中で外すのかとか。じゃあ外しやすいのはどういうふうな…みたいな。なんかそう考えて結局これは本当ギリギリの大会、本当2、3週間前に。この中身って高所作業用の梯子って言うんですか。
自分達がパフォーマンスに使用しているスティルトの本来の用途ですが
この様に内装の高所作業や塗装を行うために使用されています。
ドライウォール施工に用いられる為
「ドライウォールスティルト」とも呼ばれています。#スティルト#ドライウォール pic.twitter.com/H1gGxHmWd5— オグラス@スティルトパフォーマー (@ta98_sp) December 4, 2017
司会 あーあ。
広田 両足だから、あの職人さんがこうやって動けるあれなんですよ。
司会 この中で梯子が入ってる。
広田 片方で、1足で何キロだこれ…4キロ? 5キロ? 重いんですよね。
司会 重くないとバランス取れないでしょからね。
広田 そうですね。それでも倒れないような感じにできているものを履いていて。なので、その大きい段ボールのリングシューズは本当にふわっと表面にやってあるだけで。実質、その梯子で歩いてる感じです。
司会 試合では普通に動けたんですか。
広田 意外と思ってるよりかは動けた方だと思う。梯子なんで裏がゴムって言っても金具もあるし、人を蹴るためにつくられてないので、もう本当にガーンってやると、里村さん怪我しちゃうから、怪我だけはしないように、当てるなら変にビクビクしないで、ちゃんと当てた方がいいと思って。
司会 蘇りましたからね、帝王のビッグブースがね。
広田 そうですよね。もう本当あのリアル高さでやってるって。壮観でしたよ。しかも見渡せる感じで。
司会 しかもみんな大喜びだし。
広田 いやーもう気持ちよかったです。
司会 帝王も大喜びだったらしいですけどね。
広田 これ鈴木みのるさんから直接オファーをいただくんですけど、それだけでもすごくないですか。
司会 そうだよね(笑い)。ありえない、『シン・髙山善廣やってくれ』ってくるわけでしょ。
広田 本当にそうなんですよ。鈴木みのるさんをLINEでつないでくれたのが松本浩代で。あるとき突然まっちゃんから『鈴木みのるさんが広田さんと連絡を取りたいそうなんですけど』って言われて携帯落としそうになって(観客笑い)。すぐ連絡をいただいて『やってよね。期待してるよー。広田しかこれはできないからさ』っていう感じで。うまく乗せられちゃって。でも言った手前、鈴木さんもすごい不安で。当日も私のことたぶんすごい待っててくれたんですよ。控室行ったら『ちょっとさ、乗るだけ乗ってさ。ちょっとどういう感じか見してくれる』とか(観客笑い)。すごい不安だったんだなと思って。『ああ、こういうのに乗りまして、こんな感じで』とかって言って。『これさ本当にロープまたげんのかな。ちょっとさ不安だからさ、それだけやってみてよ』とかって(笑)。
司会 一応試したりして。
広田 試しました。鈴木さんが不安がってたんで(笑)。
司会 自分で言っといて。
広田 すごいねって言って、安心されてましたね。
司会 これ、9000円でしたっけ。TAKAYAMANIAに領収書をちゃんと渡すわけです。
広田 はい、そうですね。安くなりましたね。Amazonのセールみたいので。すごい安く。だってこのTシャツだって現場で支給していただいて。金髪も、これ何がいいかなと思ってこのときのために買ったやつなんですけど、ちょっとおしゃれ金髪みたいな感じの、ウールカットのみたいな。で、カチカチ君っていうあのウィッグ専用のハードスプレーがあるんですけど、それをかけてあの固まらせてっていう感じで。あとはもう全部、男物のトランクスに、ニーパットに。という感じですね。
司会 こうやって見ると、髪型はホント髙山善廣ですね。
広田 なんでこんなに似てるのかなって思ったんですけど、ノーメイクだったんですよ。
司会 あー。
広田 変にメイクをしない方が似てる(会場笑い)。地顔で出た方が似てるっていう。時間もなかったんですけど、あのでも髙山さんのメイク、え~とかって思いながら。ま、特にメイクする部分もないじゃないですか。だから別に特にファンデーション塗るでもなく、何するでもなく、ま、ちょっと金髪だから眉毛をちょっとファンデーションで金髪っぽくして、で、唇も口紅しないでファンデーションっでパパパッってやって、そのままで出たんです。
司会 まあ表情がね、すごく寄せてましたからね。
広田 そうですね。私もノーメイクで試合出ることが多いんですけど、そのやってることはたぶん高山さんと同じことを自分はやってたみたいな(会場笑い)。表情とか顔つきとかが元々髙山さんだったんですね。
司会 もうこうなる前から元々。
広田 だからもうすっぴんで。特に表情も頑張ってやることなく、普段通りの、なんかこうヴェ~みたいなのでやったらすごい似てたっていう(会場笑い、拍手)。
木村花さんのコスプレの話になる。
司会 なんでこんなに似てるのかってみんなで話題になるんですよ。
広田 (顔の)パーツなんて絶対違うのに。
<ふわふわバトルロイヤル/世界一かわいい決定戦(1/無)>
ハイドレンジアは失敗してもアノ技はあるシン・木村花! pic.twitter.com/lRQP6dEItY
— KAKUTOLOG📶プロレス/ボクシング/MMA/格闘技カクトウログ (@kakutolog) May 23, 2024
司会 コスチュームは同じものを着れば寄せることはできますけど、問題は顔ですよ。
広田 だからまあ、みんな認めたくないのだけかもしれないんですけど、『美形』だってこと(会場笑い)。
司会 そうか、まずそれがあると。
広田 認めてくださいよっていう、だから。(表情は帝王だが、顔は美形…というカオスな主張でまとまる)
司会 認めざるを得ないですよね。本当に。コミカルなものとしてやっていったものが、髙山選手とか花ちゃんとか、その背負うものとしてはだんだん重いものになってきていて。
広田 そうなんですよね。花ちゃんのコスプレをやるっていうのを受けたっていうのが、私の中でちょっとあのなんか“変わった”というか、コスプレに関して。その前までは『いや私なんかがやったら』みたいなので断ってたかもしれないですけども、ここに来て本人のお母さんから直接オファーをもらうっていうので、もうこれはこういうことを私が言われるっていうことがありがたいって思おうっていう。お客さんもきっと『ま、広田だったら』っていうところで許してくれるだろう。そのなんて言うんですかね、こう信頼関係というか、信じる気持ちというか。
司会 それがやっぱ評価であり、信用・信頼ですからね。そこまでのものを築いてきたということですよ。長きにわたって。
広田 これ本当に、コスプレってこんなにやるつもりじゃなかったんですよ。私。事の発端がデビル雅美さんとシングルをやるときに、長与さんに『デビルさんのガウンを着ていけよ』って言われて。着ていったらお客さんがワ~ってなった。その3日後とかに、普通に出ていくつもりだったんだけど、レフェリーだったTommyさんが『今日は何やるの』って聞いてきたんですよ(会場笑い)。え、毎回やんなきゃいけないのって。『やらないです』って言ったら『みんな期待してるよー』って。Tommyさんの一言で今までのコスプレになってるんですよ。
司会 Tommyさんなんだ。
そのときはありもので色付きサングラスなどを使ってフィンガー5をやるがダダ滑り。そこから毎試合、毎試合、地獄のスタートとなる。地方巡業でも披露するようになった。
広田 それがたぶん、頭が私もおかしかったんだと。やっぱ狂ってたんですよね。選手からは『いつまでそういうことやってんの』って中で、会社がだんだん認めてくれ始めて。それで初めて会社が経費で買って、これからいいぞって言われたのが豊田真奈美さんのコスプレ。あのときから会社に経費を出してもらえるようになった。それを楽しみにしているファンの人も増えてきたみたいな。なんとなく経費で出そうみたいな感じ。
司会 経費出るようになったら、じゃあ割とこう費用をかけられるように。
広田 出るようになるまでが2~3年かかってるんですよ。それまで自腹で。その中ですごいローコストでつくれるように、もうテクニックでなってきてるんですよ。だから経費で出すって言われてもそんなにかかんなくなってきてて。ひとコスプレ5000円前後。そんなに使うなよみたいな圧はやっぱりあったので、ま、大体5000円ぐらいで。
性格悪くて嫌われたって言うのは有名な話で。自分を保つのに必死だったんでしょうね
司会 カンチョーとコスプレだけのレスラーでは決してございませんので、それ以外のところもちょっと振り返りたいなということで。(スクリーンに写真)これデビュー戦ですね。
広田 (ステージ上に登壇した2人の子供に)デビュー戦だよ。
司会 あなたたちの母ちゃん、日本武道館でデビュー戦だよ!! 本当に、いないよ、そんな母ちゃん。
広田 これ18歳。
司会 こうやって見るとあれですね、デビュー戦の相手(アジャコング)で脱臼させられたってことになりますね。団体的にはとても期待された新人のデビューっていう形でございますね。
広田 GAEAにアイドルレスラーが来たぞ、みたいな。アイドル路線で本当にもう売られようとしてましたね。だからピンクで。
司会 ピンク、好きじゃないですよね。
広田 全然。
司会 「さくら」というだけで。
広田 そうそう。それからね、ちょっと好きというか、お仕事でピンクを選ぶようになっちゃってね。もう華々しかっただけに、その後の泣かず飛ばずがひどかったですよね。本当にひどかったですね。
司会 プロレスやりたくて当然入ってくるわけじゃないですか。ダイナマイト関西さんの試合を見てなんかすげえと思って入ってきたっていう話。
広田 そのときも本当に、誰が誰っていうのも知らないし、技の名前も知らないし。後に関西さんがキューティー鈴木さんにかけたスプラッシュマウンテンを私は見て、高いところから大きい選手が小さい選手を担ぎ上げて叩きつけるっていうやつを、私は『やられたい』と思って入ったんですよ。
司会 危険な目に遭うということが好きだった?
広田 アトラクションみたいな考え方です。叩きつけるの見てやられたいと。キューティーさん、次も試合に出たりとか。それでも死なないとか、それでも立てるとかていうのすごいなって思ったり。あとは後になんですけど、そのときの私の境遇というか、状態が、高校を2回中退して。高校1回行って、進学校に行っちゃって、ついていけなくて2か月ぐらいで辞めてるんですよ。で、1年浪人して17歳の春に農業高校に入って。で、そこもちょっと朝起きるのが早いからって夏休み前に辞めて。引きこもりでもないのかな。ずーっとタラタラしていって、どこにも居場所がない。家も気まずいし、学校も行ってないし。それまで遊んでた中学校の子たちも高校2年生になると進路のこととかで、私とか遊んでくれなくなって、どこが居場所なんだろうっていうときに、この女性たちが『四角いリングが居場所』というのがものすごくダイレクトに感じられて。
(トーク中の広田の子供たち、緊張が切れている。広田が「控え室に行っていいから」と言うが動かない)
広田 居場所を求めていたときに、17歳の少女は居場所が見つかったってふうに感じたんだろうと、後からですが思いましたね。
司会 実際に入ってみたら“居場所”でした?
広田 全然。そこにも居場所はなかったですけど(会場笑い)。もう誰よりもできなかった。1回、逃げたんですけど、それも戻ってるので辞める気もないまま。かまってちゃんだったんでしょうね。逃げたことでちょっと振り向いて欲しかったみたいな。面倒くさい感じで逃げて戻ってきてっていうので。辞めても居場所がないっていうのもわかってたので。家に『GAEAの道場がひどいところで』って電話しても『そう言ってもあんたの部屋もないし』って。歯を食いしばれという意味で言ってくれたのかわかんないんですけど、親が趣味で始めた太鼓部屋になってて(会場笑い)。本当になくなってた。居場所をつくらなきゃいけない状況に置かれて。
司会 そのころは1期生の人たちと。
広田 里村さん(里村明衣子)たちが1期生で、2期生もいて、私が3期生。
司会 全員から厳しく当てな当たられるみたいな。
広田 そうですね。だから本当に私ももう尖ってたし。そのときから、何を根拠にしてたかわからないんですが、尖ってましたね。尖ってたというか、本当に性格が単純に悪かった。性格悪くて嫌われたって言うのは有名な話で。自分のことしか考えないタイプ。まわりを小ばかにしていて、でも自分が凄いこともしてない。自分を保つのに必死だったんでしょうね。1年間練習生だったんですけど、1年後に武道館でデビューしちゃったもんだから、天狗になってたと思いますから、そのときに。武道館だしみたいな感じだったんでしょうね。でも全然プロレスもできてないっていうこともわかって。去勢を張ってた、17歳、18歳ぐらいのときに。
司会 よくぞその厳しい練習続けられました。
広田 そうですね。だから本当、いかに手を抜くかだけを考えて(会場笑い)。
司会 蝶野正洋タイプ。
広田 他の選手とかよりかはだいぶ練習はボってた方だと思います。あの…『深爪した。走れない』って休んでました(会場笑い)。だから『あきれ』ですよね。逃げようとも別にしてないし、辞めるとも言ってないし。ただサボりながらいるっていう。その後にコスプレをつくり始めるのも、みんなが練習してる中でミシンをずっとかけてるっていう(会場笑い)。『もう広田、いつ練習するの』。私は『求められてるんで』(って姿勢で)みんなまあ面白くなかったと思います。
司会 逆になんか精神力が強くなければ。
広田 メンタルが鋼(はがね)でしたね。なんで辞めなかったのか、なんでこんなのが残ってるのか、謎のままっていうのがやっぱり…『選ばれた』っていうか(会場笑い)。
司会 長与さんは長与さんでちゃんと厳しいんですよね。
広田 厳しいです、全然。だからこうやって言うと本当に怠けてやってたんだなとか、ダラダラやってたと思われてしまうのであれなんですけども、ちゃんとめちゃくちゃ厳しかったんで。でも1期生の方がもう本当に血反吐を吐くぐらい厳しくて、だからあのレベルまで行ったっていうのもあるし。そこと比べて『広田なんかやってないじゃん』っていうのは、もう当たり前なんですけども、この時点でも今ではもう比べ物にならないぐらいのことはやっぱりちゃんとやってるので、やっぱり。そこはまいくら怠けても怠けきれない部分は。
[4月23日・新宿FACEにて里村明衣子&シン・里村明衣子に特化した大会が実施される]
司会 どうですか。居場所を見つけるためにプロレスに入ってきた自分が、WAVEというちゃんと居場所が今あるわけでございまして。
広田 不思議な感覚で、今WAVEにいて7年目になるのかな。でもフリーの実態が12年ほどあるのかな。GAEAの時代が9年なんですけど。だから年代的には浅いのに、そうとは思えないぐらい密な時間をみんなと過ごしてますね。GAEAのときは自分のことがせいいっぱい。フリーのときも必死。WAVEに入った意味も、大量離脱のあとに入って、いろんな改革でWAVEも変わるということだったんだけど、変わるって難しい。中から変わったじゃなく、業界の人たちから変わったねと言われなきゃいけない。そう言われるようにしたいっていう使命を持って入りました。でもGAEAのときには感じられなかった、みんなをどうにかしなきゃとか、そういうのがやっぱりWAVEの方が芽生えましたね。中からどうこうは私も言いませんけれど、炎華や若い人たちが楽しくやってるし、そういうところに変化を感じてもらえるのかなとも思って。
質問コーナーでのひとつから。
司会 広田さんのライバルは誰ですか。
広田 うーん、ライバル。『DDTのやり方』ですかね。それがライバルだって思いながらやってます。そこに負けないようにやらなきゃいけないなっていう意味でですよ。前にササダンゴさん(スーパー・ササダンゴ・マシン)が私のことをそういうふうに言ってくれた時期があって。『ライバルというか、目の上のたんこぶ』って言ってくれたことがあって。すごく嬉しくて。私もそうやって思っていかなきゃと思って。いつも私は『DDTに先越された』とか『DDTだったらこうだった』とか。『悔しい』っていうのを忘れないようにしてるっていう感覚ですね。
司会 張り合ってくださいよ、本当に。
広田 あと女子は、やっぱりライバルというか、その目の上のたんこぶ的なので言うと、ウナギ(ウナギ・サヤカ)ですかね。
●ウナギ・サヤカ&彩羽匠
vs.長与千種&◯シン・広田さくら(チーム・エキセントリック)広田が秒殺され、ウナギ懇願で再試合。長与も秒殺寸前、ウナギが京平レフェリーの手を止める。ゴムパッチン合戦。京平と💋→広田12:11ふらふらドーン勝利。 pic.twitter.com/sxqAtnTeUV
— KAKUTOLOG📶プロレス/ボクシング/MMA/格闘技カクトウログ (@kakutolog) September 2, 2024
司会 ああいう発想力とか行動力とか。
広田 やっぱりそういうのを見てやっぱり『悔しい』って思ったら、それはライバルだと思うんですよ。だからウナギのやり方とかウナギの考え方、発信力とか。ま、DDTさんもそうですし、何かそういうのをバーンってやられたときに『悔しい』って思う人っていう感じですかね。だからやっぱり一番発信してるっていうことですよね。
司会 また絡むシチュエーションが出てくるでしょ。
広田 もう今度のWAVEでのシングルマッチも3月2日に決まってます。そこでプチッとやりたいですね(目の上のたんこぶを潰すという意味だが、観客は少しキョトンとなる)。
[3月2日・後楽園ホールWAVEにてシン・広田さくら vs.ウナギ・サヤカ]
女子プロレス史上初の日本武道館デビュー 広田さくらプロフィール
プロレスリングWAVE所属。1978年4月12日、愛知県尾張旭市生まれ。NHK名古屋放送局「中学生日記」の準主演クラスの生徒役としてテレビ出演を果たす。1995年に長与千種率いる『GAEA JAPAN』に入団する。プロテスト落第により1996年4月デビュー予定が延期され、同年8月12日に日本武道館(全日本女子プロレス「ディスカバー・ニューヒロイン・タッグトーナメント」長与千種と組んでタッグ参戦)にてデビューとなる。
アイドルレスラーとしての期待に応えられないとき、長与から「人を驚かすことだけを考えろ」との助言を得る。コスプレやパフォーマンス寄りの試合で人気を博す。2002年3月には長与との「チームエキセントリック」を結成した。
2005年4月10日、後楽園ホールでのGAEA JAPAN(団体解散大会)において引退を表明。女優・タレントとして活動するが、2009年4月29日、極悪同盟興行で限定復帰。2009年12月16日、ユニオンプロレス新木場1stRINGで4年ぶりにプロレスラーとして復帰となる。
以降に、プロレスリングWAVE、NEO女子プロレス、JWP女子プロレスなどに参戦。2020年12月27日、WAVE後楽園ホール大会で野崎渚を破り、第16代Reginaとなる。
プライベートも絡めた話題としては、2012年7月16日、WAVE後楽園大会にて結婚を発表した。リングネームを「旧姓・広田さくら」に改名し、以降はWAVEが主戦場に。2017年3月22日 には双子(男女)が誕生している。2019年以降はWAVEに所属。
2024年4月3日、WAVE新宿FACE大会において離婚していたことを発表(2023年後半に離婚)。2024年4月14日、新リングネーム「シン・広田さくら」に改名した。鈴木みのるからオファーを受け、シン・髙山善廣として2024年9月3日の「TAKAYAMANIA」興行に登場している。