藤田は格闘王の前でも野獣!? 前田「俺は人間だから」【週刊 前田日明】
前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」連載第213回をエントリーします。
※不定期連載となっています。
2年半ぶり!! 前田日明がアマチュア格闘技大会『THE OUTSIDER』を再開
トークイベント記事の前に、前田日明の最新トピックス。12日、前田日明が公式ツイッターで、自身がプロデュースするアマチュア格闘技大会『THE OUTSIDER』の再開を発表した。5月22日(日)福岡・宗像ユリックス大会にて“2年半ぶり”の大会実施となる。
THE OUTSIDER開催!!
〜発祥地から再び伝説の幕開け〜
第55戦 九州大会2022年5月22日(日)
開場 12:00
開始 13:00
会場 宗像ユリックスチケット情報
VIP席 ¥20000 (パンフレット付)
SRS席 ¥10000
RS席 ¥8000
自由席 ¥6000ローソンチケットhttps://t.co/2IenWXax0a pic.twitter.com/x1CgTAdIW9
— 前田日明 Official (@AkiraMaedaWORLD) April 12, 2022
THE OUTSIDER開催!!
〜発祥地から再び伝説の幕開け〜
第55戦 九州大会
2022年5月22日(日)
開場 12:00
開始 13:00
会場 宗像ユリックス
チケット情報
VIP席 ¥20000 (パンフレット付)
SRS席 ¥10000
RS席 ¥8000
自由席 ¥6000
ローソンチケット
https://l-tike.com/order/?gLcode=84818
お膳立てが終わっていた藤田和之リングス移籍。なぜ消滅してしまったのか
少し時間が経ってしまったが、3日、青山 LA COLLEZIONEにて『激論CLIMAX 2022 青山春の陣』前田日明vs.藤田和之トークバトルが行われた。一部となるがカクトウログ名物のメモ書きからトークを振り返る。司会は青木泰寛さん。
(炎のファイター・オーケストラver.そしてキャプチュードの旋律)
藤田「(トークショーは久々ですか?)初めてです」
青木「初めて!?(実際には青木さん司会で2020.02.19トークイベントも経験済み)」
藤田「楽しみで、昨日も眠れず。(前田のことが)大好き、大ファンです」
(ゴソゴソしたと思ったら、持参袋からビール6缶パックを取り出した藤田)
藤田「前田さんと、ハイ、せっかくなんで」
前田「俺きょう、クルマ乗って帰らないといけないからダメだよ」
藤田「じゃあ、自分だけ・・・今日はもう大好きな前田さんなんで、半分仕事抜きで、よろしくお願いします」
(藤田は格闘王の前でも野獣!?)
青木「2人がお会いするのはリングスの(入団が決まりかけていたがアントニオ猪木による阻止でPRIDE参戦)・・・という話が当時あって、(最近になってYouTubeなどで前田と藤田が対面したのは)それ以来!?」
藤田「そうですね」
前田「だから、あの~、たまたま新日本プロレスをテレビでやっているのを見て、一人だけ俺から見たら飛び抜けているヤツがいて、なんだこれって。注目してたのにどうでもいいような“使われ方”だったんで、マッチメイク的に。そんなんだったらなんか・・・もらえないかなと思って。当時の山本小鉄さんに話したら『いいよ、お前のところで使ってやれよ』って。1回、藤波(藤波辰爾、当時・辰巳)さんにも話したら『藤田? いいんじゃない?』これはオッケーなんだなと思って。ぜんぶお膳立てして。2~3日中に記者会見やりましょうとセットアップして、それで気になったから、藤田に『挨拶はしとけよ』ってことで藤田がいろんな人に挨拶して、藤波さんに挨拶したら、なぜか藤波さんが猪木さんにそれを伝えて、猪木さんから藤田に直接電話があって。当時の藤田の発言で自分が覚えているのは、『猪木さんから電話がかかってきまして“お前、前田のところに行ったらどうなるかわかってるんだろうな”。だから行けなくなりました』と」
青木「藤田さん、そうなんですか?」
藤田「いや・・・まぁまぁまぁ。“俺を敵に回す気か”って、すっごいドスきいた感じで言われて」
前田「だったらいいよと。俺自身も新日本にはお世話になったんで、引き抜きじゃなくて四方円満でいけるんだったらという考えだったんで・・・しょうがないなと」
藤田「いちばん大変だったのは藤波さんだったと思います」
前田「しょうがないよね」
藤田「前田さんが笑っていたのを覚えてます。“猪木さんにこう言われました”って言ったら」
前田「新日本にはいろんな選手がいましたけど、モノが違う。リングでの立ち姿から『わっ、こいつイケイケだな』って。怯んだりすることがない、風格、威圧感があった」
藤田家でアントニオ猪木vs.前田日明が実現!? プロレスごっこは父が猪木、藤田が前田
(藤田家でのエピソード)
藤田「ボクは小さいころ・・・みなさんも同じだと思うんですけど、金曜8時の(ゴールデンタイムで地上波放映されていた)あの頃で、ウチの親父がプロレス大好きで、中学3年か高校のとき、親父が寝っ転がって『来い来い』って猪木さんをやったらボクは前田さん(役)なんですよ。ボコボコ蹴っ飛ばして、親父を。親父を蹴っ飛ばせたのは前田さんのおかげです」
青木「前田さん、お身体の調子はさいきんどうですか?」
前田「去年の10月と今年の2月に心臓カテーテルやってだいぶスッキリした。9月に造影剤でCT(検査)やって、最終的に判断して(措置を決める)。(激しい運動は)今のところ『やっちゃいかん』と言われているので」
青木「あとは食事制限ですか」
前田「チートデイが増えるんですよ、俺の場合ね。気がついたら毎日チートデイ(笑)」
青木「何を主に食べちゃうんですか?」
前田「俺はね、昔はねアンコはダメだったんですよ、頭痛くなって。つぶあんとか大好きですね、今は。どら焼きでも東京都内の有名なところから買って来てくれる人がいて、それをね・・・。年取ったら食べれるようになった。今はタマんない。洋菓子系は嫌になった」
藤田「糖尿はないんですか?」
前田「俺、糖尿と痛風はないんだよね。それはよかったよ」
青木「2人とももともとでかくて強いですよね」
前田「藤田は野獣なんだけど俺は人間だから」
藤田「逆です。逆、逆!! 全然違いますよ。ボクにとっては(前田さんは)雲の上の人です」
(藤田の娘の話に)
藤田「一番上がこんど中2で。運動会とか(コロナ禍で)ないですけど、来週試合があったりとか。レスリングの」
前田「優勝したりすんの?」
藤田「いや~まだまだです」
前田「フリーで?」
藤田「フリースタイルです」
青木「将来的にはそういう?」
藤田「わかんないですけど、進むんであればそのときは(前田に)よろしくお願いします」
前田「アマチュアでしょ」
藤田「アマチュアですけど、その先になったらまた」
前田「女の子がボコボコになったらいやでしょ」
藤田「いやですけどね」
前田「差別と格別とか別にして、女の子がこんな顔が腫れたりしたらちょっとね」
青木「将来的に格闘技とかプロレスラーになりたいというのはオッケーなんですか」
藤田「(前田に意見を合わせようとしたのか)ダメです」
前田「俺もダメだね。身体を守る程度はいいけど」
青木「プロレス格闘家以外だったらなんでも?」
前田「なんでもいいです」
(前田ジュニアの話に。下の子(2022年時点で6歳)は女の子だが、上には2007年5月14日生まれの長男・武慶(たけちか)君がいる)
前田「水泳やってます。今年から中学校3年生です。うちはもう勉強からっきしダメなんで(どう勉強のモチベーションを引き出すかの話に)。成績で1人抜くたびに1000円やるっていう。それくらいしないと。身長は170あるかないか。今は鉄道や車に興味を持っててね」
(趣味の話では前田の独壇場)
前田「収集癖があるんだよね。倉庫にコンテナを3つ借りて保管している。水晶や骨董品、習字の道具、旧海軍の航空隊のコスチューム、本なんて6000冊ある。刀にはね、大豪邸一軒建つくらい使いましたね。税金5000万を払わなきゃいけなくなって、3000万と4500万の2本を売った。織田信長が持ってたやつ」
終始、目を丸くしながら聞いていた藤田だった。
伝説のヒョードル戦。格闘技を「やめたくてしょうがなかった」藤田を救った
観客からの質問「一番強かった選手は誰でしたか?」
前田「組んで凄かったのというのはカレリン(アレキサンダー・カレリン)ですね。道場でグラップリングで練習したときに総合的によかったのはコピロフ(アンドレイ・コピィロフ)ですね」
※1999年2月21日、前田日明vs.アレキサンダー・カレリン(横浜アリーナ)。この試合は前田の引退試合。
藤田「そりゃもう、前田さんが探してきたヒョードル(エメリヤーエンコ・ヒョードル)ですね。あれは一番ですね」
※2003年6月8日、エメリヤーエンコ・ヒョードルvs.藤田和之(『PRIDE.26』横浜アリーナ)。
前田「ヒョードル、一瞬ぶっ飛んだもんね」
藤田「でも最後、やられましたけど・・・あそこまでいくと楽しいですね」
前田「もう一発フォロー(のパンチ)があったら完全に勝っているよね、ホント。あるいは寝かしてタコ殴りしてたら。あれはホント、(ヒョードルを追い込んだことに)びっくりした」
青木「日本人だったら?」
藤田「やっぱりヒョードルですか(会場爆笑)。最高でしたね。格闘技が大好きになったきっかけになったんで。もう、やめたくてしょうがなかったんですよ。あくまでボクがPRIDEに出たのはプロレスの・・・自分のポジションから上に行くには何かやらなくちゃいけないと。それでやったんですけど、もうやめたい、もうやめたいと思ってて1年越して、次の年にやったのがヒョードルだった。そういう」
前田「ヒョードルの試合まで、総合の試合をそんなに重ねたわけじゃないでしょ? よくやったな」
藤田「ヒョードルのおかげと言ったらおかしいですけど。ヒョードルのせいでと言った方がいいですか(笑)。格闘技、すごい面白いって。それまではレスリング、日本で代表になったけどオリンピック行けなかったんで『格闘技なんて』という気持ちもあったんですけど、あれはすごい経験でした」
観客からの質問「総合格闘技が全盛期だった時代の、全部がメイン級の大会が忘れられず、今が燃えられないのをどうとらえればいいでしょうか?」
前田「(カラダのサイズが)ちっちゃいっすよね。あと、自分の型を持っていない選手が多くて『タコ殴りしたら勝ちだよ』(というワンパターン)になっちゃった。まだ自分らのときは試行錯誤の時代で、ノックアウトするか、一本取るか。タコ殴りはどうなんかなぁという、そういう風潮があったんですよね」
総合格闘技の黎明期には「自身のルーツを背負ったうえで勝ちにいく」というイズムを持った者同士の闘いがあった。前田の話を掘り下げて聞く時間はなかったが、そういうようなことが言いたかったのではなかろうか。だからこそ、面白かったのだ。
藤田「コロナが終わって、また海外の選手が来るようになったら、いろいろと変わるんじゃないですかね。もっと面白く、熱が入るんじゃないかと思います」
観客からの質問「藤田選手とシウバ(ヴァンダレイ・シウバ)選手の試合で、勝者と敗者の試合後の姿がまるで真逆のように感じた。藤田選手はスッキリ、シウバ選手は負けたような。あれはどういったことでしたか?」
藤田「タオル投げられて終わったんでしたっけ? トレーナーのマルコ・ファスから『投げたけど、お前のためを思ってやったんだよ』。選手としては『いやいやいや』と思うけど、俺のことを思ってやってくれたんだなと。『ああわかった、ありがとう。俺大丈夫だったけど、ありがとね』と。そういう意味でスッキリしたんだと思います。ヴァンダレイはどうだったか知らないけど」
前田「精魂尽きたんじゃない?」
観客からの質問「こいつの打撃やばかったというのは?」
前田「ナイマン(ハンス・ナイマン)がね、すごい変わった蹴りが。ミドルなんですけどココ(足の裏)で蹴るんですよ。ガードしても次にボーンと入るんですよね。そういう蹴りができたんで。長井(満也)とかアバラ折られたんだよね。彼はハイでもそういう蹴りが出せて、対処する側は突き指することもある。誰にもできないですね、アイツだけ独特」
藤田「みんなすごかったですね(笑)。でも怖いから、やらなきゃやられるから、言い方はアレですけど、臆病になるから練習する」