ファンキー加藤「一つの時代を壊してつくったんですよ」武藤敬司を激語り
4月27日、新宿にて『燃えろプロレスファン! 俺たちの武藤敬司!』トークイベントが行われた。「プロレス大好きミュージシャン」「正体不明の”ファンキー”な方」とされたシークレットゲストは、なんとファンキー加藤さんだった。トークの一部を振り返る。
仕事・家事以外は全部プロレス!! プロレス大好きミュージシャンがファンとの語らいに降臨
トークお題が入った紙を箱から飛び出すたび「イヤッ!!」と声を発して拍手を要求!? 2月に引退したばかりの武藤がテーマならば黙ってはいられないということで加藤さんがファンとの語らいに降臨した。
[加藤] 仕事・家事以外は全部プロレスなんですよ。Twitterでもプロレステーマのサブアカウントの方がミュージシャンとしての本アカウントよりも書いてしまっている。いい動画を見つけるとどうしてもシェアしたくなるんです。プロレスファンと交流することがこれまでなくって、Twitterで語り合えることがムチャクチャ楽しくて。
源流はプロレスごっこ時期にある。
[加藤] 兄弟でプロレスごっこ。ボクは武藤敬司役なんですけど、実は何もできないに等しいんですよ(笑)。フラッシングエルボー、まわりにできる人いました!? スペースローリングエルボー、ムーンサルトプレス、ドラゴンスクリュー。どれも難易度高いじゃないですか。
お題には「飯伏幸太」も飛び出す。
[加藤] これから“武藤ロス”の穴を埋めてくれる数少ない選手だと思いますね。YouTubeも面白くって見てます。
エルボー、ドラスク、ムーンサルト…限られた技で成り立たせるグレート・ムタの技量
会場に武藤の歩みが映し出され、加藤さんによるベストバウトが選ばれる。1990年4月27日、東京ベイNKホールでのIWGPタッグ選手権試合「マサ斎藤&橋本真也vs.武藤敬司&蝶野正洋」なのだという。
[加藤] この試合から“華やかなプロレス”が始まったんじゃないですか。武藤さんに聞いたことがあるんですけど、武藤さんはずっとプロレス界で突っ走ってきましたよね。そのプロレスラー人生としての唯一の後悔が「ヒザ手術をしてリハビリしなかったこと」だとおっしゃってましたね。リハビリしてたらもっと違ったプロレス人生だったかもしれない。ヒザが悪くても“できちゃう”からまたヒザが悪くなる。プロレスセンスがなかったとしたら痛めなかったかもというのが皮肉でもありますよね。
トークは“化身”であるグレート・ムタにも及んだ。
[加藤] フラッシングエルボー、ドラゴンスクリュー、ムーンサルトプレスっていう限られた技で魅せる技量ですよね。中学校の時に好きだった女の子もムタだけ好きって言ってましたね。カッコよさが段違いだったんだなって。
Twitterでプチ炎上仕掛けた持論を再力説。日本のプロレスの元号は「力道山」「猪木」「武藤」
お題に「棚橋弘至」。
[加藤] 武藤の系譜を受け継いでいるっていうのが好きなんですよ。そして「ヒザが悪い」っていうのがプロレスファン的にはいいんだよ。ボクもライブとかでヒザが痛いと嬉しいですもん。そこまで痛くなくても“武藤歩き”になっちゃう。武藤が好きでプロレスファンになった人多いですもんね。
加藤さんによる“武藤の強さ”。
[加藤] 道場でもみんなに(1本を)取られなかったって言われてますよね。船木(誠勝)さん・鈴木みのるさんに「グラウンド強い」と聞いたくらい。武藤さんが20代のときに総合格闘技があったらなぁって思います。まだ技術が整備されていない創世記に出てたら面白かった。(アントニオ)猪木さんにガードポジションを「下から攻撃なんてするな」と怒られたってエピソードがあって、柔道にはあるのにってことで、“猪木さんとどこかで合わない”というのも感じたことがあるようです。
加藤さんによる“武藤の偉大さ”。
[加藤] 日本のプロレスに“元号”があるとしたら「力道山」「猪木」「武藤」で説明がつくと思うんです。Twitterでやったのかな。「全日本プロレスがない」とかいろいろ言われたんですけど、「ひとつの時代を壊してつくる」という意味ではこの3人だなと。初代タイガーマスクもすごかったんですけど、短かったのもあってメインストリームまではいかなかった。次の時代をつくる選手に武藤ロスを埋めてほしいです。まだ武藤時代にあると思います。
記憶とリアルタイムの間にあるプロレス界に加藤さんは熱きメッセージを放ち、トークイベントを締めている。
ファンキー加藤 プロフィール
ファンキー加藤
1978年12月18日 東京都八王子市生まれ。
2004年1月 地元八王子にてFUNKY MONKEY BABYSを結成。リーダーを務める。NHK「紅白歌合戦」に4年間連続出場、TBS「輝く!日本レコード大賞」3年連続出演などで国民的大人気アーティストの仲間入りを果たす。2013年6月、人気絶頂の中、夢の舞台でもあった「東京ドーム」にて同グループを解散し、結成から約10年間の活動に幕を閉じた。
グループ解散後の2014年2月12日、ファンキー加藤としてシングル『My VOICE』でソロデビュー。
2021年3月11日、TBS系「音楽の日」にてFUNKY MONKEY BABYSが一夜限りの復活。それをきっかけに「FUNKY MONKEY BΛBY’S」としても2人でFUNKY MONKEY BABYSを歌い繋いでいくことを決断。
2023年3月29日にFUNKY MONKEY BΛBY’S再始動後初のアルバム「ファンキーモンキーベイビーズZ」をリリースし、6月10日からは全国ホールツアー「太陽の街ツアー」が地元・八王子よりスタートする。
FUNKY MONKEY BΛBY’Sとしてもソロのファンキー加藤としても、日本中、世界中の人に力一杯の応援歌を届け続ける。