
柴田勝頼「新日本プロレスをやれた試合」 ついに2017年4月9日を初激白
欠場から4か月後の両国登場、2019年のオカダとの“再会”まで番組に含まれた。番組は3年前の試合のみならず、3年間の生き様が付加されていた。さらには、コロナ禍でアメリカに戻れなかったからこその国内テレワークの実現ともなった。
何度見ても手に汗を握る試合である。そして、自身の試合に満足したことがない柴田が「やりきった試合」だと振り返る。飾った言いまわしはないが、「新日本プロレス、プロレスラーとして、こういう試合をしたかったっていうのをやってたし、やれた試合だなぁと俺は思います」という言葉がズシンと来る。
オカダvs.柴田。2階席からではあるが、ボクが押さえた珠玉ショットから7シーンを振り返り。

「あのときの集中力だけは異常でしたね。あの日は冷静でしたね。ずっと落ち着いてましたね」その思いが伝わってくる。タイツは船木誠勝リスペクトを込めた日の丸入り2017年バージョン。

柴田ファンならどうやってオカダを攻略するかを何パターンもシミュレーションしたに違いない。ボクも「レインメーカーを受け止めたら熱い・・・いや、絶対無理だろうな」と思っていたが、現実となって驚愕した。ちなみに正調式ではなくショートレンジ式。

「いまだになんで試合終わってから歩けなくなったのかは、わかんないです」という言葉もあったが、このシーンのダメージを指摘する関係者・ファンは多い。頭突きのあとに柴田の額から血が流れてゾクッ。

アントニオ猪木がここぞという試合でみせる必殺技、卍固め。かつて柴田は「卍(固めを)かけるとアゴ出ますよ」と発言したことがあるが・・・どうですか!?

されど正調式レインメーカーを食らって、柴田は沈む。空いた左手でコブシを振り上げた柴田は最後の抵抗。もしこれを食らわすことができていたら・・・という想像の余地を残して試合が伝説化した。

オカダ戦より前から右目に斜視があり、オカダ戦後に同名半盲となった柴田。3カウントを喫した後に、右目は閉じているように見える。右半分に力が入らない状態に柴田は陥っていた。

それでもセコンドの肩を借りることなく、スムーズな歩行とはほど遠いケンケン状態で花道を引き揚げる。このあとのカーテン裏で柴田は倒れ、救急搬送された。
柴田がリスペクトする船木誠勝が、柴田とともに志向する試合について語ったことがある。
・ (船木と柴田、ふたりが志向するプロレスは)予定を立てたような動きがない。無理やりにでも相手に技をかけたり、かからないように防御するといった、相手の動きを手探りで確かめながら試合をする、昔のような“緊張感”のあるもの。
・ (具体的には、新日本プロレス初期にアントニオ猪木が活躍していた頃の試合。旗揚げのカール・ゴッチ戦を筆頭に、グレート・アントニオ、パク・ソンナン、ローラン・ボック……ほとんど技をかけさせてもらえない“勝負”をしているもの)ああいうものが今残っているのであれば『やりたい!』と常々ふたりでいっている。
・ アクロバット的なもの、派手な大技が乱発されすぎているような気もするが、それが今のスタイルなら、それはそれで進化してきた形。いきなり『昔に戻れ』といわれてもお客さんも驚いてしまう。パンクラスの“秒殺劇”も、唐突すぎて認知してもらえなかったら2~3試合で(未来が)終わっていたと思います。スタイルが残るかどうかは、お客さんが認知してくれるか否か。プロレスがどう進化していくかという点で、もしファッションのように回帰していくことがあるなら(初期新日スタイルの再現も)ありえるかもしれない。
(2007年 ビックカメラ新宿西口店の発売イベントに「船木 誠勝」氏が登場! ユークス、PS2「レッスルキングダム2 プロレスリング世界大戦」(GAME Watch))
オカダvs.柴田は、回帰と観客認知の両立を目指した名勝負だったと言えるだろう。
この試合を“上回った”試合は2017年にあったのか? そう思うファンもいることだと思う。2017年度東スポプロレス大賞は、ベストバウトが1・4東京ドームでのIWGPヘビー級選手権試合(王者)オカダ・カズチカvs(挑戦者)ケニー・オメガ戦。柴田は4月9日までの出場ながら、敢闘賞を獲得している。
柴田が心技体揃ったとするなら、オカダとケニーも世界的話題となるほどに絶好調の年だった。ケニーによる新スタイルは後に“アスリートプロレス”なる言葉でのイデオロギー論争にもつながった。ケニーから柴田までのスタイルに呼応できるオカダの振り幅には驚愕する。そして、こういう流れがあったからこそ、柴田には「これぞ新日本プロレス」を見せつけたい気持ちはあっただろう。ましてやIWGP戦ともなれば、世間に訴える大きな機会となる。
ベストバウトは取れなかったが、柴田は自身を体現する試合を闘い抜いた。こうして3年後にも特集される試合となった。
春の両国の呼称は、2016年まではINVASION ATTACK(インベージョン・アタック)。ちょうど2017年よりSAKURA GENESIS(サクラ・ジェネシス)へと改称された。2020年は大会中止となったものの、この名称は継承してもらいたい。ボクらはサクラ・ジェネシスという名称を聞くたび、あるいはサクラが咲くたびに、オカダvs.柴田を思い起こすに違いない。