テレビ朝日・三上大樹スポーツアナウンサー 真っ直ぐに生きてきた証
5日に亡くなったテレ朝・三上大樹アナウンサーについて、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』元解説者の金沢克彦さんが30日にブログを更新した。「三上大樹という人物がスポーツアナウンサーとして真っ直ぐに生きてきた証を何らかのカタチで世に残すために記しておきたい」という動機からだった。
(記事アイコン写真は金沢さん提供。後楽園ホールにて左から三上アナ、金沢さん、野上慎平アナ)
[三上大樹アナウンサーを偲ぶ。 | 金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba]
「ああいう表現の仕方で伝わりましたか」プロレス実況で、解説者・金沢さんにも問いかける
金沢さんは寄せ書きの『ワールドプロレスリング』Tシャツに「初MAのこと忘れないよ! GK金沢」と記したのだという。2010年5~6月に開催された『BEST OF THE SUPER Jr.』で実況デビューした三上アナ。デビュー直後のワープロの初MA(「Multi Audio」の略称で、後工程としての音楽・ナレーション入れ)で、解説者・金沢さんと組んだ。
もちろん、初MAからうまく進むことはないし、出来について三上アナは金沢さんに平謝りだった。ところが、以降の約11年間の中での放送席、スタジオMAでは「なんの心配も必要なかった」「三上アナの実況は的確で、受け答えも心地よかった」と振り返る。
その陰には、ワープロとしてのチームワーク、そして三上アナの姿勢と努力があった。
ビッグマッチ後の恒例の打ち上げの席。
あの場面でのあの実況は的確だったのか?
解説は、いいフォローになっていたのか?田畑アナをはじめ、古澤琢アナ(現テレ朝宣伝部)吉野アナ、野上慎平アナ、三上アナの1年後輩にあたる寺川俊平アナなどは、けっこう遠慮なく意見をぶつけ合ったりする。私もよく飲むほうだから、率直に遠慮なくモノを言うタイプ。
野上アナと同期の大西洋平アナは下戸でお酒が飲めないから、どちらかというと聞き手にまわりながらニコニコしている。
そういうとき、三上アナはほとんど自己主張をしない。先輩アナやプロデューサー、ディレクターに話を振られると、そこで初めて自分の意見を口にしたり反省点を述べたりする感じ。
それに彼だけはお酒が入ってもほとんど雰囲気が変わらない。半分プライベートの席であってもつねにジェントルマンだった。
それでいて打ち上げが終わってホテルへ戻る途中などに、三上アナが私の横に立って話しかけてくることが何度かあった。私がシラフになったところを見計らって近づいてくるのだ。
「今日のセミの試合ですけど、ボクの実況をどう思いましたか?」
「〇〇選手に関しては、ああいう表現の仕方で伝わりましたかね?」三上アナの真剣な問い掛けに、私も酔いが醒め襟を正すことになる。出来る限り丁寧に、決してジョークなど織り交ぜることなく答える。彼の生真面目さが、私をそうさせるのだ。まっさらな彼の言動には、そういうパワーがあった。
語り口にも三上アナの実直さが現れる。そこには葛藤もあった。
実況に癖がないので聞いていてじつに心地よい。14年以上のキャリアを積んでも、それは変わらない。だからこそ、いまも無限大のノビシロを感じさせてくれる。そういうスポーツ実況アナウンサーは稀だと思う。まっさらなアナウンサー。
(中略)
プロレス実況アナウンサーには個性的な面々が多い。また、プロレスファンは御多分にもれず実況に関して口うるさい(笑)。個性が際立てば際立つほど、批判にさらされることも多々あるのだ。
そういったなかで、やはり三上アナへの批判の声はまず聞いたことがない。個性やキャラはプロレス実況において大切である。その反面、冷静で中立な実況を好むファンもいる。三上アナはその部分で、かなり思うところもあったようだ。
自分はプロレス実況に向いていないのかもしれません。以前、そんな言葉もチラッと聞いた記憶がある。
そのような過程を経て、2023年の1・4東京ドーム。三上アナは一つの集大成としての、ダブルメインイベント第1試合、ウィル・オスプレイvs.ケニー・オメガ実況にたどり着いた。
出棺前には寄せ書きビッシリの『ワールドプロレスリング』Tシャツが掛けられた
テレビ朝日のスポーツ実況での「おなじみの声」に三上アナがなっていく。そのプロセスにプロレス実況が確かにあった。
プロレス実況はスポーツアナの登竜門とも言われている。
目まぐるしく変化する試合を実況しながら、その試合の意味合い、選手たちの意気込み、そこに至るまでの人間ドラマを実況で表現する。その合間に、2~3名いる解説者に話を振って、その言葉をアドリブで受け止めて消化してみせる。
プロレス実況にはスポーツ実況に必要とされるすべての要素がある。だからプロレス実況で鍛えられたら、どんなジャンルのスポーツも実況できる。歴代のプロレス実況アナウンサーの方々は一様にそう口にしてきた。おそらく三上アナも先輩アナからそういう教えを受けたのだろうと思う。
三上アナの告別式。出棺前には寄せ書きビッシリの『ワールドプロレスリング』Tシャツが三上アナに掛けられた。
10・24マリーゴールド後楽園ホール大会終了後、『レッスルユニバース』放送スタッフであるTSPのKさんと雑談していた。お通夜には足を運んだが、私は三上アナの告別式には顔を出していない。Kさんがそのときの状況を教えてくれた。出棺前のお別れの際、三上アナの身体には寄せ書き付きの『ワールドプロレスリング』Tシャツが掛けられた。
そのとき、『ワープロ』実況アナウンサー陣はみんな号泣していたという。通夜のときには気丈に振る舞っていたみなさんが号泣したというのだ。
カクトウログ管理人は訃報後に、金沢さんと三上アナの実況についてやりとりをし、ふり返らせてもいただいた。それでいて金沢さんの原稿がこのタイミングになったのは、訃報を受けて何か目立ったようなことはしない流れもあった(テレビ朝日も29日の定例会見で篠塚浩社長が触れるなどにとどまる)が、やはり38歳という若さだったことへのやるせなさもあったのではないか。
お時間のある方は、ぜひ金沢さんのブログ記事に目を通していただきたい。
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三上さん、これまで感動を伝え続けてくださって、スポーツ中継を支えていただいて本当にありがとうございました。闘病もあったかと思います、天国ではやすらかにお過ごしください。
三上 大樹アナウンサー来歴
※Wikipediaより
三上 大樹(みかみ ひろき、1986年4月16日生まれ)
来歴・人物
神奈川県横須賀市出身。神奈川県立横須賀高等学校から早稲田大学スポーツ科学部へ進学。高校時代は硬式野球部、大学時代は準硬式野球部に所属していた。
大学卒業後の2009年4月、テレビ朝日に入社。同期入社は板倉朋希、宇賀なつみ、加藤真輝子。入社後は、『ワイド!スクランブル』月~木曜日のコーナー「ズームEYES」を担当するかたわら、スポーツアナウンサーとしても活動していた。
2014年の第96回全国高等学校野球選手権大会期間中には、新人アナウンサーの山本雪乃と共に、朝日放送との共同制作による大会ダイジェスト番組『熱闘甲子園』のサブキャスターを務めた(三上は試合ナレーター兼任)。2015年の同番組では試合ナレーターだけの担当となったが、大会序盤にテレビ中継の実況を2試合担当した。
2019年9月22日、約半年前に結婚していたことが明らかとなった。
2024年10月5日、病気のため死去。訃報は同月8日にテレビ朝日を通して公表された。38歳没。三上は同年7~8月に開催されたパリオリンピックでもジャパンコンソーシアムの一員として実況を務めており、同年9月13日に『報道ステーション』でスポーツニュースのナレーションを担当したのが生前最後の仕事となった。 同局の関係者によれば「急に具合が悪くなって入院した」という。
訃報を受け、同業のアナウンサーをはじめ棚橋弘至や織田信成などスポーツ界から死を悼む声が上がった。 葬儀には上地雄輔、秋山翔吾、小泉進次郎らも参列した。
※日刊スポーツ記事より(『テレ朝・篠塚浩社長 5日急逝した三上大樹アナ「あまりにも突然で残念だし、悔しい」を繰り返す』)
テレビ朝日定例会見が29日、東京・港区の同社で開催され、篠塚浩社長は、5日に38歳の若さで急逝した同局アナウンサーの三上大樹さんについて語った。
「当社のスポーツ中継でおなじみの声だった」とし「パリ五輪ではジャパンコンソーシアムとして活躍していたし、9月中旬まで中継していたので、あまりにも突然で残念だし、悔しい」と話した。
「視聴者の方々からもたくさんのメッセージ等を頂きました。また、お通夜、告別式にはスポーツ関係の方々が大勢列席していただきました」と報告し「三上くんの実直で的確な仕事ぶりが視聴者のみなさまにも、それから取材対象者、スポーツ関係者にも大変愛されていたことを実感した次第です」と話すと「改めて残念で悔しい気持ちでいっぱいです」と繰り返した。