柴田勝頼「自分がやれること、やれる試合ってまだ絶対にある」
21日、CSテレ朝チャンネル『ワールドプロレスリング オレのメモリアルバウト』にて柴田勝頼編が放送となった。
柴田勝頼『オレのメモリアルバウト』かく語りき
自身がセレクトした2試合を、柴田はかく語りき。
■1995年10月9日 東京ドーム 永田裕志、石沢常光 vs. 金原弘光、桜庭和志
この試合は当時、高校のときに見ていて、これが新日本プロレスだって思ったし、これをやりたいってすっごく強烈に思ったのを覚えてますね。自分が高校のときに、永田さんと石沢さんがレスリング道場に練習に来てくれてたんですよ。レスリングの恩師(橋爪幸彦さん)が永田さんの日体の後輩ってこともあって。そのときにホント思ったのが、それまで大学とか練習行ったことはあった。だけどプロレスラーの強さはもう桁違いに・・・カラダで体感したんで。これはもう早く(プロレスラーに)なった方がいいって思いましたね。
新日本における対抗戦の図式というか。特に技なんかも、蹴りとタックルと頭突き、それくらいしかやってないです。技じゃないんだってことで、闘いがそこにあった。ホントにあの状況で、あの場所でできる・・・もう、この先できないですよね、あの闘いというのは。あの時代だから、あのタイミングだったから、いろんなものが交差してできた試合だと思うし。まだ、あの当時だったら若手なわけですよ、石沢さんも永田さんも。だけど、なんかすごく魅力が、プロレスというものがすごく凝縮された試合だったと思いますね。自分のレスラー人生において、やっぱりこの試合ってなんか、プロレスの試合で何がいい試合ですか、何が思い浮かびますかって言われると、これが真っ先に思い浮かんじゃいますね。僕の青春時代です。
■2003年8月15日 両国国技館 G1 CLIMAX 13 Bブロック公式戦 高山善廣 vs. 柴田勝頼
自分が魔界倶楽部というクラブ(ユニット)に所属してたとき、高山さんとの試合がシングルが組まれて。そのときになんか・・・すっげぇもがいてた自分がいて。新日本プロレス所属じゃない外敵なわけですよ、高山さんとの試合。それもまた不思議なことで。自分の中で高山さんから受けた影響というか、お互いになんか感じるものが常にあったという・・・自分が新日本を辞めたときも、連絡を取り合っていたのも高山さんだし。
僕が遠回りしてきたと言われるんですけど、その中で、格闘技の試合を常に見てくれてて。高山さんの状況もいま怪我して、病院にいるんですけど、あの人は本当に常にプロフェッショナルなレスラー。自分には尊敬しかありません。数少ない尊敬できる先輩ですね、それが意外にも新日本じゃないというところもあるんですけれども。やっぱり共感できるところってすごくあって・・・高山さんと。意外と新日本と闘ってたのかな・・・と思うし、プロレスというものを自分がもがいてるってところ、遠回りして、高山さんも同じように通って来た道でもあると思うんで。すごい自分の中では尊敬する大先輩ですね。
高1で観戦したことになる10・9東京ドーム。派手でもなく、アクロバティックでもない試合。特にこの第1試合は顕著だった。これを新日本プロレスそのものと受け止めたときから、柴田はプロレスと総合格闘技を往来する運命だったのかもしれない。
高校卒業後の進路として、柴田はレスリングの推薦で福岡大学進学が決まっていた。しかしながら「大学に行ったら4年間プロレスラーになれない」と思って推薦を辞退、新日本プロレスの門を叩く。ギリギリまでレスリング継続も視野にしていた。ほぼ決まっていたところに「これはもう早く(プロレスラーに)なった方がいい」っていう思いが再燃したことになる。
続いての試合で、G1で拳を交えた高山善廣との関係を柴田は語った。尊敬する先輩もまた、プロレスと総合格闘技を往来した。柴田のフィニッシュPKには高山の得意ムーブが息づいている。
柴田が登場する『KAMINOGE』vol.100の発売が1週間後に迫ってきた。
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