猪木発言の真意 オカダ「猪木さんにお会いしたい、という思いがあった」
7月2日(木)発売の雑誌『Number』にてプロレスが特集され、アントニオ猪木とオカダ・カズチカが対談を行った。
猪木「色んなところで(発言について)聞かれて、こっちは超迷惑だった(笑)」
掲載記事の一部がネットにて公開されている。
【2020年7月2日発売!プロレス名勝負秘話「ベストバウトをぶっ飛ばせ!」 アントニオ猪木×オカダ・カズチカ、歴史的対談が実現!2月の猪木宣言の真意、ベストバウト論、そして、いまプロレスがすべきことは・・・。60分一本勝負でぶつけ合った初対談は全プロレスファン必見!】
[アントニオ猪木×オカダ・カズチカ。歴史的初対談で伝授されたもの。 – プロレス – Number Web – ナンバー]
「元気ですかーーーッ!!」
6月の都内某所、取材場所に厳かに現れた“燃える闘魂”は、待ち構える“レインメーカー”と我々取材陣を前に、そう第一声を発したのだった――。
60分一本勝負のトークバトルのゴングは、予想外の先制“口”撃により高らかに鳴ったのである。
プロレス界の最強レジェンドであるアントニオ猪木と、現役トップレスラーであるオカダ・カズチカ。2人の歴史的対談が、最新号のNumberプロレス特集誌上で実現した。
今回の特集のテーマは「ベストバウト」である。
新旧のプロレスの名勝負を生み出してきた、世代を超えた2人による初対談。この2人の邂逅には大きな伏線があった。
今年2月2日の新日本プロレス札幌大会、試合後のリングでオカダは、マイクパフォーマンスの最後に突如、「僕が今、気になっている人のことを言わせて下さい……」と切り出すと、続けてこう叫んだ。
「アントニオ猪木ーーーッッ!!」
騒然とする場内。その後、この「猪木発言」の真意は語られることなく、新型コロナウイルスの影響による試合の中断を迎えてしまっていた。
「あの後、色んなところで、(オカダの発言について)どう思いますか?」って聞かれて、こっちは超迷惑だったんだよ(笑)」
と言う猪木に、オカダは発言の真意を「猪木さんにお会いしたい、という思いがあった」からだと、対談中で語っている。
オカダはかつて、自身の著書でこうも記していた。
「僕は休みの日にも自宅でプロレスのDVDやYouTubeばかり見ています。自分の試合を見ることもありますが、大抵は古い試合だったり、他団体の試合だったりします。たとえば、アントニオ猪木さんの試合はたくさん見ました。(中略)猪木さんの試合に限らず、昔の試合は現在と比べると古い部分はあるけど、逆に古いからこそ新しいという部分も多いと感じます。やはり、温故知新ということなのでしょう」
(『人生に金の雨を降らせる黄金率』ベースボール・マガジン社、2014年刊)そうしたなかでオカダは、最も印象に残った猪木の試合として、1988年8月8日の藤波辰巳との60分フルタイムの試合をあげたうえで、映像を見ているうちに「気がついたら、猪木さんの顔ばかり見ていた」と回想する。
対談の最後、話は新型コロナによる試合の中断や無観客試合の期間を経て、いまの状況下でプロレスは何をすべきか、へと向かっていった。そこで猪木はオカダにこう伝えている。
「社会を敵に回すことだよ」「こういう時代だからこそ、世間を振り向かせてほしい」
世の中に対して何かを仕掛け、新しいものを生み出す。
それは今回の対談で、猪木からオカダに伝授されたプロレスの極意の1つだった。
Number 1006号 プロレス名勝負秘話「ベストバウトをぶっ飛ばせ!」の巻頭では、アントニオ猪木×オカダ・カズチカの歴史的初対談を、迫力の写真とともに10ページにわたり掲載しています。上記の内容は両者の熱い戦いのほんの一部。ぜひ誌面でその全容をご覧ください。
買って読みました。ここでの猪木発言の真意は「猪木さんにお会いしたい、という思いがあった」となるが、もう少し掘り下げられているので誌面で確認を(ここでは書きません)。
猪木発言は猪木とオカダの間に何かプランや約束があってのものではない。むしろ「色んなところで(発言について)聞かれて、こっちは超迷惑だった(笑)」と猪木が口にした。それでも接近を試みたのには、オカダからの猪木への思いがあった。
“感情”に重みの昭和プロレスは、“攻防”に重みの平成プロレスとなって生き延びた
昭和から脈々と続くプロレスを振り返ったとき、もちろんどこかの時点から全く違うものになったというものはない。プロレスはプロレスであり続けている。ただ、オカダが「気がついたら、猪木さんの顔ばかり見ていた」と回想しているように、レスラーの“感情”に重きを置いて見るプロレスが昭和にはあった。
一方で、闘魂三銃士や四天王プロレスへと移行する中で“攻防”に重きが置かれるようになる。技や身体能力に優れた選手が重宝され、見ていて楽しい、ビギナーにやさしいプロレスが展開されるようになった。
怒りの背景にあるものを知った上で闘いを楽しむマニアは、どこかで初心者を排除していたところもあったのだろう。この当たり前にしていたことを新日本プロレスが否定することで、プロレスは生き延びた。“攻防”プロレスは、中邑真輔、棚橋弘至、オカダを中心に確立されていった。
中邑、棚橋、オカダから感情が伝わってこないわけではないのだが、猪木の時代の感情の出し方というのはまた違う。現在のプロレスとは違う“夢中にさせるアプローチ”があるから、オカダもついつい学びたくなるのだろう。昔の方がよかったと言うつもりはボクにはないが、探求心を忘れないオカダがいることで猪木との顔合わせが実現した。
ただオカダさん・・・「社会を敵に回すことだよ」だけはあまり真に受けないで(笑)。