猪木を前にすれば藤波はいつだって「1人のプロレスファンなんですよ」/平成最後の金曜夜8時ドラディション後楽園トークほぼ全文
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藤波辰爾率いるドラディションは、4月と10月に興行を行うのが恒例となっている。4月大会が26日に行われ、メインエベントとして実施された藤波とのトーク対決にアントニオ猪木が来場した。会場にて観戦しました。
大会結果。
・ 藤波辰爾、アントニオ猪木氏からの闘魂ビンタに「懐かしい。まだまだビンタを続けて欲しい」…4・26後楽園大会全成績(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
猪木登場シーンについては、モバイルサイト「プロレス格闘技DX」が詳細を無料で公開している。
・ 4-26【ドラディション】平成最後の金曜8時に猪木と藤波がリングで邂逅 闘魂注入&「ダー!」 坂口来…プロレス格闘技DX
猪木と藤波が「平成最後の金曜8時 DRADION 闘魂LIVE」と題されたトークショーを行った。これまで2人が揃ってリング上に並び立つことはあったが、あくまでも猪木はあいさつや「ダー!」の雄叫びを上げるにとどまっていた。しかし、藤波は「猪木さんが一番似合うリング上で皆さんと一緒に時間を共有したい」という思いから1対1のトークを企画。新日本プロレスの黄金期である70年代〜80年代に『ワールドプロレスリング』が放送されていた“金曜8時”に合わせて、師弟がリング上で向かい合った。
2人の関係は50年近く続いている。藤波は猪木に憧れて1970年に日本プロレスに入門し、翌71年5月にデビュー。同年12月に猪木が日本プロレスを除名されると、行動を共にして退団。1972年3月の新日本旗揚げ戦では第1試合に出場した。その後、ジュニアヘビー級の第一人者として活躍した藤波は81年にヘビー級転向。暴動騒ぎや選手の大量離脱などで新日本が冬の時代を迎えると、88年4月には沖縄で自ら髪の毛をハサミで切って決意を見せ、猪木にメイン禅譲を迫る飛龍革命をぶち上げた。
猪木との戦いで特に名勝負と呼ばれるのは88年8月8日の横浜文化体育館におけるIWGPヘビー級戦。猪木負けたら引退もささやかれた状況での一戦だった。師匠・猪木の挑戦を受け止めた藤波は60分時間切れでドロー防衛。猪木は自ら藤波の腰にベルトを巻いて愛弟子を称えた。藤波が越中に、猪木が長州に肩車された場面はあまりも有名だ。
ゴングが打ち鳴らされると、スーツ姿の藤波が登場。続いて、猪木が姿を現すと後楽園ホールは「猪木」コールに包まれる。まずはガッチリと握手を交わすと、いきなり猪木があいさつ代わりに闘魂ビンタをお見舞い。機先を制された藤波はその場に倒れ込んだ。
時間無制限の”メインイベント”として選手コールを受けると、リング上は2人だけに。まずは藤波は「猪木会長にリングに上がっていただき、感無量です。感無量のビンタをいただきました」と頭を下げたが、猪木は「元気ですか! 元気があればなんでもできる。元気があれば、なんだろう、今日は? バカヤロー!」といきなり絶叫。「普段できない話をしましょう。世の中はつまらないですね。出たとこ勝負のほうが面白いでしょ」と早くも段取りを無視し、「今日は昔の女を全部揃えるのかなって。女性の話と政治の話は御法度ですから」とアントンジョークで自分のペースに持ち込んだ。
トークテーマは8・8師弟対決となる予定だったが、猪木はそれもかき乱す。藤波が沖縄で髪の毛を切って決意を見せた時のことを問われても、「そんな昔のことは忘れちゃったよ」と即答し、その場所についても「北海道でね」と言い張った。
そこから話題は二転三転したが、やっと師弟対決にテーマが戻ると、「この間、テレビを見て思い出しました。8・8ですよね。”ハハオシャレ”って」とまたまたアントンジョークで笑いを誘った猪木だったが、「確か俺がヒザを痛めて手術した頃だったかな。その頃は限界が来ている状況もあったし、早く次の時代にっていう思いもあったんで」と当時の状況を明かす。そして、「どうなのかね、いい試合かどうかって自分で言うのはおかしいからね。見た人があれは『いい試合でした』っていうものだから」とつぶやくと、客席からは「いい試合だった!」の声が飛び、大きな拍手が巻き起こった。
当時の猪木は45歳で、藤波は34歳。年齢差やコンディションの違いは歴然としていた。藤波は会場の異常な暑さを振り返り、「僕はずっと会長の付き人をやってましたんで、凄さはわかってたんですけど、あの時は最後、身震いして怖かったです。どこからそのエネルギーやスタミナが来るのかなって」と疑問をぶつける。猪木は「相手が憎らしいからだよ」とニヤリ。藤波が「僕は汗をかく方なんですけど出過ぎちゃって。変な話なんですけど、1日半から2日ぐらい、オシッコが出なかった。それぐらい出し切っちゃったので」と試合後のダメージを明かしたが、猪木は「あんまり汗かかなかったかな」と断言して場内を沸かした。
「昔は水飲んじゃいけない。今は水飲めって。時代が変わればね。どっちがいいのかは別として、ただ、スタミナだけはね。朝、よく走ってましたから」と猪木。藤波も一緒に走った思い出を語ったが、猪木は「なんてことはない。糖尿病だったから(笑)」と一笑に付した。
その後も昔話に花が咲いたが、藤波は「忘れられない人がいるんです。ぜひこの方と猪木会長が並んだところを目に焼き付けたかったんですよ」と現在は新日本の相談役を務める坂口征二をサプライズで呼び込んだ。坂口が登場すると、藤波、猪木とガッチリ握手。黄金コンビの再会に場内は大歓声に包まれた。
2人がリング上で向かい合う場面を見て、藤波は「この姿をもう1回、ファンの皆さんと一緒に僕自身が見たかったんです」と喜びをあらわにすると、新日本旗揚げメンバーで藤波のデビュー戦の相手を務めた北沢幹之をリングに呼び込む。そして、出場選手たちもリングに集結し、最後は猪木の「ダー!」で締めることに。
観客も総立ちになると、猪木は「平成も終わりですからね。なんだか次のあれはピンと来ないんで。令和ですかね? そんなのはどうでもいいか」と笑い飛ばし、「1つ、健康でありますように。1つ大きな夢を持ってもらって。1つだけ余分なんですけど、選挙に出てくれと言うんですよ。今、選挙事務所を一生懸命探したんですけど、いいところが見つからない。で、北朝鮮に頼んで、衛星で選挙事務所を作ってもらおうと思って。馬鹿な話でごめんなさい」とアントンジョークでまたまた場内を沸かし、藤波、坂口らとともに「1、2、3、ダー!」と拳を突き上げた。
猪木たちを見送った藤波がリングに残ると、大「ドラゴン」コールに包まれた。藤波は「本日は最後までのご観戦ありがとうございました。そして平成最後、新しい元号を迎えるにあたって、僕の夢に付き合っていただき、本当にありがとうございました」と感謝すると、「今回のタイトル通りに『ネバーエンディングドリームツアー』という感じで、僕の夢は続くと。もう少しプロレスでいろんな夢を見てみたいと思いますので、よろしくお願いします」とさらなる夢の実現を見据え、平成最後となったドラディションの興行はフィナーレとなった。
週刊ファイトからも補足。
・ 平成最後のアントニオ猪木リングインは「金曜夜8時」ダーッ!! 闘魂ビンタ食らった現役・藤波辰爾が吹っ飛ぶハプニング – 週刊ファイト
・ 2月19日のジャイアント馬場没後20年追善興行ではリングサイドでの挨拶にとどまり、リングに上がらなかった猪木。コンディションが心配されたが、この日はリングへの本格的な階段が設置され、ロープがすべて外される万全体制となった。『炎のファイター』に乗って登場した猪木は、階段を上る際には付き人の手を借りたものの、リングインするや自力で歩行する。
・ ファンが新日本プロレス黄金時代を振り返るトークに耳を傾ける。「宿舎で大会後に、必ず猪木さんの話を聞くのがいちばん“いい時間”でしたね」と藤波が師匠への傾倒ぶりを口にすれば、猪木は「昔は部屋でバクチ打ったりとかね」とおどける。
・ 日本プロレスから追放された際の話に差しかかかると、猪木は「こんな悪いヤツ(猪木)を追い出した、みんなバンザイという感じの写真が東スポに出た。写真を見ると藤波と木戸(修)が下向いてしょぼくれてたんです。声をかけないわけにはいかないでしょう」と秘話を明かす。
このほか「師匠の力道山に殴られた俺が一発も殴らなかったのが藤波」と猪木が明かせば、藤波は「私生活では殴られませんでしたね。ただ、練習で手を抜いているときにプッシュアップボードで殴られた」と返答する一幕も。観客がポカンとなる“試合前から流血”状態だったという。猪木は「今からなら訴えても大丈夫だよ」。
「かわいい子には旅をさせろ」とばかりに、猪木が藤波をアフリカに置き去りにした事件にもトークは及ぶ。それでさえ藤波は「あれがあって、今はどこにも不安なく行けます」。トーク最中に感極まり、藤波が「(猪木の前では)1人のプロレスファンなんですよ」と告白する。猪木は「(藤波の大会なので)今日は持ち上げなくていいんだよ」とした。
もちろん自らの興行をプロデュースしなければいけない立場もあるだろうが、猪木ファンであり続ける藤波の素晴らしさ!
終盤には坂口征二、北沢幹之も登場。大会出場の藤原喜明もリングインしたが、“今日は藤波の大会だからいいよ”ということか、観客にシーッのポーズで猪木に気づかれないようにふるまった(ちなみに27日の藤原トークイベントに猪木も来場予定)。猪木の1・2・3・ダーッ、藤波の挨拶で大会は締めくくられた。
ひとつのクライマックスは、猪木のリングインシーンだった。ファイト記事にある通りの様子で実現したが、トーク冒頭には「腰が悪くてうしろ向けなくてね」と“機敏に北側席に振り向けない”ことへの断りを入れた猪木。現在の身体に向き合わざるを得ない状態ながら、トーク全体が活気とサービス精神にあふれていた。
昭和・平成とボクを奮い立たせてくれたアントニオ猪木。時代が令和に変わっても、猪木はボクらに「元気ですか!」と問い続けてくれるのだ。
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