新日時代の深イイ話連発 されど蝶野が先輩たちに苦言!?【週刊 前田日明】
大車輪キックで藤波辰巳が大流血。前田「俺自身がビックリして思わず高橋さんを睨んだ」
(続き)
1986年6月12日、大阪城ホールでの藤波辰巳vs.前田日明。コーナーを背にした藤波に、前田は大車輪キックを放つ。この状況についてもファンから質問が飛んだ。
前田「肩を狙ったんだけど、藤波さんが動いちゃって額からバーッと血が出てしまった。想定外だったんで、(何かやったのかと)リング上の(レフェリーのミスター)高橋さんをパッと睨んだんですよね。オレ自身がビックリした」
当時を振り返る前田。
前田「何十発と蹴りましたけど、藤波さん、腰から落ちないですもんね。藤波さんがいたから長州さんもオレも引き立ったんだよね。長州さんも、全日本に行ったりといろいろあったけど、そういう相手にあってないでしょ」
コロナ禍で腰痛に・・・でも『ガキの使い』断れず。前田のダイエットは進んでいるのか?
蝶野「コロナになってから腰に来ちゃいまして。去年(2020年)の10月。『ガキの使い』を断れなくて、踏ん張れなかったからビンタしたときにコメカミに入って。食らった方が『エッ』て顔してて」
前田「ちょうど3年前に、いまの蝶野のように腰痛でね。リングス時代のトレーナーを探し当てて治療でよくなった。最近はダイエットをしようということで、和田(良覚)君をサポートにお願いしてね。ダイエットの一環で筋トレをしてる。スクワットやデッドリフトをいきなり言い渡されて、ダメだと思ったらできた。最初は40~50キロ。今は130キロ。年取ってきてほったらかしにしがちなんだけど、怖がらずにトレーニングした方がいい。栄養も取って」
前田のダイエットは進んでいるのか?
前田「ダイエット企画やったんだけど、いちばん体重があったときは150キロ。胸囲で147。ヨーロッパから帰って来たときは115キロだったんだけどね。それで、20年ぶりに筋肉量も測ったんだけど、何もやってなかったのに筋肉量が93キロだった(落ちてなかった)。そういうトレーニング、お薦めしますよ」
どれくらい進んでいるのかは明かされず(笑)。もっとも、アウトサイダー準備のための会合で食事が必要な場合も多いと聞いたことがある。トレーニングする一方でしっかりとした飲食となるとなかなか難しいかも。
真相究明なるか熊本旅館事件。前田「みんな“水俣”と言うけど“人吉”だよ。山の上にある」
どうしても真相に迫りたい蝶野の意向で、熊本旅館破壊事件の話に。新日本プロレス水俣大会(水俣市体育館)が行われた1987年1月23日の夜の出来事だと言われている。
蝶野「(当時の東スポプロレス担当記者)Yさんが『私たちも呼ばれた』と言ってまして」
事件のハイライトの一つである武藤敬司と前田の殴り合いも、蝶野は「最後は高田(延彦)さんが前田さんを羽交い絞めにして武藤さんが1発殴った。そこでみんな笑って盛り上がった」と和やかムードを強調していたが、Y氏によると「前田さんが武藤さんに馬乗りになって、バッカ~ン、バッカ~ンと殴り出して。(場が)凍りついたよ。1発殴られるたびに武藤さんの顔が変形していった」と明かした。
(中略)
さらに現場に「いなかった」と訂正したはずの古舘についても、Y氏は「いた。僕は見ている。猪木さんの席で話していた」と重大証言。これには蝶野も「ウソっ! 本当に!?」と驚くほかない。
(新日本プロレス〝旅館破壊事件〟見届けた記者が初証言「武藤さんは顔面崩壊」「古舘さんいた」(東スポWeb))
前田「レスラーの親睦会だから、マスコミはいないよ。弁償は100万円っていう話もあるの!? 山本(小鉄)さんからずっと700万って聞いてたんだけどね」
蝶野「ちょっと待ってください。会社から700万で、誰かが途中抜きして100万!? どこまで追求していい話かわかんなくなってきました(笑)」
司会(ユリオカ超特Qさん、この日は絶妙の藤波モノマネも披露)「いまや日本中を巻き込む事件ですから」
前田「ひょっとしたらリング屋さんはいた・・・くらいかな」
蝶野「前田さんも3発程度の話じゃないみたいで。3日後までテレビ大会はなかったようなんですが」
前田「いやあ、(記憶では)武藤が(翌日のテレビ中継大会を)休む、自分には出ろって話だったから。旅館の場所をみんな水俣って言うんだけど人吉なんだよ。山の上にある」
事件は1987年1月23日、熊本県水俣市で起きた。
アントニオ猪木率いる新日本プロレスは同月19日より九州巡業に入り、この日は湯の児温泉の「松の家旅館」が宿泊先となっていた。ちなみに外国人選手は、同じ水俣市内の「ビジネスホテル恋路」、シリーズに帯同するUWFメンバーは、国鉄水俣駅の前にあった「水俣旅館」に宿泊している。
(古舘伊知郎も橋本真也も現場にはいなかった…プロレス界伝説の大乱闘「旅館破壊事件」の“ウソ“と34年目の真実 | 文春オンライン)
「松の家旅館」は戦前に創業された老舗で、当時は先代主人と女将(梅村さんの両親)、梅村さん夫妻、それに数人の女性従業員だけで切り盛りする、家族経営の旅館だった。
7階建ての旅館は、海に面した崖に沿って建てられており、細い道路に面した最上階の7階がフロントで、6階が40畳の大広間、5階から2階が客室、そして1階が温泉の浴場となっていた。宿泊客が出入りできるのは基本的に7階のみ。エレベーターはなかった。
(「前田さんが猪木さんのところで何かを訴えていたんです」 旅館の主が振り返る昭和プロレス史の伝説“旅館破壊事件”が起きるまで | 文春オンライン)
つじつまが合わないが、さすがに“水俣の宴会”とは別の“人吉の宴会”が存在するとは思えず、海辺なのに「海に面した崖に沿って建てられており、細い道路に面した最上階の7階がフロント」という特殊な旅館を“山の上”と前田が勘違い!?
「翌日がTVマッチ」という記憶も、実際はノーTVマッチで「放送に武藤の顔が映るから」と思い込んでいた前田の勘違い!?
はい、こういう話はグレーのままである方が面白いのだが、本当はどうだったかというのも少し知りたい(笑)。話は尽きないが、イベントは3ショット撮影会なども挟みつつ開催され、最後は前田と蝶野がショット用のポーズを決めていた。