訃報一夜明け闘魂伝承 前田・山崎・藤田が猪木を語った【週刊 前田日明】
カクトウログ 香川県出身ですが、猪木さんとの唯一のシングル。
前田 はい、高松。
カクトウログ 高松市民文化センターで見ました(1983年5月27日、IWGP決勝リーグ戦「アントニオ猪木vs.前田明(当時のリングネーム)」)。前田さんがスープレックスを連発するも、猪木さんが逆転勝ち。試合で学んだこと、感じたことはありましたか。
前田 あのころの俺は猪木さんが言わんとすることを理解できなくて。シャカリキになって闘うだけじゃなく、硬軟織り交ぜて、技とか試合計画で引っ張っていくことがダイジなんだよと。俺にわからせようとしたんじゃないかと。猪木さんは「過激なプロレス」だから自分はハードヒットということばかり考えていたんですけど、あにはからんや、拍子抜けで試合は終わったんですけど。
カクトウログ プロレスの考えとしての分岐点になりましたか。
前田 お前がやっているそれだけじゃなく、もっと趣のあるおっきいものなんだよ、ということを教えようとしたんじゃないかと。いま振り返ると、そうだったんだろうなと。
山崎 ボクらから言わせると、猪木さんが格闘技戦に突入して藤原(喜明)さんがスパーリング、前田さん、高田(延彦)さん、自分も加わりUWFの流れになる。新日本プロレスが本当は猪木さんなんだけど、猪木さんの意志がUWFにも流れている。その上にはカール・ゴッチさん。ゴッチさんは蹴りを認めないけれど、ボクらは蹴りを入れて華やかにした。
前田 自分が入った新日本はモハメド・アリ戦の1年半後くらい。当時、試合のテレビ前に新日本ジムっていうボクシングのジムがあって、東洋ミドル級王者がいて、当時の新日本の道場はボクシングのグローブ、全員分あったから。
山崎 UWFは猪木さんがいたからできた。
前田 自分はプロレスに対して真っ白で入りました。猪木さんはプロレスを、あらゆる格闘技の技術が入った競技にすると言ってて、自分たちはその通りにやったんですよね。
山崎 UWFはいちばんマジメな人たちです。
前田 猪木さんがいなかったらUWFもリングスも、修斗もK-1もPRIDEも総合格闘技も何もなかったです。
山崎 猪木さんは一人でいろんなことができる人。やったことのうち、デスマッチはある意味、大仁田(厚)さん。格闘技系はUWFになったんだろうなと。猪木さんは天才で、自分のプロデュースができる。会場のどこから見てもアントニオ猪木であるように、指先から足先、表情。一瞬たりとも。リングを降りても。その凄さはボクらは真似できない。誰でもホッとしたいじゃないですか。
---聞いたのは、ホテルオークラのロビーであえて人目のつくところにいて、声をかけられる。「チケット買って見に来てくださいよ」と言われて、そりゃ行きたくなる。ずーっとやられていたと聞いた。プライベートでも隠れない。
藤田 言われるとそうですね。常に、ハイ。
山崎 プライベートではしゃいでいることがないのが猪木さん。ずーっと猪木さんでいるのがすごいなぁ。
---猪木さんは弱音とか見せたことはあるんですか。
前田 糖尿で血糖値が800くらいあって、でもスポンサーからの接待はちゃんと食べるし飲む。血糖値上がるじゃないですか。ホテルに帰ってバケツ一杯、氷を入れて、15~20分、氷風呂につかる。その話を何人かに言ったら、糖尿病の人でやった人がいて、「とんでもない、できない。死にそうになった、入れない」と。猪木さん、毎日やってましたからね。
藤田 やってました。氷入れて何するのかなと思った。
前田 自分がイギリスから帰ったとき、糖尿病で下手したら失明するとか、当時から言われていた。ずーっとです。
山崎 そういう無理が重なって難しい病気になられたんじゃないかと(個人的には)思ってます。
前田 カロリー消費をするために氷風呂なんて、とんでもないですから。
---今日の感想をいただければ。
藤田 はい、今日は1日、ありがとうございました(声が詰まる)。この前にちょっと(目頭を押さえる)。
前田 ここに来る前に猪木さんのご遺体に挨拶(自宅へ弔問)だったから。
藤田 ・・・楽しかったです。ありがとうございました。(拍手)
前田 昨日の午前中にパソコンを開いてたら、本当に驚いてですね。それからずっと色んな事を思い出している。自分のことを思い返したら、18歳で新日本プロレスに入ってなかったらどうなっていただろうと。猪木さんと新日本プロレスに出会って、その一員になれたことがすごく幸運だった。
時には敵対していたこともあるが、猪木寛至という人間が生きた時代に生を受けて、同時代に同じ息を吸って、猪木さんとああでもないこうでもないとやり合えたことを誇りに思う。今は本当に猪木さんのご冥福をお祈りするばかりです。(拍手)
山崎 今日の自分は、藤田さんが前田さんの地雷を踏みそうになったら止めてね、という役割だったのかなと。昨日の猪木さんのことがあって、思い出すと、猪木さんと闘って追いかけてということが経験できたことが自分の宝物だと思います。(拍手)
偶然ながら、ボクの質問から猪木モードに再スイッチが入ってイベントはファイナル。あとで参加者から声をかけられる。「あのあと、ディック・マードックの“尻出し”について質問しようと思っていたんですけど、できませんでしたよ」。確かに(笑)。
唯一の猪木・前田シングルを会場で見届けたことも含めて、ボクのプロレスファン人生にも多くの記憶というお宝が得られた。訃報一夜明けイベントでの出演者との対話もまた、忘れられない思い出となりそうだ。
そして、改めて。アントニオ猪木というレスラーは実に凄すぎる。