原悦生「棺の中でも猪木でした」 50年撮り続けた写真家が語った闘魂
アントニオ猪木が亡くなって1か月越えとなった2日、書泉ブックタワー(秋葉原)における燃える闘魂追悼企画として「猪木」著者・原悦生さんによるトークイベントが行われた。語られた闘魂をメモ起こしから振り返る。
原悦生著「猪木」(G SPIRITS BOOK)“闘魂”を50年撮り続けた写真家の記憶と記録
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「俺は寒風吹きすさぶ66年11月21日、東京プロレスの板橋焼き討ち事件の時にその場にいたんだよね。お目当てのアントニオ猪木も出ず、暴動が起きて、火が放たれているというとんでもない状況で落胆が半分、もう半分はそういう現場に臨んでいる自分に興奮していたよ」―古舘
「私は十数年前、猪木さんに呼ばれて旧ホテルオークラに行ったら、“俺の死に際を撮ってもらいたい。でも、別に自殺するわけじゃないんだ”と言われたんですよ。あの言葉の意味は何だったのかなと…」―原
これから猪木さんの名前を使ったイベントはギャンブル。名前だけで圧倒する凄味
まだなくなったという実感がないんです。
これから猪木さんの名前を使っていろんなイベントが行われていくことになりますけど、けっこうギャンブルだと思います。名前だけで圧倒する凄味が猪木にはある。裏目に出ることもあるでしょう。猪木はそれくらい凄すぎた。
亡くなってからも人を驚かせるんじゃないかなぁ。
いや本当に、知ってる人にも(死角から急に表れて)「元気ですかーっ!!」って驚かせる人ですよ。そんなことやるわけないと思うでしょ。サービス精神の塊ですよ。亡くなって・・・それをもっと思うようになりました。
告別式に行ったわけですが、この顔が蝋人形じゃないかくらいに感じました。後ろから「バカヤロー!!」って出てくるんじゃないか。それが猪木さんだったかと。
1年の半分以上一緒にいたこともありますね。会話しないんですよね。たまにダジャレが返ってくる。「それは前にも聞きましたよ」みたいな。
猪木さんは何者だったんですかね。引退しても亡くなってもプロレスラー。そんな気がしています。
控室でギョロっとした目でコメントするわけですが・・・殺人を犯してきた人の目ですよ
<出版社のサポートで、「この日の気分で選んだ」原さん撮影写真20枚とともに猪木が語られた>
これは茨城の大会ですね。猪木さんを撮った1枚目。白ガウンに闘魂で、思い出深いです。客席はガラガラでしたね。リングシューズの紐は白ですが、このあといちど黒になってまた白になる。
会場が暗いわけです。ISO320が高感度と言われていた頃。2倍の明るさで現像してもらってました。シンか上田かハンセンにやっているナックルパートがカッコよかった。
モンスターマン戦ですね。猪木さんは「あいつの蹴りは速かったよね、でも威力は少しないんだよ」。それで顔面で受けにいったんだと思う。
グレート・アントニオ戦。グレートは泣いてましたよね。なぜあそこまでやったのか。「アントニオ」という名前が嫌だったのか? グレート・アントニオ戦の後に(移動のため原さん自身が)車で走っていたら警察に止められて「ヘッドライトが片方ついてない」と。そしたら警察の目に入った自分のシャツに血がべっとりついてて。「あんた何!?」ってなったんだけど、リングサイドでそれくらい近いところで撮ってた話をして。「あしたライトは直してね」って話で済みましたけどね。
マスクド・スーパースター戦。これは「高い卍」を猪木さんがやったという写真(高さがある位置で卍固めを決めている)。気に入ってる。
(ニードロップで飛んでいる写真になり)ニードロップのかっこよさですよね、猪木は。場外にもやりますよ。「プロレスっていうのはリングのどんな部分でも使った方がいいんだ」って言ってましたね。金具を使うこともあったし。
(選手コール時の写真)コールで紐を解く。かっこよすぎるんですよね。横からでも下からでも。ポーズはイタリアでも有名で、IWGPシリーズのころの放送が4~5年遅れでゴールデンだったんですよ。みんな見てました。聞かれたときに「アミーゴだ」って言ったらエッと言われてね。
(ラッシャー木村戦後の)控室でギョロっとした目でコメントするわけですが・・・殺人を犯してきた人の目ですよ。
(延髄斬り写真)後ろから撮っても顔が見えることがあるんです。2階からならもっと見える。他の選手は顔の向きが上がってないですよね。「高く飛んでかぶせるようにやる」って本人は言ってましたね。
(マサ斎藤への延髄斬り)マサ斎藤には思いっきり行ってましたね。“首が太いから大丈夫だろう”くらいな感じで。延髄斬りの中ではこれ、けっこう好きです。
(ファイティングポーズ)この手の開きが狭い方が実戦的で好きではあるんですが、若いとき、日本プロレスのときは、開きが大きい。馬場さんがいたので大きく見せようとしてたんでしょうね。
猪木さんに睨まれたらタマらないですよ。カメラを持っているから(カメラ越しになるので)近づけますけどね。
「明日くる?」「今日くる?」電話がかかってきたら行かないわけには・・・
<観客からの質問を受けながらトークは進む>
他のレスラーとの違いですか? 観に来ている人全員に自分をアピールしてました。どの席でも全員が「猪木が自分を見てる」と思ってましたよね。目力が違う。
(病床での写真)9月に入ってからも猪木さんのところに3回行きました。でも、8月に撮ったときの写真の方が気に入ってますかね。
食べるとお腹を壊すんで、ちょっとずつ食べて水を飲んでた。最後はずっと炭酸水で。9月の最初のころは日本酒を一杯だけ飲んだりしてました。
「明日くる?」「今日くる?」電話がかかってきたら行かないわけにはいかないですよね。自分(原さん)だけに弁当が用意されてたりしてね。最後に外で食事したのは、7月のオークラでしたね。
会うのをシャットアウトされたことはなかったです。議員会館にいたときも下から電話すればよかったし。
自分はただ“いるだけ”なんです。でも声がかかる。猪木さんにとって何だったかはわからないんですが、「仲間」って言ってましたね。光栄です。ゴハン食べてお酒飲んで帰るだけでしたけど。猪木さんのパスポートを持ってたときもありましたし。1回も「撮っちゃいけない」はなかったし、幸せでしたね。
素の猪木寛至を見ましたか? 全部“素”なのか全部“猪木”なのか、境目がないですよ。私は寝てるときも猪木だと思っていた。棺の中でも猪木でした。
猪木さんがいてみなさんもこうして集まる。猪木さんに惹かれ続けたわけですが、1年くらい経ったらもっと恋しくなるかもしれません。
いかがだっただろうか。間近で猪木を見てきた写真家の証言。
オカダ・カズチカが凱旋帰国したとき、カメラを意識して試合ができることが話題になった。だけれども、被写体として申し分ない猪木は、見せ方の天才とも言えた。目力であり、顔の映り込みであり、選手コールの受け方からリングの使い方であり。いま昭和プロレスを見ると概ねスローに感じるわけだが、驚くほど俊敏になるシーンで驚かせるのもまた猪木。
“見せ方”の一端を原さんには明かしていたことになる。だけれども、猪木が寡黙なところがあったことで、すべては明かされなかった感も残った。それもまたアントニオ猪木の神秘性となったのではないか。これはもう広い意味で墓場まで持っていったとしか言いようがない。
それでいて原さんの著書『闘魂』にはエピソードと珠玉写真がビッシリ448ページ詰まっている。猪木の神秘に近づく私たちの旅は、むしろスタートしてしまったのかもしれない。