田村潔司「ここだって思ったのは・・・」 2008年に桜庭和志戦を受けた理由
2008年12月31日の桜庭和志戦(Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~さいたまスーパーアリーナ)を闘った理由とは? 田村潔司が25日更新のユーチューブで言及した。
複数年に渡るオファーを断り続けた末の・・・12年半ぶり対戦実現
【本人直撃】桜庭和志VS田村潔司(リングスは「大変」総合が「楽」の意味) 20200425
動画タイトルについては「リングススタイルを見に来ているファンを意識して試合をしなければいけなかったリングス」「自分が勝てばいいのが総合」との持論を展開している。そして後半に桜庭戦について自らテーマ設定。
複数年に渡るオファーを断り続けた末の・・・12年半ぶり対戦実現。なぜか田村はずっと「2009年」と言い間違えているが・・・どこまで明かされた!?
2003年、2004年くらいからかなぁ、桜庭戦のオファーを毎年いただいてたと思います。
そのときのボクもひねくれてて、変な大人の事情の試合としてやりたくないという純粋な気持ちもあったので「ちょっとなぁ」と考えることもあって。
(中略)
(2008年12月31日に実現)ここだって思ったのは、だんだん総合格闘技の人気が下降線をたどっている時期で、噂レベルで(地上波テレビの)大晦日放映を外されるんじゃないかと聞いてて。肌感覚でもありましたが。そこで1回・・・ボクごときがと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「桜庭-田村」というソフトを大晦日に出して、次につながればいいなと・・・キレイに聞こえるかもしれませんが。「最後になるかもしれないから出とかなきゃな」ということは考えていたかもしれません。
ギャラは言えないんですけど、ギャラに関しては2005年(に桜庭戦をオファーされた際)に出場した方が全然よかったと思います。そのときお金じゃない部分の方を大事にしてた記憶があるんですが…逆に桜庭選手にとってみるとすごく迷惑な話だと思うんですが。いろんな理由がある中でひとつ桜庭選手に伝えたいのは、ボクは「対桜庭」に関してはすごく大事にしてた、自分になりに大事にしてたんじゃないかと思います。
大晦日の総合格闘技放映が終わってしまうかもしれないという危機感。そして大事にしていた「桜庭戦」。両方のエッセンスがあっての判断。
特別な理由ではないし、これ以上に具体的に噛み砕かれることもなかった。田村の気まぐれぐあいと不器用の間のアクションだろうか。ただ、自身の見解として残したい気分に駆られたのだろう。
対戦実現に期待は膨らんだが「運命の一戦は大凡戦で幕」
カクトウログでも、同一戦については何度も何度も記事化した記憶がある。