世界Jr.王者・青木篤志がバイク事故死 3日夜のニコプロ名物『毒演会』スタジオに向かう首都高にてトンネル壁に衝突
全日本プロレスが青木篤志の死去を4日に発表した。3日の深夜にバイク事故を起こし、搬送先の病院で亡くなった。
写真は全日本プロレス公式より
・ 事故死の青木さん「全日本の中心に」熱い思い胸に…(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース
全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王者青木篤志さん(41)が、交通事故で急死したことが4日分かった。青木さんは3日午後10時半ごろ、東京都千代田区北の丸公園1の首都高速道路、三宅ジャンクションのトンネル内で250CCのバイクを運転中に事故にあった。その後搬送先の都内の病院で死去した。
青木さんは3日はオフだったが、月1回放送で午後10時開始のニコニコ生放送「青木篤志の毒演会」に出演予定だった。番組開始に青木さんが現れないため、スタッフが携帯に連絡を入れたが出なかったという。家族の意向で事故の詳細は明かせないというが、事故が午後10時半ごろだったことから、何らかの理由で遅れた青木さんが、急いで向かっていた可能性もある。
事故を受けて、全日本の秋山準社長が会見した。青木さんは自衛隊を辞めノアに入団した05年、秋山社長の付け人としてプロレス人生のスタートを切った。秋山は「あいつのことを見てきたのはオレだけだと思うので。あいつはボクと似ているところがあって、ピンチの時は、パッと現れて助けてくれましたね」と声を震わせた。
レスラーとしては遅い28歳でこの世界に飛び込んだ青木さんは「何か1つ人に負けないものを持とう」と、人の何倍もの練習で強靱(きょうじん)な肉体を作り上げた。デビューから1度も試合を休まなかった。秋山とともにノアから移籍した後は、道場長として若手の指導にあたり、秋山を支えた。
先月20日の後楽園大会では、王者岩本煌史に挑戦し、4度目の世界ジュニアヘビー級王座戴冠。「もう1度オレが全日本の中心になる」と強い決意を示していた。プロレスへの熱い思いと、リングを離れたときの温かい笑顔が印象的だった。デビュー14年。プロレス界にかけがえのない人が逝ってしまった。
◆青木篤志(あおき・あつし)1977年(昭52)9月25日生まれ、東京都大田区出身。高校時代はアマレスで活躍し、卒業後に陸上自衛隊入り。05年5月にプロレスリング・ノアに入団。同年12月24日に、三沢光晴、田上明組とのタッグ戦でデビュー。10年12月に丸藤と組んでGHCジュニア王座を初戴冠。13年1月に、秋山準らと全日本に移籍。14年5月に世界ジュニア王座を獲得。今年5月までに4度同王座を獲得した。170センチ、85キロ。得意技はアサルトポイント。
事故の詳細については秋山は「聞いてはいますけど、ご家族のご意向もありますので話せません」としている。
3日午後10時開始の『青木篤志の毒演会』は本人不在ながら、青木の到着を待ちわびるファンの書き込みで進んだという。ついには2時間現れず“中止”となったとのことだが、視聴者にとってもこの展開は思いも寄らぬものとなっただろう。
新日本プロレスもホームページで悼む。
・ 新日本プロレス、公式サイトで全日・青木篤志さん死去を悼む(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
新日公式サイトは「青木選手は、2005年12月にプロレスリング・ノアでデビューし、生え抜きのジュニア戦士として活躍。2009年には新日本プロレスにも参戦し、『BEST OF THE SUPER Jr.XVI』にエントリー。初出場ながらベスト4に進出する躍進を見せた。また2010年7月には、当時・王者だったプリンス・デヴィット選手の持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦、敗れるも好勝負を展開した」と経歴を紹介。「青木選手のご冥福をお祈りいたします」と名選手の早すぎる死を悼んだ。
もちろんプロレスラーも交通事故に逢う確率はあるわけだが、「こんな死に方があるのか!」との思いに駆られる。言葉が出ないし、悔しすぎる。
ただ、ただ、実力派レスラーがせめて天国でやすらかに眠っていることを祈りたい。
お客様がほとんどいない後楽園ホールで声上げて頑張ってくれたな。あの時があったから今があると思ってるよ。
そして、これからもっと盛り上げてくれると思ってた。— 秋山準[Jun Akiyama] (@jun0917start) 2019年6月4日
青木篤志
自衛隊体育学校レスリング時代から可愛い後輩たった。心よりご冥福をお祈り致します
— Takashi Sugiura (@noah_sugiura) 2019年6月4日
ご冥福をお祈りいたします。
語るには早いしまだまだ信じられないのですみません。
— 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) 2019年6月4日
青木さんが突然、遠くへ行っちゃいました。
ずっと青木篤志&佐藤光留のタッグを応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
今、とても混乱しています。
でも大丈夫です。
少し時間をください。何らかの形で自分の中の事を話します。
少しだけ、時間をください。— 佐藤光留 (@hikaru310paipan) 2019年6月4日
青木
若手の頃から近くにいて、試合で組む事も多かった。
選手としても素晴らしく
後輩への指導もわかりやすく丁寧に教えていた。突然過ぎて信じられない。
心よりご冥福をお祈り致します。
— 金丸 義信 (@kmaru0923) 2019年6月4日
世界ジュニア王者の青木篤志選手が交通事故により逝去されました。
青木選手には弊社で「青木篤志の毒演会」を長らく担当していただいており、トップ選手と気さくに交流できる番組として大人気でした。青木選手のご冥福を心よりお祈りします。 https://t.co/IPj3WOh4Ry
— ニコニコプロレスチャンネル (@nicoprowres) 2019年6月4日
青木篤志選手のご冥福をお祈りします。
— 棚橋弘至 (@tanahashi1_100) 2019年6月4日
青木篤志選手
心よりご冥福をお祈り致します— KUSHIDA (@KUSHIDA_0904) 2019年6月4日
R.I.P… Atsushi Aoki
— Shinsuke Nakamura (@ShinsukeN) 2019年6月4日
青木。つい先日店に来てくれたのに。まじか。。。
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2019年6月4日
朝早い時間に佐藤が電話で知らせてくれた。泣きじゃくってた。そりゃそうだ。。。いつも横にいたやつが突然…いたたまれない。ご冥福をお祈りします。。
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2019年6月4日
信じられない。寂しくなるよ青木。
心よりご冥福をお祈りします。
— KENTA (@KENTAG2S) 2019年6月4日
今日ジムでエアロバイクを漕いでいる時にテレビを観ていたら、全日本プロレスの青木篤志選手がバイクの事故で亡くなったニュースが流れて驚いた。
たまにゴールドジムで一緒になって、最近も挨拶を交わしていただけに残念に思う。
心から御冥福をお祈り致します。— 武藤 敬司 (@muto_keiji) 2019年6月4日
去年 羽田空港でガタイのいい、にいちゃんに「ゆでたまご先生ですね」声かけられ「エ..エ」返事すると「私プロレスラーの青木篤志です、キン肉マン大好きです」と辞儀して丁寧に挨拶されたのを覚えています。謹んでご冥福をお祈り致します。
— ゆでたまご嶋田 (@yude_shimada) 2019年6月4日
青木篤志選手。ハードヒットを観に行ったときの大会終了後、高山さん募金箱を持ち呼びかけをされてました。募金をすると「必ずお届けします」と笑顔で答えてくださったことを思い出します。だめだ、悲しさが止まらない…
— 榎本タイキ Taiki Enomoto (@taiki_e) 2019年6月4日
青木篤志プロレスラーの軌跡 #ajpw #noah_ghc
世界Jrヘビー級王座(第37、39、47、51代)
アジアタッグ王座(第92、99、101代)
Jr BATTLE OF GLORY16年優勝
Jr TAG BATTLE OF GLORY14、15、16年優勝
GHCJrタッグ王座(第13、15代)
日テレ杯争奪Jrヘビー級タッグリーグ10年優勝
AAA世界タッグ王座(第6代) pic.twitter.com/UT4pex9oOK— 優 (@batt20110528) 2019年6月4日
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