柴田勝頼、生存率18%以下からの咆哮! 2017年オカダ・カズチカ戦における怪我から現在まで2年3か月の濃厚ロードを振り返る
リング上に姿がなくとも、そのスピリットは新日本プロレスとともにあり、ファンとともにある。実際にロサンゼルス道場でプロレスを継承し、その歩みを通じてプロレスラーとしての姿勢を伝え続ける柴田勝頼。2017年オカダ・カズチカ戦における怪我から現在まで2年3か月の濃厚ロードを振り返る。
すると、わかることがある。試合をしていようといまいと、行動すればそれが柴田勝頼になる。軸を持って生きるというのは、そういうことなんだろうなぁと思ったりもするのだ。柴田の思いがもっとカタチになることを、七夕に祈りたい。
「週刊 柴田勝頼」サイトに振り返りを掲載していましたが、引き続き目覚ましい柴田の動きを半年分ほど足すことができていませんでした。このタイミングで更新しました。情報は、新日本プロレス公式サイト、大会中継、モバイルサイト「プロレス&格闘技DX」連載日記、公式YouTube動画、インタビュー掲載メディアなどを参照しています。
【2017年】
ブログ更新:柴田勝頼「俺の18年は誰も真似できない。そもそも生まれた時から俺は新日本プロレス」~オカダとの前哨戦タッグ対決10大会&IWGP戦が決定! https://t.co/t0zPWRD4LO #njpw #njsg pic.twitter.com/kt4ICWdtDY
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ブログ更新:オカダ新日本入団は10年前、それ以前の団体低迷期に柴田は何と闘っていたのか? 奇跡のIWGPヘビー級戦まもなくゴング/煽りVTRも公開 https://t.co/9Vb0GOK3KE #njpw #njsg #柴田勝頼 pic.twitter.com/aYqoEzVd2y
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あれから4年半。相棒の桜庭は新日本から去ったが、柴田が待望のIWGPヘビー級挑戦へ。#njpw #njsg
中邑真輔「(柴田勝頼&桜庭和志の新日本参戦に)盛り上がってるのは『KAMINOGE』とカクトウログだけじゃねぇのか?」
2012年10月『KAMINOGE』11号 pic.twitter.com/DpCVGkSvV8
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4月9日の両国国技館大会でのオカダ・カズチカ戦直後に倒れ、救急搬送された柴田勝頼。早急かつ適切な処置があり血腫の量も少なかったとされたものの、「硬膜下血腫」との診断で5時間超の緊急手術を受ける。この際に外した一部の頭蓋骨は、5月2日の再手術において戻された。抜糸を経て5月下旬に退院、眼の状態が良くないため強い電流を流して脳と眼に刺激を与える特殊な治療を開始した。
ブログ更新:オカダのレインメーカーで力尽きた柴田、退場後に「バックステージで倒れて動けなくなり、救急搬送」と報じられる https://t.co/6OMhsiRRvR #njpw #njsg #柴田勝頼 pic.twitter.com/WAdott8GfL
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長期欠場が濃厚となった柴田は、オカダにメッセージ。「ケガのことは気にするな。常にそういうものだと思って試合をしているから。何も後悔していない。ちゃんと生きているから大丈夫。お前も頑張れ」。4月末に菅野洋介トレーナーを通じて連絡があったことを、のちにオカダがメディアからの取材の中で明かしている。
6月の日記では、自身の症状名が「同名半盲」であることを明かす。両眼ともに右半分が見えていない。聞いた方が絶望的になるということで、この症状をファンに伝えることを柴田は避けていた。あえて明かしたのは、治ることが難しいと医者に言われているにもかかわらず若干の視界の広がりを得たからだという。7月には頭や顔の腫れもひいてきたことから「人と会って話をする、飯を食う」機会も。8月に入ると、電気治療のここまでの取り組みから「リハビリと治療の段階がもう一段階上がった」と報告した。
G1クライマックス最終日が近づいた8月10日、柴田は会場でのファンへの挨拶を会社に申し入れる。8・13両国大会で大シバタコールに男泣きしつ、「生きてます! 以上!」と絶叫マイク。登場自体で『百聞は一見にしかず』とばかりに奇跡的な回復ぶりをファンに示唆した。バックステージではカメラのフラッシュにはまぶしそうにしたものの、「また、シッカリしたかたちで会えるようにがんばります」とリハビリ継続を約束。電気治療に加えて、両国登場明けからは高気圧酸素治療(医療用の酸素カプセル)をスタートする。
ブログ更新:両国国技館G1最終戦に「Takeover」の旋律、4か月ぶりにリングインした柴田勝頼「生きてます! 以上!」 https://t.co/jbczp1kCI1 #njpw #g127 #柴田勝頼 pic.twitter.com/48IlSck6ju
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両国登場からさらに4か月後の12月11日・福岡大会、柴田はサイン会に登場した。長蛇の列をなしたファンに対応し、「何よりも自分自身がたくさんのエネルギーを頂きました」と振り返る。ストレスや副作用の関係で約2か月半休んでいた治療の再開の方向を日記に記した。1年を総括した際に、オカダ戦後の手術での生存率について「術後、実際のところ助かる確率が18%以下だったと聞かされました」と告白しつつ、根気と長い時間を必要とするリハビリ、トレーニングの継続を宣言している。
【2018年】
年が明けて、2018年1月3日の大プロレス祭りサイン会に柴田が登場する。「これは動けるようになったら必ずやろうと思っていた目標の一つ」ということで、サイン会場スペースにはTAKAYAMANIAの募金箱(高山善廣のリハビリ支援)が設置された。1月4日の東京ドーム大会にも足を運んだ柴田は、「新日本プロレスらしさの足りない大会にも感じた。足りないと感じたモノは、自分が個人的に追求していけばいいかなと解釈しております」と“らしい”コメント。
「最近、調子の良い時は歯を食いしばらずに懸垂が7回ほどできるようになって参りました。本当はもっと出来るのですが、力を入れ過ぎたり歯を食いしばると頭に血がのぼって良くないみたいなので」とトレーニング上での変化も明かした柴田。新しい年にあたり「自分自身、まだまだリングにどうこうという段階では無いのですが、半年前より随分と(懸垂やサイン会を含めて)いろんな動きができるようになっております。今年は動ける範囲でいろいろと動いていきたいです」とする。
1月18日には都内『2017年度 東スポプロレス大賞』授賞式に顔をみせた柴田。オカダ戦以降で公の場に出たのは4度目。頭部の怪我のこともあり、この授賞式を前に足を運んだ美容室は10か月ぶりとなった。3月に入ると、ロサンゼルス道場のヘッドコーチに柴田が就任したことが新日本から告知された。日本のプロレスの歴史を練習生に伝えながら、現役選手のままで自身のリハビリも進めていくことを宣言している。
ブログ更新:柴田勝頼がプロレス大賞授賞式に登場~10か月ぶり美容室でサッパリ頭、たくわえた口髭! 「闘ってみたい」発言の鈴木秀樹、乾杯役就任の小橋建太とも対面 https://t.co/MBFWBVywbU #プロレス大賞 #柴田勝頼 pic.twitter.com/7LaNean81v
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ブログ更新:柴田勝頼ヘッドコーチ「ここはパフォーマンスセンターではない。他のスクールとの違い? どの道場にも柴田が居ません」 ロス道場が正式オープン、鏡割りで木槌を破壊 https://t.co/U4v9as1KlQ #柴田勝頼 #njSSE #njpw pic.twitter.com/tGOMNc5yj6
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3月の同時期の日記では、眼科医が驚くほどの視界の回復(1/2程度だったものが、調子によっては3/4程度まで)、ロサンゼルス道場で過去最高のコンディションを目指す意思など怪我からの1年の経過・心境を長文で綴ってみせたが、詳細を書き過ぎたと思い直したのか大幅削除する一幕も。
欠場入りから1年経った4月4日発売分『週刊プロレス』誌でのインタビュー。柴田自身の“復帰”はあるのか? 柴田は自身のケガを「皆さんが思っている以上に時間がかかるもの」「自分もよくわかんねえよ」とした半面、「1年でここまでの回復って医者もビックリするレベル」なんだという。このくだりで「1年経つ前にアクションを起こしたかったっていう部分では、(志願してヘッドコーチに就任したことで)目標というか、一つケガには打ち勝ったかなと思っております。これも自分の中のプロレスなんですよ」との言葉が出た。
6・21後楽園ホール大会では、スーパー・ストロング・マシン引退セレモニーに魔界倶楽部の一員として花束を持ってリングイン。8月に入ると、柴田は日記で道場ハウス(道場生寮)開設を報告した。寮には4名の受け入れが決まっており、日々の合同練習は他の若者含む10人前後の規模なんだという。ロサンゼルス道場コーチ活動が本格化する一方で、キャンプの合間を縫いつつ何度か一時帰国。柴田は会場でのサイン会、検査やファイプロ音声収録をこなした。サイン会では4・14後楽園ホール大会、6・9大阪城ホール大会、8・2福岡大会、8・4大阪大会、8・12日本武道館大会、10・26後楽園大会に登場し、ファンとのコミュニケーションをとっている。
【ブログ更新しました】長期欠場突入後の柴田勝頼がサイン会で関西初登場! ファン応対はオカダvs.ケニー戦よりも長い130分ロングランだった プロレス・格闘技の情報配信|カクトウログ ブログ#njpw #njdominion #柴田勝頼https://t.co/XIBuud0G6e pic.twitter.com/SEzWEjqoVT
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【ブログ更新しました】柴田勝頼、長期欠場後2度目のリングインは"魔界4号"として! ストロング・スタイルを標榜した男の転機にストロング・マシン#njpw #njkizuna #スーパーストロングマシン #柴田勝頼
星野勘太郎の写真を携え、スーパー・ストロング・マシンに花束https://t.co/7dDRhqV438 pic.twitter.com/3eLt3ntQOH
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また、8・12武道館大会では、G1クライマックス優勝決定戦にて棚橋弘至のセコンドとして登場。制覇した棚橋を肩車で祝福するなどの盟友との熱きシーンはファンを歓喜させた。試合前に柴田から棚橋にかけた言葉は、棚橋によると「新日本プロレスを見せろ」だったが、15日更新分日記では「アイツらに新日本プロレスを見せてやろう!」だったと柴田は振り返る。肩車までできたことで「1年前と比べて随分とリングに近づいてきたという感触があります」と綴った。
毎週水曜のプロ格DXでの #柴田勝頼 日記は諸事情による入稿遅れ、7/4中には掲載の見込みとのこと。無理のないタイミングで全然OKっすよ、シバタさん! pic.twitter.com/Z3oCMR4rVK
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【ブログ更新しました】ファン願望「G1決勝の棚橋セコンドに柴田が現れたら熱い」が現実に! 肩車した柴田「随分とリングに近づいてきたという感触」#柴田勝頼 #棚橋弘至 #g128 #njpw
物語を積み上げろ! 3~8月の柴田関連振り返りhttps://t.co/Aqm2FdKpdM pic.twitter.com/ljgWxLuCM8
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9月~11月には公式YouTubeにて『ザ・レスラー 柴田勝頼 LA道場密着ドキュメンタリー「CALIFORNIA DREAMIN’」』が5回分に渡って公開された。「自分にしかできないことですよ、とにかくやっていきたいことは。他の選手に務まることだったら俺はここはすぐ降りてもいい。俺にしかできないことをやる」などとヘッドコーチへの意思が改めて語られた。デカくなった上半身の披露もありつつ、ヘッドギアをつけてスパーリングに参加する風景も挿入されていた。
「(新日本の海外進出を見て)いいんじゃないですか。やっぱり、スポットライトは魅力的で『あの中に行きたい』という気持ちにはなりますね。この前のカウパレスも、遠くから見ていて、あの中心がいいなぁと」とも。ドキュメンタリーは第5回にて、現地時間・9月30日(日)アメリカ・WALTER PYRAMID大会においてのLA道場生デビューマッチ「アレックス・コグリンvs.クラーク・コナーズ」へと辿り着いている。また、現地時間・11月10日(土)カルフォルニア州アナハイム大会ではLA道場“第3の男”カール・フレドリックスがデビューを果たした。
【2019年】
2019年も、1月3日の大プロレス祭り、3月23日の長岡大会、6月5日の両国国技館大会と精力的にサイン会に繰り出している。大プロレス祭りではモノマネ芸人(棚橋弘至、中邑真輔に扮する)と並んで“新闘魂三銃士”ショットを披露する場面も。
まさかの新闘魂三銃士再結成!? 柴田勝頼2019.1.3「大プロレス祭り」サイン会まとめ#njpw #njwk13 #大プロレス祭り #柴田勝頼
⬇️明けまして🌟ザ・レスラー⬇️https://t.co/XwRJkJpzZO pic.twitter.com/VfIq2fCalw
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コグリン、コナーズ、フレドリックスも参加となった現地時間・1月30日ロサンゼルス大会、2月1日シャーロット大会、2月2日ナッシュビル大会の新日本プロレス3大会では、米政府機関閉鎖の影響で多くの日本人選手のビザが取得できず不参加になる異常事態が発生した。挨拶が予定されていた柴田は観客に謝罪しつつ「俺が新日本プロレスだ。俺たちは新日本プロレスだ!! そしてLA道場こそ新日本プロレスだ!!」と宣言する。のちの柴田の日記では、会社の姿勢として「“ごめんなさい”の一言がないのが一番良くない」という思いがあったことを告白した。
3月24日、長岡大会での『NEW JAPAN CUP 2019』優勝決定戦にオカダが進出した。実況席に座った柴田は「私がここ(長岡)に来るのが2年ぶり。(制覇して)挑戦を表明した(相手だった)のがオカダだった。人生って面白い」と吐露する。試合を制したオカダが柴田との“再会”後のバックステージで涙すると、柴田は「オレは生きてるから安心しろと。大丈夫だ、泣くな。いろんなものを背負ったうえでマディソンで試合(ジェイ・ホワイトとのIWGPヘビー級戦)をしていただきたい」とエールを送った。
【ブログ更新】NJC制覇オカダが2年前覇者・柴田との“再会”で涙! 柴田「プロレスって面白れぇな。オレは生きてるから安心しろ、泣くな」#njcup #njpw #オカダカズチカ #柴田勝頼
長岡で交差したオカダと柴田ほぼ全記録! 柴田「彼の2年、私の2年。時間は止まってない」https://t.co/jWeTbpU6BW pic.twitter.com/Q2UdUtHubm
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6月9日、大阪城ホール大会において柴田がソウルメイトであるKENTAを呼び込み、KENTAが夏のG1クライマックス参戦を表明した。バックステージでは、「友だちが少ないところも似てるし」としたKENTAと「友だちが多いと、闘いづらいからね。唯一、ボクの数少ない友だちを連れてきました」とした柴田が意思疎通を図った。
【ブログ更新】柴田勝頼が帯同したKENTAがG1参戦表明! KENTA「友だちが少ないところも似てるし」 柴田「友だちが多いと闘いづらいからね」#njdominion #njpw #g129
6・9大阪城大会結果&コメントまとめ。モクスリー、鷹木、KENTA、オスプレイ、ジェリコがG1参戦表明!!
⇒https://t.co/EkuCbSctPI pic.twitter.com/WDBFF0v7MY
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【ブログ更新しました】沈黙の後藤洋央紀、“同級生”柴田勝頼がいるLA道場で修行していた! G1初出場初優勝「柴田に一番伝えたい」発言から11年#後藤洋央紀 #柴田勝頼 #g129 #njpw
公式動画「混沌の荒武者、復活へのリベンジロード」で明らかにー
⇒https://t.co/CM3hPTks7m pic.twitter.com/qykyNY6VAm
— プロレス格闘技📝カクトウログ (@kakutolog) 2019年6月24日
6月24日には“同級生”後藤洋央紀と“ヘッドギアをつけていない”柴田のスパーリング風景が公式YouTubeにて公開された。G1にエントリーしていた後藤は、約1か月に渡ってLA道場で柴田と特訓してきたのだ。G1アンダーカードにはLA道場からコナーズ&フレドリックスが初来日となり、道場ヘッドコーチ柴田がG1全戦を視察する。
>> 新日本プロレス公式サイト
>> 週刊 柴田勝頼
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