いろんな話に乗ってしまうアントニオ猪木を守ってきた田鶴子夫人が天国へ 至近距離で3度お見かけしたときの思い出
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報道されているように、27日にアントニオ猪木を支えた「ズッコさん」こと田鶴子夫人が天国へ旅立った。一部で病床にあると伝えられていたが、76歳である猪木の16歳年下とされていることから60歳前後での早い死となる。猪木もショックを受けていることだろう。
猪木の結婚歴。
1回目の結婚
1964年からのアメリカ武者修行中に現地アメリカ人のリンダさんと結婚。
1人出産となった子供は幼いころに亡くなる。2回目の結婚
1974年に女優の倍賞美津子さん。
長女が生まれている。結婚生活17年で離婚。3度目の結婚
1989年に22歳年下の尚美さん。
参院選初当選時に並んでメディアの前で結婚を明かす。
翌年に長男が生まれている。2012年に離婚。4度目の結婚
2017年に16歳年下の橋本田鶴子さん。
団体IGF役員、2011~2013年公設秘書、猪木マネージメント会社「CORALZ(コーラルゼット)」副社長。
2014年時点で半同棲状態にあったとの報道あり。
東スポより。
・ アントニオ猪木氏の妻死去 家族が明かす闘魂への献身生活(東スポWeb) – Yahoo!ニュース
“燃える闘魂”ことアントニオ猪木氏(76)の最愛の妻、田鶴子さんが27日に死去した。猪木氏が自身のツイッターで「8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました」と報告。「カメラマンとして私の写真を撮りながら、いつも献身的に尽くしてくれました」と感謝の言葉をつづった。2人はカメラマンと被写体の立場で出会い、5年にわたる密着撮影の末、2001年に出版された写真集「人生のHomeLess アントニオ猪木写真集」を手掛けたのが田鶴子さんだった。
その後は長年にわたり猪木氏を支え、17年に結婚。猪木氏の義理の息子だった新日本プロレス元社長のサイモン氏(45)はこう振り返る。「健康面も含め全てをマネジメントしてくれて、本当に感謝しています。糖尿病の血液検査を含め、インスリンとか薬を飲むタイミングを管理して。バッグの中にはいつも猪木さんに必要なものが全て入っていました。少しでも疲れた様子が見えたらマッサージのアポを取ったりもしていた」
サポートはプライベートだけにとどまらなかった。昨年9月に北朝鮮建国70年の祝賀行事に参加するなど、政治家の猪木氏が積極的に行ってきた北朝鮮外交の窓口としても活躍。田鶴子さんが持つパイプを生かしたものだった。また、猪木氏の肖像権などを管理するマネジメント会社「コーラルゼット」の副社長も務め、文字通り公私にわたるベストパートナーだった。
当然、周囲からはそんな伴侶を失ったことを心配する声もある。「猪木さんには常にいろんな人間が集まってくる。その中にはよくないことを考えている人もいるわけで。それをうまくコントロールしていた夫人がいなくなってどうなってしまうのか」(格闘技関係者)。猪木氏は9月2日にモンテローザのキャンペーン記者発表会に出席予定で、その発言に注目が集まりそうだ。
夕刊フジより。
・ アントニオ猪木を守り抜いた“ズッコさん” 「人間は信用できない」と寂しそうに… プロレス解説者・柴田惣一氏、田鶴子さんの素顔明かす (1-2ページ) – zakzak
2017年7月28日。“プロレスの神様”カール・ゴッチの納骨式が行われた東京・南千住の回向院に、猪木はいた。当然のように、かたわらには田鶴子さんが寄り添っていた。
この5カ月前、猪木の誕生日(2月20日)に、入籍したばかり。左手の薬指には大きな結婚指輪が輝いている。それを確かめるように、何度も触っていた。
愛称は「ズッコさん」。カメラマンとして猪木の写真集を出版。猪木の専属マネジメント会社の取締役副社長も務めていた。
公私に渡りマネジャー役をこなすようになってから約20年。さまざまな人たちが思惑を秘めて猪木を取り巻いていた。猪木を利用してひともうけをもくろむ輩も多かった。ズッコさんは猪木を守るために、批判を覚悟の上で「壁」になった。いつしか、猪木と直接連絡を取れる者は、ほぼいなくなった。
不満が渦巻く。ズッコさんに厳しい声が飛び、中傷する記事も出た。気丈に振る舞ってはいたが、実はかなり気にしていたようだ。「人間は信用できないの」と寂しそうにつぶやいた姿が忘れられない。
回向院住職の愛犬を抱きしめ何やら語りかけていた。「良い子ね」「かわいいですね」…漏れ聞こえてくる。「動物はウソつかないから」。悲しげな瞳が潤んでいた。
10年以上前にいただいた手紙には「たくさんのジェラシーの中、頑張ってます」と書かれていた。
カラオケでは、PUFFYの『これが私の生きる道』を替え歌で「近ごろ、猪木さんは、いい感じ(寛至=猪木の本名)~」と楽しそうに歌っていた。
猪木の体をよくマッサージしていた。小柄なズッコさんが、巨体をもみほぐすのは大変だったようだ。「疲れちゃうのよ。その後、自分がマッサージに通うのよ。世話ないよね」と苦笑いしていたが、その顔には喜びがあふれていた。
カメラマンとしても猪木を撮り続けた。「私がカメラを向けると、とびきりの顔を見せてくれるの。フフッ…」。まるで猪木のように笑った。
ただ、写真を撮られるのは大嫌いで、私が2人のツーショット写真を撮らせてもらおうとしたら、「私が撮ってあげるわよ」とスマホを奪われ、逆に撮られてしまった。
「猪木にささげ、猪木を守るための半生」を生き抜いたズッコさん。これからも、天国から猪木を見守っていくに違いない。合掌。(プロレス解説者)
ファンは知っているように、ビジネス上のいろんな話に乗ってしまう猪木。ここ5年以上は田鶴子夫人が“守ってきた”と言っていい。記事にもあるが、今後の猪木が心配ではある。うまくサポート体制が整っていることを祈りたい。
個人的に至近距離で3度お見かけしたときの思い出。
2014年3月17日深夜に仲介あって「猪木さんと飲める」という話になり、会員制のバーに会社仲間と足を運んだことがある。こんな機会は人生一度きりであるが、猪木はボクらにぶっちゃけて政治バナシを口にしていた。田鶴子夫人(この頃はまだ結婚はしてなかったことになる)は猪木の隣りに寄り添い、ボクらと猪木の記念ショットの時間帯をつくってくれたりシャッターを押してくれた。猪木のまわりを自ら仕切って支えていらっしゃるんだなと強く思ったものだ。
2017年9月14日、「INOKI ISM.2 猪木劇場~アントニオ猪木『生前葬』~」発表記者会見。メディアの手伝いで現場に入らせてもらったのだが、猪木入場とともに後ろについてカメラを回していたのが田鶴子夫人だった。会見終了時には記者陣の近くに歩を進め、「このたびは取り扱いよろしくお願いいたします」と頭を下げていた。自らが猪木興行を成功に導かなきゃという使命感、集客への危機感を持っていらっしゃったのだと感じた。
2017年11月3日、アントニオ猪木酒場新宿店が移転リニューアルオープン。
・ 猪木降臨するも「オープン今日なの? 何も聞いてないんだよ」 アントニオ猪木酒場新宿店がJR新宿駅南口1分の好立地に移転ダーッ! プロレス-格闘技 カクトウログ
飲んでいたお客さんは誰も気づいていなかったと思うが、黒い服で寄り添っていたのが田鶴子夫人。特にアクションはなかったが、この日は猪木登場タイムの全ての喋りを猪木本人がやっていて、世話役なしでこなせる猪木の元気ぶり・トークの器用さを感じ、一方で「夫人と二人三脚で何でも回しているのかな」という印象がしたものだ。
東スポで普通にコメントしているサイモン氏だが、実際には田鶴子夫人サイドと対立もした。本人に対する関係者の思いは様々なのかもしれないが、特に終盤の人生でスーパースター猪木を支え切ったと言っていいでしょう。
どうか天国でやすらかに。ご冥福をお祈りします。