ダイナマイト・キッドの太く短い人生! 初代虎のライバル、33歳で実質引退、20年に及ぶ車椅子生活で闘病も60歳で天国へ
ダイナマイト・キッドが60歳で天国へ。12月5日は爆弾小僧の誕生日でもあり命日ともなった。死因は不明。
2013年のデイビーボーイ・スミスJr.のツイート写真より。
・ ダイナマイト・キッドさん死去 初代タイガー「悲しみに暮れています」(東スポWeb) – Yahoo!ニュース
“爆弾小僧”の異名を取ったレジェンドプロレスラーのダイナマイト・キッドさん(本名トーマス・ビリントン)が5日、死去したことが分かった。60歳だった。
1958年12月5日、英国・ランカシャー州ゴルボーンの出身で、13歳の時からレスリングを始め、75年にテッド・ベットレーにスカウトされてプロ入りした。
78年にカナダのカルガリー地区に転戦し、軽量級のスターとして売り出された。86年4月の「レッスルマニアII」ではWWF世界タッグ王座を獲得している。
日本では79年に国際プロレスに初来日し、81年4月の新日本プロレス・蔵前国技館大会では初代タイガーマスク(61)のデビュー戦の相手を務めた。
スピード感あふれるファイトスタイルで、初代タイガーや藤波辰爾(64)のライバルとして活躍し、84年には全日本プロレスに移籍。91年12月に体力の限界を理由に引退を表明したが、93年に日本と英国で同時にカムバックを果たした。だが、近年は体調悪化のため施設で過ごしていた。
初代タイガーマスク(佐山聡)の話「現状は知っていたので覚悟はしていましたが、私にとって偉大なライバルであるトニーが亡くなって悲しみに暮れています。今はただ、安らかに眠っていただきたいです」
・ 藤波辰爾「自分を持っていてブレない人」ダイナマイト・キッドさんの死を悼む(東スポWeb) – Yahoo!ニュース
キッドさんとの出会いは1970年代後半のカナダ・カルガリー遠征だった。初めて対戦した時のことを「体が細かったけど、自分の体が小さいことにコンプレックスがあったのか、破壊力は抜群でしたよ。これまでにいない選手で、ビックリしました」と振り返る。
その後、新日本プロレスマットに参戦したキッドさんとは好敵手として日本全国で対戦。ジュニア戦線を盛り上げた。「ジュニアの一時代を築いた選手でした。リングを下りても、自分を持っていてブレない人だった。控室でも他の外国人選手とはつるまず、いつも一人でいた」
・ ダイナマイト・キッドさん死去 藤波辰爾も絶句「さみしいですね」(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース
この日、デイリースポーツの電話取材に応じた藤波は知らせを聞くと、「えっ…」としばらく絶句。「3年ほど前にイギリスへ行ったとき会おうと思ったけど、だいぶ体が悪かったみたいで、アポが取れなかった」との出来事があったことを明かした。
キッドさんとは70年末頃にカナダのカルガリーで初対戦し、日本でも保持していたWWFジュニアヘビー級王座をかけて争うなど激闘を繰り広げた。「初対戦が一番記憶に残っている。彼の闘争心はすごくて、小さな体だけどヘビー級でも通用する馬力があった。日本にも何度も来たけど、それぐらいファンが多かったということでしょう。さみしいですね」と、しみじみ振り返った。
2013年には脳卒中で倒れた。この時点で車椅子生活15年だというから、亡くなるまで実に20年は車椅子だったと思われる。
・ 2013.11.25 ダイナマイト・キッドが脳卒中で倒れたとWWE公式サイトが伝える~肉体酷使と薬物乱用、15年の車イス生活 プロレス-格闘技 カクトウログ
2016年には介護施設での闘病が日本のテレビでも伝えられた。
・ 2016.10.06 なんと現在のダイナマイト・キッドが登場! NHKBSプレミアム「アナザーストーリーズ」タイガーマスク特集で感涙サプライズ プロレス-格闘技 カクトウログ
肉体酷使と薬物乱用は有名。なにせ、いったん引退したのは33歳。文字通りの「太く短い人生」。小さな身体を大きくしながら、スピーディーでパワフルなプロレスを繰り広げる。藤波辰爾や初代タイガーマスクに立ちはだかり、相手をスターへと押し上げた。
豪快過ぎるダイビング・ヘッドバット。金曜夜8時の昭和プロレスに熱狂したかつてのファンなら、目頭を熱くせずにはいられない。日本Jr.ヘビー級の立役者である爆弾小僧よ、永遠なれ! 合掌。
※12/6 8:25追加記事
レスラーズのメッセージはこちらにまとめました。
・ ダイナマイト・キッド訃報にレスラーズもメッセージ 天山広吉のダイビング・ヘッドバットはキッドへの憧れから プロレス・格闘技の情報配信|カクトウログ ブログ