テリー・ファンクが天国へ 兄ドリーとのザ・ファンクスとしても活躍
日本時間・24日朝、日本のプロレスオールドファンは悲しみに包まれた。「テキサス・ブロンコ」とも称されたテリー・ファンクが79歳で亡くなった。世界中から追悼の声が出ている。
WWE is saddened to learn that WWE Hall of Famer Terry Funk has passed away at the age of 79.
WWE extends its condolences to Funk’s family, friends and fans. pic.twitter.com/1elQq5ZkDn
— WWE (@WWE) August 23, 2023
In My Entire Life, I’ve Never Met A Guy Who Worked Harder. Terry Funk Was A Great Wrestler, Entertainer, Unbelievably Fearless, And A Great Friend! Rest In Peace My Friend Terry Funk Knowing That No One Will Ever Replace You In The World Of Professional Wrestling! 🙏🏻🙏🏻🙏🏻 pic.twitter.com/EYMAKOzxnx
— Ric Flair® (@RicFlairNatrBoy) August 23, 2023
父であるドリー・ファンク・シニアもプロレスラーであり、テリーは兄ドリー・ファンク・ジュニアとともに英才教育を施される。アメリカンフットボール選手を経て1965年にデビュー。1970年に日本プロレスに参加し、1971年にはドリーとのザ・ファンクスでBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)を破りインターナショナル・タッグ王座を獲得している。全日本プロレスには1972年の旗上げシリーズから参戦し、看板外国人レスラー兼ブッカーとして手腕を振るった。
タッグの実績としても1977年、1979年、1982年と複数回にわたって世界最強タッグ決定リーグ戦を制している。1983年・蔵前国技館で引退はしたが、その後に復活して複数団体のリングに上がった。
天龍源一郎引退興行(2015年11月15日・両国国技館)ではスタン・ハンセン(左)とともに駆けつけて、天龍を送り出した。
昨年に亡くなった猪木と同世代で、ともに79歳で旅立ったことになる。最近は認知症での闘病が伝えられていた。
アブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争でザ・ファンクスは大ブームとなり、テーマ曲「スピニングトーホールド」の旋律、スピニングトーホールドやパンチを駆使して全身全霊で立ち向かっていく姿はファンを虜にした。外国人レスラーの代表的存在で、テリーこそマイアイドルというファンも多い。ご冥福をお祈りします。