藤田和之が半生を激語り!! 胸を打った前田日明と高田延彦の言葉とは
青木泰寛さんが聞き役を務める『独占インタビュー~運命のドロップキック』が第50回目を迎え、ゲストとして藤田和之が登場した。17日、こちらのイベント分に足を運んできました。
◆プロレスラーなんて別世界! なれるとは思ってなかった
トークは実に滑らかだった。半生の振り返りからスタートする。
日本大学在学中にレスリングで全日本学生選手権を4連覇。1993年に大学を卒業し、新日本プロレス職員(「闘魂クラブ」所属)として挑戦したアトランタオリンピック予選は敗退してしまう。それがプロレス入りのきっかけとなった。当初はプロレスは考えておらず、「就職しなきゃ」といろいろ動こうとした。レスリング関係者に「ちょっと難しいなぁ」といくつかの進路を止められるような状況もあり、プロレスラーへの道ができていったんだという。
「プロレスラーなんて別世界。なれるとは思ってなかったですね。プロレス好きなオヤジの影響でテレビは見てましたし、ウォリアーズの記事とか見たりはしてました」
デビュー(1996年11月1日に永田裕志戦でデビュー)を述懐する。
「デビュー前がすごく嫌で。人前でパンツ一丁でしょ。何で入ったんだろって思ってね。デビュー戦は無我夢中で覚えてませんけど」
プロレスラーとして順風ではなかった藤田。
「当時は(蝶野正洋や武藤敬司の)nWoが全盛で。これ(パフォーマンスや軍団抗争)できねぇな、オレ。向いてなかったかなぁ・・・」
そんなときに、デビューを世話してくれた馳浩と会話する。
馳「お前、3年して芽が出なかったら仕事変えろよ」
これが後押しとなってほぼ“3年”で総合格闘技に転向を決意した。
そんな藤田にプロレス新弟子時代のイメージがないファンも多いかもしれない。
「先輩の洗濯物をコインランドリーでまわして、一人分ずつビニール袋に入れて、ドアノブに吊るして回って・・・夜中の3時、4時ですよ。朝に巡業バスが出るから起きて・・・。苦しかったですけど、先輩とのやりとりは楽しかったですね」
蝶野入場シーンでのセコンド業務でのエピソードも。
「蝶野さん、『カモーン!』と言って手を上げながら、逆の手でよくオレのキンタマを掴んでくるんですよ。映像で確認してください(笑)」
◆リングスに入るはずがPRIDEへ・・・前田に殴られることも覚悟
デビューしたてのときに前田日明率いるリングスから話が来ていたこともあり、藤田はリングス入りを進める。契約1か月前に挨拶回りをすると、アントニオ猪木(別プロモーションであるPRIDEと懇意)から声をかけられたという。
猪木「お前、オレを敵に回す気か!? フフフ、冗談だよ」
そんな猪木は藤田との時間をホテルオークラのハイランダーで設ける。PRIDEプロデューサーの百瀬博教氏が偶然を装って「よう、アントン!」と登場。話がトントンと進む流れとなり、猪木から「もっと大きい舞台でやるのはどうだ」との声かけ。これに藤田は逆らえなかった。(2000年1月30日の『PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦』でハンス・ナイマンに一本勝ち、総合格闘技デビュー)
リングスを断るために前田と面会。前田にはシガーバーを指定され、そこで藤田は挨拶。すると・・・。
前田「わかった。お前、頑張れよっ!」
藤田が振り返る。
「2~3発殴られるのかなと思ったのに、前田さんには(胸を)撃ち抜かれましたよ」
新日本プロレスサイドの反応は?
藤波辰爾「立場としては止めたい。個人としては行かせたい」どっちつかずの藤波らしさ。
長州力「お前行くらしいな。どうせ猪木さんに使われるだけだろ」
この長州に藤田は「長州さん、ここにいても使われるの一緒じゃないですか」。こういう距離感なのだという。
PRIDEでの高田延彦とのエピソードも思い出して披露してくれた。
「高田さんは律義な人で、ミルコ・クロコップ戦の前に『会いたい』と。『オレがミルコとやっても大丈夫かな。藤田の方がリベンジしたいと思うだろうけど、そこにオレが入っていい? 試合していい? 藤田の気持ちが聞きたい』って。『どうぞ』と言いましたけど」
なお藤田は、2001年4月9日、新日本プロレスでスコット・ノートンを破って第29代IWGPヘビー級王者に。6月6日の日本武道館・永田裕志戦は年間ベストバウトを獲得している。PRIDEと新日本を股にかけての活動となった。
◆全ての窓口はフロリダ!? 「オレはカシンさんの“遊び道具”」
藤田のここのところのプロレス参戦だが、窓口はあの男。
「いろんなとこ出てるの、全部(ケンドー・)カシンさん経由なんです。窓口は(WWEコーチを務めている)フロリダというわけで。『オレ、できます?』って聞いても『いや、できる』『立ってるだけでいい』ずっとそんなやりとりで」
会場ではオフレコで、カシンのここだけの話も。さりとて、オフレコ以外の話も十分面白い。
「カシンさんをトリプルHが大絶賛してたそうで。イマイチな選手にカシンさんがアドバイスしたらすごくよくなって『ファンタスティック!!』だって。オレにも昔から『こんな技を使ったらどう?』ってアドバイスしてくれてましたね」
「今でもフロリダから電話がかかってきて、(アドバイス含めて)いろいろ言われます。Yahoo!記事のコメント欄にあるオレへの悪口をわざわざメールで送ってくるんです。なんでも『ホモビ(ホモビデオ)に出ていただきたい』というのがハマったらしく、ことあるごとに言われます。どんどん悪口は書いてください。楽しいですから」
「カシンさんの話がいっぱい!? オレはカシンさんの“遊び道具”ですよ」
3・8横浜文化体育館大会ではGHCヘビー級王座に挑戦する。
「オレひとことも言ってないのに・・・。リングを降りてバックステージに下がったら、リングから“藤田”“横浜”なんとかと聞こえる。(それで決まってしまったけれど)まぁ、GHC、ありがたいことです。もちろんベルトには興味があります」
故郷である新日本プロレスの現在をどう思っているのか?
「すごいよくつくりこんでる。クオリティ上がってるし、絶対に真似できない。オレがいたときも(闘魂三銃士世代中心に)すごいし、引けを取らずどんどん進化していますよ。ノアに出てオレが対抗? いやいやオレは劣等生ですから」
「団体による違い? いろいろ(団体に)上がってますけど、基本は一緒ですね」
ファンからの質問の一つ。選手育成は考えているのかと聞かれ、子どもの話題に。
「子ども(小学生)が格闘技始めたんで。レスリングと柔術やってる。楽しいって思えるくらいがちょうどいいんじゃないかと思ってやらせてます。子どもには自分の仕事は言ってなかったんだけど、今はYouTubeとかでわかっちゃうんだよね。『泥船』とか『沈める』とか、そんな言葉、絶対言っちゃダメ(笑)。試合後に喋ろうとしたときに中嶋(勝彦)にマイクで遮られて、頭にきて殴りに行ったことがあったんだけど、これも子どもが楽しそうに見てた。『人が話しているときに横から口出したらこうなるよ』と教育してます」
以上がトークの一部だが、どうだっただろう? 「野獣」というキャッチコピーからは程遠いトークの数々。藤田は本当に人のこと、団体のことを悪く言わない。「劣等生」との言葉もあったが、これまでのプロレスラー人生としての経緯も踏まえ、実に謙虚に構えている。ボクらファンとの距離感だとこうなるのだろうが、これもまた本当の藤田なんだろうなと受け止めた。
かつてのプロレス界であれ、現在のプロレス界であれ、けっして上から目線では接しない。リスペクトしつつ、自身の役割を探していく。報道上での言葉とは裏腹に、そういった姿勢はにじみ出ていくものだ。昨年末以降のフジタコール発生ってこういうところからではないのかなぁ。
「猪木イズム最後の継承者」と称され、プロレスと総合格闘技を往来した経歴の持ち主。強さの象徴としてノアで存在感を発揮している藤田。だけれども、他を悪く言わないことこそが“人としての強さ”ではなかろうか。
トークイベントのシリーズは『運命のドロップキック』だが、藤田による言葉のドロップキックは確かにボクらの胸を突き刺した。手垢のついたプロレス言葉がないことが、こんなに心地いいなんて。どこまで伝えられたかわからないが、この記事は全プロレスファンに読んでほしい。きっとみんな藤田のことが好きになるはずだ。