超多忙2017年のアントニオ猪木 外国人レスラーが目を丸くした猪木酒場
2017年6月から2022年7月までの5年間にアントニオ猪木マネージャーを務めた甘井もとゆき氏がツイッター(@motoyukiamai)で猪木関連秘話を公開している。ファン注目の話題に切り込んでおり、追悼の気持ちを込めつつ複数回にわたって「闘魂同行記」としてご紹介していく(引用による記事作成は甘井氏にもご許可いただいております)。
その前段として、ツイッターでは非公開の内容を“寄稿”していただいた。いま甘井氏により明かされる、2017年に猪木酒場新宿店を訪れたアントニオ猪木。当時現場にいたカクトウログ管理人による写真も再録する。
会長はファイトスタイル同様、アドリブの達人です
2017年、猪木会長は精力的にお仕事をこなされていました。政務の合間を縫ってお仕事のスケジュールを入れて行く際、雑誌や新聞社のインタビューはインタビューで固めて、営業の仕事はできるだけ同じに日なるように調整していました。インタビューも出来る日には3~4社のスケジュールを入れますので、夕方頃には会長はちょっとお疲れでしたが、インタビュアーを前にすると、キリっとして「元気ですかー!」と逆に相手を驚かせていました。こうしたインタビューが重なる場合は、記者が部屋に入られる前に、私が、媒体名、発売日、聞かれる内容、を直前に猪木会長に説明しました。超多忙な猪木会長には直前でないと駄目です。インタビューでも一日3、4本が当たり前なので、予め言うとこんがらがって取り違える可能性があるからです。
比較的、同じ部屋で行うインタビューは、時間的にも段取り的にも楽でした。大変なのはイベント営業日で、当然こちらも一日に2~3本の仕事が入ります。猪木会長と田鶴子さんが運転手付きの専用車で移動(こちらにスタイリストやヘアメイクが同乗する場合もあります)。私はお二人が着かれる1時間前には会場に入り、導線とトイレの場所を確認します。この頃から会長は足が弱って来ましたので、特にトイレは洋式で、立つ時の手すりが必須でした。状況を携帯で移動中の田鶴子さんに報告し、駐車場にスタンバイし、会長車の到着を待ちます。控室まで先導し、控室に入られたら、ヘアメイク、スタイリストさんたちが準備をしている合間を縫って、会長にイベントの概要と流れ、やる事を説明します。
会長はファイトスタイル同様、アドリブの達人ですから、主に私が行っておりました事前打合せでも、決まった台詞がある場合を除いては、ほぼほぼ会長の自由にやって頂けるようにお願いして来ました。しっかりした台本でしっかりした進行を求められるような仕事では猪木会長の素晴らしさが充分に伝わらないと思っていました。それは田鶴子さんも同じ考えでした。
段取りを説明する時間は取れず、会長が入ると同時にイベントスタート
イベントの締めはお馴染みの「1、2、3、ダーッ!」これを皆一丸となってやり、猪木ボンバイエが流れ、満場の猪木コールの中、颯爽と退場するのがいつものイベント出演のパターンでした。終われば猪木会長は控室に寄る事は無く、そのまま会長車に乗って会場を後にします。上着を脱いだりするのは主に車内でした。ですからイベンターから事前にサインや写真等をお願いされるときは、必ず出番前にお願いします、とよく言って来ました。それぐらいスケジュールはびっしりでした。会長車が次の現場に向かっても、私は会場に残り、主催者、関係者に挨拶し、イベントギャラの振込日の確認などを行います。次の現場では別の人間が段取りしており、私は最初の現場を出ると、次の次の現場に段取りのため向かいます。そんな日常でした。
2017年11月3日、アントニオ猪木酒場新宿南口店のオープンイベント(旧店舗から移転)がありました。
[猪木像に迎えられ、ゴング鳴らされアナウンスとともに入店。このスタイルは旧店舗を受け継ぐ]
[チアの制服、闘魂タオルをまとった闘魂ガールズがオーダーをとってくれる]
この日は、前に日大芸術学部のイベントが入っておりました。日大芸術学部は田鶴子さんの母校であり、気心の知れた先生も多い事から、この第一現場は田鶴子さんにお任せし、第二現場のアントニオ猪木酒場新宿南口店に先に向かいました。驚いたのは、移転前のアントニオ猪木酒場新宿店よりかなり店舗が狭くなっている事でした。前の店舗だと個室を控室に使え、イベントスペースも広く、色々とやり易かったのですが、今回は会場入りしたらすぐにお客さんに囲まれるような感じでした。個室も店舗の一番奥にひとつしかありませんでした。困ったなぁ、と思い、田鶴子さんと話すと、そうしたら会長車を店の前に付けて、会長がエレベーターで店に入ってからがスタートね。猪木ボンバイエをその時から流せるように段取りをお願い。と指示を受けました。当初の予定では会長が入場し、ちょっと皆さんを盛り上げ、個室に入って店舗関係者と打合せをし、イベントをこなす感じでした。しかし、前のイベントが押してちょっと到着が遅れてギリギリとなり、会長に段取りを説明する時間は取れず、会長が猪木酒場新宿南口店に入ると同時にイベントスタートとなりました。
[『元気があれば何でも飲める』と書かれたジョッキ]
よく「俺は何も聞いていないんですよ」といって笑いを取る事の多かった会長ですが、この時ばかりは本当に「何も聞いていない」状況でイベントに突入してしまいました。それ程、猪木会長を待っていたファンの熱気は凄かったです。自由にやる方が活きる会長の個性ですが、この日ばかりは自由過ぎて大変でしたね。でも徐々に会長流の流れが出来て皆さん楽しんでもらえたかと思います。出番が終了し、会長は個室に入りました。この時、皆さんは個室で会長も食事を取られて居たかとお思いでしょうが、個室では、猪木酒場の全メニューが用意され、それを会長が食べているであろうポーズのスチール写真撮りが行われていました。勿論プロモーションの為で、多忙な会長の一分一秒を惜しんでタイトなスケジュールが組まれていました。
[炎のファイターに乗って猪木降臨。「いつオープン? 今日なの? 何も聞いてないんだよ」と確かに言っていた]
[1、2、3、ダーッ!で締め。ファンにとっては至福の時間だった]
外国人選手「イノキは伝説のロックスターたちと同格だ!」
[闘魂伝承とばかりに志願したコンドウ店長に強烈なビンタ一発。左下に甘井氏の姿]
[田鶴子夫人(黒のドレス)が同行して猪木を支える]
この時に控室にイラストレーターの坂井永年先生が訪ねて来られました。撮影中でしたが会長はフランクに坂井先生を前の席に座らせ、撮影が終わった料理の数々を、食って、食って、と勧めておりました。坂井先生が会長にサインをお願いすると、私が一度断りましたが、会長は、いいよいいよ、俺だっていつまで書けるか分かんねぇんだから、とサインをしてくださいました。これはちょっとした作戦でもあったんです。私が会長の前でファンのサインを断った時には、猪木会長は必ず、いいよいいよと、サインをしてくださいました。昔、猪木事務所にも、坂井永年先生の描かれたプロレスオールスター戦のポスターが貼っていました。猪木会長とジャイアント馬場さんの直筆サインが入っていました。当時の猪木会長のマネージャーだった伊藤章生さんに聞いたら、このお二人のサインの入ったポスターは、世界に2枚しか無くて、1枚はここに、もう1枚はこのイラストの作者が持ってるんですよ、と説明してくれました。その後、猪木事務所依は泥棒が入って、件のポスターは盗まれましたので、BI砲のサインの入ったオールスター戦のポスターは坂井先生の所持する1枚のみになりました。
[控室での様子。ポーズのスチール写真撮りが行われていたことが明かされた]
[引き揚げる際には、猪木自らまわりのテーブルのお客さんに握手! これにはみんな大興奮、歓喜]
また、猪木酒場は外国人選手に特に人気がありました。アントニオ猪木一人のバリューによって成立しているその店舗を、外国人選手たちは「ハードロックカフェみたいだな!」と目を丸くしておりました。彼らは「イノキは伝説のロックスターたちと同格だ!」と捉えて、会長に対するリスペクトは更に高まって行ったと思います。
[猪木の顔が目印となるゲート。コロナ影響により2020年7月31日をもって閉店]