山本雅俊著【実録】ジャパン女子プロレス 貴重写真、特別対談、選手名鑑
ジャパン女子プロレスでリングアナウンサーを務めていたヤマモこと山本雅俊さんが沈黙を破る。同団体の貴重な顛末記『【実録】ジャパン女子プロレス』が12月27日に発刊される。
(山本さんは会場でもカクトウログにお声がけくださる、いつも気づかいを欠かさないおやさしい方です。大作発表おめでとうございます。)
[【実録】 ジャパン女子プロレス 単行本(ソフトカバー) – 2024/12/27 山本 雅俊 (著)]
神取忍、キューティー鈴木、尾崎魔弓…。
令和の時代に昭和プロレスの忘れ物、ジャパン女子プロレスの本がついに出た!
その誕生から崩壊まで現場で奮闘した男ヤマモが、32年の時を経て魂の執筆。
メジャー全女に対抗した第二の女子団体の真実とは!?
これは読む価値がある!
ロッシー小川(MARIGOLD代表)
1986年8月17日、東京・後楽園ホールでひとつの女子プロレス団体が産声を上げた。ジャパン女子プロレス――メジャー団体である全日本女子プロレスの対抗団体として立ち上げられた第二の女子プロレス団体である。
ジャパン女子は「女子プロレス版宝塚」などのコンセプトをもとに、秋元康氏のプロデュースや大手芸能プロであるボンド企画の協力などを得て、旗揚げ前から一大キャンペーンを展開。後楽園ホールで行われた旗揚げ戦は、アントニオ猪木が来場するなど、破格の盛り上がりを見せたが……、ある意味、そこがジャパン女子のピークだった。
旗揚げ第二戦以降、目に見えて苦戦する集客。
地方での興行が次々にキャンセルされ、資金繰りが悪化。
社長が次々に代わるという異常事態。
やがて選手・スタッフへの給料は遅れがちになり、やがて出なくなる。
しかし、そんな過酷な状況にあっても、選手・スタッフたちは決してうつむくことなく、理想のプロレスを目指して走り続けていた。
いまや伝説になった豪華旗揚げ戦の舞台裏、地方興行で知った現実、ジャッキー佐藤vs神取しのぶ戦の内幕、〝過激な仕掛人〟乗っ取り騒動、そして団体崩壊の経緯……。
ジャパン女子プロレスのリングアナウンサーとして、すべての試合を見届けたヤマモこと山本雅俊が、三十余年の沈黙を破り、ジャパン女子プロレスの顛末記を執筆!
貴重写真の多数掲載、尾崎魔弓&キューティー鈴木、高橋英樹(スタッフ、後にFMWで営業部長)との特別対談、さらには選手名鑑も収録! 本書を読めば、ジャパン女子の熱い戦い、懐かしい光景がよみがえる。女子プロレスファン必見の一冊!
[著者略歴] 山本雅俊1956年2月19日、徳島県出身。1986年、ジャパン女子プロレスにリングアナウンサーとして入団。同団体解散後の1992 年1月、代表取締役としてJWPを創業する。JWPでは両国国技館大会開催、WOWOWでの試合中継実現などの業績を上げる。2001年1月、JWP退社後は自身の原点に返り、フリーリングアナウンサーとしてプロレスのみならず格闘技業界でも活躍。イベント・プロデュース、執筆業など多彩な顔も併せ持つ。愛称は「ヤマモ」、尊敬する人物は山本小鉄。