BUSHI「我々は今をね、楽しく生きるがテーマ」 いざトランキーロス始動
5月4日の福岡大会を最後の出場として、新日本プロレスから退団したBUSHI。内藤哲也と行動をともにすることとなり(内藤も同じタイミングで退団)、フリーのユニット「ロス・トランキーロス・デ・ハポン(LTJ)」として再始動していく。水道橋デポーマートで写真集発売イベントを開催したBUSHIに話を聞いた。
(7月6日、カクトウログによる独自取材)
「いろんなことを1からやり始めるのってこんなにも大変なんだな」
聞きたいことがたくさんあった反面、BUSHI選手の次の予定までの時間もない中でご対応いただいた。それぞれへのツッコミが浅いものにはなった点は読者に申し訳ないけれども、端的な言い回しがトランキーロスへの希望を感じさせ、ふり返りが内藤との絶対的な絆を感じさせている。
なお、この日は遠征組含む早い時間からの待機列ができ、11:30開始予定だったイベントは1時間前倒し10:30スタート。炎天下にいるファンには熱中症対策で水がスタッフから配られる。BUSHIからの配慮があった。本人と会話、ツーショット撮影ができる貴重なひとときは、ファンからの満足したSNS報告につながっている。
カクトウログ いよいよ今月となります。イギリス大会が近づきましたが、ようやくという感じでしょうか。
※7月25日(日本時間26日)にイギリスのレボリューションプロレスリング(RPW)に出場。

BUSHI いくつかの選択肢のある中で、いろんなオファーをもらったんですけど、アメリカ関係がちょっとビザがなかなか降りなかった。
カクトウログ そのようですね。
BUSHI トランプ政権の(笑)。いろんなところを保留した中で、現状ね、行けるタイミングが合ったものとしてロンドンが決まったので。RPW、ロンドンは何度も行ってますね。
カクトウログ この期間、新日本を辞められて、他の団体と交渉したり、ビザの交渉もそうですけど、ユニット名や入場曲の話とか、いままでにない体験をしたところもあったんですか。
BUSHI あ、そうっすね。なんかいろんなことを1からやり始めるのってこんなにも大変なんだなっていうね。トークショーもしかり、新しいチーム名だったり、入場曲だったり。権利的なものはしょうがないので、しっかりとした対応をしていくのは大切でもあって。
カク 新日本の退団では、内藤選手が退団した直後に、ならばと一度契約していたものを撤回して自身も退団になられた。そう報道されています。
BUSHI はい、事実です。3回目か何回目かの交渉のときに、もういよいよっていう決断を決めたときに、内藤からGOサインが出て、事務所に突入して。
カク ほう(笑)。
BUSHI 内藤が辞めるなら僕も辞めるということで、決断をしました。
カク 契約が決裂したところで、内藤さんから『じゃあいま入っていいよ』みたいな。
BUSHI はい。
カク 1回は契約したとのことなんですが、そのときには内藤さんが継続すると思って契約してたということでしたか。
BUSHI そうそう、そうそう。『多分するよ』っていうアレで、僕は。1回、保留はしてたんですよ。全員保留してて、二巡目の、僕は先頭の方だったんで、内藤に『どうすんの』って聞いて『たぶんすると思うよ』って言うから。
カク 今年の活動も内藤選手と組むことが前提だったと。
BUSHI それはそうですね。
内藤哲也との関係はどこから? 「アニマル浜口ジムで出会う前に出会って」

カク 意外とBUSHI選手と内藤選手の関係というのはWikipediaとかでも書かれていなくて。
※2007年に別リングネームで全日本プロレスにてデビュー。2012年、全日本から新日本にレンタル移籍。2013年、新日本に完全移籍。
※2014年12月、アクシデントで怪我を負う。
※2015年11月21日、後楽園ホール大会にて、BUSHIがセコンドについて内藤&EVILをアシスト、勝利に導く。BUSHI「俺は内藤についていくことにした」。翌22日豊橋大会にて、内藤、EVILとともに「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を発足させる。
BUSHI ああそうですか。いろんな媒体では言ってて。
カク 2012年の際の“レンタル移籍”前の関係というのは。
BUSHI もう(全日本入門前の)アニマル浜口ジム、そこで出会って…そこで出会う前に出会って。入るに至るときの、僕の先輩が内藤と友達だったんで。『だったらアニマル浜口ジムに通っているやつがいるから、ローソンに行ってみたら?』って話からローソンに行って。『僕もアニマル浜口ジムに入りたいです』『じゃあこんど一緒に行こう』って。そっからですね。
カク ローソン。
BUSHI 内藤が(当時のアルバイトとして)働いているローソン。いろんなところで言ってる、わりとポピュラーな話です。
カク なるほど。
BUSHI 興味がなければ知らないような(笑)。
カク これがですね、意外とそんなに書かれてはいない。
BUSHI 出会って20年以上経ってるしね。(プロレス界に入って以降でも)メキシコ時代を毎日のように過ごしたかなっていうとこもあって。
カク 新日本にくるよりも前。
BUSHI そうそう。
カク なるほど、なるほど。その数年前ぐらいですかね、2010年にCMLLに遠征されてるので。
BUSHI そうそう。
カク 2015年に「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を一緒に発足させます。
BUSHI 僕が怪我で欠場していて復帰するタイミングで、ちょうど「ロス・インゴベルナブレス」を内藤がやり始めていて、まだそのときは名乗ってもなかったんで、そこから一緒に組むようになったんですよ。
カク 分岐点となったところで声をかけられたところもある。
BUSHI いやいや、声を僕がかけた。自分にとってのラストチャンスだと思ったんで。これがダメだったら(プロレスラー人生を)諦めようと思ってたんで。
「やっぱいろんなところに行ってみたい。いままでできなかったことも」

カク そうだったんですね。今回のロス・トランキーロス・デ・ハポンにつながっているわけですが、当面はフリーであるものの、どこかの団体に所属する将来の可能性もあるのでしょうか。
BUSHI いや、どうでしょうね。現状まだ何も見えてないんでわかんないですけど。まあいままでがね、新日本のぎっしりとしたね、年間150試合、シリーズでやってたんで。
カク はい。
BUSHI 自由にね、やるプランの方が楽しいなっていうところもあって、いまやってますけどね。
カク 団体所属するしないに関わらず、こういうことやっていきたいなみたいなことは内藤さんと話したりもされますか。
BUSHI とりあえずね、現状、いまを楽しむことが大切。
カク 楽しみつづけていくと何か見えてくるかもしれない。
BUSHI そうですね。やっぱいろんなところに行ってみたいじゃないですか。いままでできなかったことも(やってみたい)。
カク なるほど。
BUSHI だから、自分たちでやったことのない、この間のトークショー(6月に東京・有明で開催)だったり。今回のデポマートのイベントだったり。いままで簡単にはできなかったんで。毎回楽しいですよね。トークもね、自分たちで“(退団してから)初めての公の場”っていうのをつくったんで。トークショーやってくれっていうオファーはあったんですけど、最初にやるなら自分たちでやりたかったから。
カク なるほどなるほど。
BUSHI 断ってましたからね。
カク いよいよロス・トランキーロス・デ・ハポンが始まります。
BUSHI いましかないものを見てほしいですよね。もちろん日本で早く試合してくれっていう要望もありますけど、われわれはいまをね、楽しく生きるがテーマなんで。どこに出るかはまだわからないけど、いろいろ出たいなっていう気持ちがあるんですね。
カク よくわかりました。現時点で日本で見れるかどうか、日本に配信される流れになっていくかは焦らずに?
BUSHI そうですね(笑)。
水道橋デポマートの大川昇カメラマンともショットに収まる。

NOSAWA論外から「よかったらBUSHIの面倒を見てやって(マスクを取り扱って)もらえませんか?」と言われるなど、大川カメラマンは新日本に来る前からのBUSHIとの関係性がある。2014年にBUSHIが怪我を負った際には、大川カメラマンは「怪我からの復帰は最大のチャンス」とアドバイス。のちの内藤との「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」結成につながっている。
















