佐山聡「懐かしいね」前田とエピソード全開 UWF40周年【週刊前田日明】
前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」連載第220回をエントリーします。
※不定期連載となっています。
秋葉原・書泉ブックタワーにおける展示イベント「UWF40周年記念“無限大記念日”」が12日に閉幕となった。最終日には『UWF40周年記念"無限大記念日"直筆サイン入り額装写真お渡し会&3ショット撮影』が行われ、スーパー・タイガー(佐山聡)と前田日明が登場した。司会は流智美さん。
UWF(ユニバーサル、旧UWF、第1次UWF)は1984年3月に設立されたプロレス団体。2024年で40周年を迎えたところだった。なお、展示イベント実現は、複数ベンダーを第三者としてとりまとめた謙吾(現在の前田のマネージャー。元パンクラス)が牽引したところが大きいという。
イギリス遠征で“リー兄弟”に…前田「死亡遊戯の黄色いスーツ着せられて」佐山「(俺から)引き継いだね」
UWFでは佐山と前田の間に不穏試合があり、佐山の離脱につながる。この際の団体における考え方の相違を起点とする因縁が長きにファンに語られたが、のちに両者は和解した。
Wikipediaによると、前田のプロレス入りの経緯。
【1977年、新日本プロレスへ入門。入門の経緯については、前田本人が「田中正悟(当時の前田が師事)が夜中に公園で空手の練習をしていたところ佐山聡と出会い、その流れで佐山と1週間ほど共に練習をしていたところ、佐山から新間寿に話が行った」と語っている】
トークはここの確認から始まった。

佐山聡 (新日本プロレスのフロントである)新間(寿)さんから「でかいのがいるなら連れてこい」という話にはなっていた。
前田日明 その練習が終わって1週間くらい経った後に、田中正悟が突然、「これから社会勉強のために、日本のトップのいろんな人と会って勉強した方がいい。新間寿さんという、モハメド・アリとアントニオ猪木の試合を実現させた人、社会勉強で会いに行かなきゃ」って言われて。何にも考えずに「わかりました」って行こうとしたら、「会う前にその頭をスポーツ刈りにしよう」と。そのころ佐山さんと練習終わって頭伸びててパーマかけたばっかりだったんで。当時、パーマかけるのに5,000円。5,000円かけて翌日スポーツ刈りに行って(会場笑い)、ちょっと経済的に痛いなあと思って。「ちょっとお前、空手やっててその頭はちょっとダメだから。スポーツ業界からしたら、そういう礼儀正しく、その頭は無作法だからダメだ」と。泣く泣くスポーツ刈りにして、当時、(大阪の)中之島にある、今、リーガロイヤルホテルと言われてるんですけど、当時ロイヤルホテル。ロイヤルホテルで新間さんと会ったんですけど。会いに行ったはいいんだけど、まさか自分がプロレスに入るって話になっているとは夢にも思ってなくて。新間さんの部屋に通されて、会いに行っただけなのに「ビーフステーキ食べながら話をしましょう」って言われて。「おまかせします」って言ったら1ポンドくらいあるのが出てきて。紆余曲折あって東京でプロレスに入ることになって、佐山さんくらいしか知ってる人いないからなと思ってて。
佐山 そんな展開になっているとは思わなかった。目白ジムにキックボクシングに行ってヒイヒイ言ってて。
司会 格闘技大戦争っていう興行(1977年11月14日に行われた梶原一騎主催の格闘技イベント)があって、巣鴨の目白ジムに毎日行ってる頃だから、前田さんが入られた昭和52年の7月に、あんまり佐山さんは上野毛(新日本プロレス野毛道場の通称)にはいらっしゃらなかったんですよね。
前田 どこかに合宿に行って8月に入ってからしばらくして中頃くらいに合宿から帰ってきて「ああまだ頑張ってんだ」って声をかけていただいて「なんとかやってます」。目白ジムの藤原敏男さんなんて自分ら空手やってる人からすれば神様みたいな人ですから。もう好奇心満載で「どんな練習するんですか」って聞いたんですよ。そしたら佐山さんが「いや~まいったよ。ウォーミングアップって言って、海岸でウサギ跳び5キロやらされるんだよ」って。
佐山 覚えてますよ。走るのも20キロくらい朝に。ホテル帰ってきたら足の運動1500回。桁が違いました。
前田 毎日なんかニンニク焼いて食べてましたね。
佐山 食べてました。毎日、体力なかったんで。
前田 それで(減量しなければいけないので)ご飯ぜんぜん食わないんですよ。ぜんぜん食わないのに走りに行くんですよね。「どこまで走りに行くんですか」って言ったら「とりあえず渋谷くらいまで行ってみる」って。(道場から10キロ離れた)渋谷に行くんだけど食ってないもんだからガス欠で、タクシーに乗って(会場笑い)。
司会 突っ込まれてますよ佐山さん。
佐山 その通りで(会場笑い)。
司会 格闘技大戦争のあと佐山さんは年内を休養されて、翌年の1月の新春シリーズでカンバックするんですけども、3か月いたあとにメキシコに行ってしまったから、あんまりお2人のその遭遇ってそんなにないんですよね。
前田 そうですよね。佐山さんの試合を見たの、本当に数試合ですよ。
司会 佐山さんもイギリスとメキシコで3年、そして戻ってきて久しぶりにお会いして、当然タイガーマスクっておわかりに。
前田 もちろんもちろん。あのとき帰ってきて部屋がないんで、自分の部屋に一緒に泊まったんですよ。タイガーマスクとしての試合をやって、そのときに「いやあ俺みたいなちっちゃい人間に、会社は何を考えてるんだろうなと思ったけど、こんなチャンスくれて、本当に新間さんには感謝してるよ」って。
佐山 懐かしいね。
前田 そのころイギリス遠征で一緒になって。
司会 『弟』になって(佐山の弟が前田という設定)。
前田 佐山さんがお世話になったウェイン・ブリッジを紹介してくれて。
佐山 いい人だよね。
前田 本当にいい人で。
司会 前田さんがクイック・キック・リー、弟で。
前田 佐山さんがサミー・リーで。俺ら兄弟はブルース・リーが発明したジークンドーを世界に広めるために、プロレスから世界を回っていると。
司会 いいフレコミですね。
前田 俺は行ったらいきなり死亡遊戯の黄色いスーツ着せられて(会場笑い)。なぜか竹刀を持たされて。
佐山 引き継いだね。俺もそうだった。黄色い。
Satoru Sayama as “Sammy Lee” in World of Sport. (1980-81) 🐯🇬🇧🇯🇵
pic.twitter.com/30jxcNpDVe— Vintage Puroresu プロレス (@vintagepuro) January 14, 2024
司会 佐山さんは黄色いスーツはリング上ではお脱ぎになった?
佐山 (前田に)リング上でもやってたの?
前田 いや脱ぎましたけどね。着たまんまやってくれと言われたけど脱いでやりました。
司会 “兄弟”のあとまたUWF前に、半年くらいまた日本で一緒だったんですよね。
前田 そうですね。ええ。
司会 割とこう入れ違いの感じでしたね。調べてみるとタッグを組んでるのも2、3試合あるんですよ。
前田 ありました?
司会 ありました。6人タッグ、(グラン)浜田さんとタイガーマスクと前田みたいな、トリオでね。そのあとこうなってくる(第一次UWFにつながる)わけで、ひじょうに端折りようがない(トーク時間に限りがあるため巻きが入る)。
前田 そのUWFにつながる話があって、ユニバーサルプロレスに入団、二子玉川に住んでたんですよね。それで二子玉川でよく立ち読みしてたんですよね。そしたら佐山さんに会って「前田なにやってんだ。そんなユニバーサルプロレスなんてダメだろう。俺たちとシュートやろう」って誘われたんですね。
佐山 よく覚えてるね(笑)。
前田 確かにもうユニバーサルは鳴かず飛ばずで。地方とか行っても客入りが1割か2割で。これいつまでやっていけるかなっていう感じでしたよね。
ここで山崎一夫が呼び込まれ、“ふさふさの髪”を装着して登場する。

山崎「40年前にタイムスリップで。忘れられないのが、あの酔っ払いの親父がですね、佐山さんの入場のときに耳を引っ張ったんですよ。ヤバイと思って思わずそのオジサンを〇って、それがテレビ中継で、控室で坂口(征二)さんに「なにやってんだ、テレビに映っとるやないか」。しょぼんとして藤原(喜明)さんの前に行ったら「バカだなお前は(テレビに映る手じゃなく)足でいけ」って。そこからキックの練習を始めたんですよ」とオチをつける。大拍手。

現在の年齢は、佐山が68歳、前田が66歳(1月24日に67歳)。イギリスでの“兄弟”ストーリーが話題となったが、新日本プロレス時代のやりとりからも兄弟のような間柄を感じられた。こうしたふり返りのイベントに2人が笑顔で揃い、当時のファンが再集結する。
いや壁の特大写真もまじって、もっと大きな再集結にも感じた。

トーク終了後はファン一人ひとりとの「直筆サイン入り額装写真お渡し会&3ショット撮影」へ。再現モデルは司会・流智美さん(実際は正面から撮影)。参加者にとっては一生モノのショットになったに違いない。

3ショット撮影会のあと、前田から差し出した手を佐山が握り返す。


胸が熱くなるシーンがつづいたイベントとなる。UWFは2人の反目の着火点ともなったが、アプローチは違うところがありつつも両者のプロレス・格闘技界への姿勢がジャンルをつくったのだ。





















