大谷晋二郎「あと2回は闘わないと」小島聡への勝ち越し誓う 闘道館トーク
ともにリングを駆け抜けた盟友同士が、幾多の日々を振り返った。熱いリングを追い続けてきたファンも闘道館に集い、幾度も立ち上がってきた2人の秘話に耳を傾ける——。
3日、巣鴨の闘道館で『大谷晋二郎「ひたすら前進!」トークライブ』が開催された。ゲストには新日本プロレスの小島聡が登場。当時を知る週刊ゴング元編集長の金沢克彦さんが、大谷からの指名を受けて進行役を務めた。本稿では、その一端を抜粋してお届けする。言葉の奥に宿る思いを、ぜひ受け取っていただきたい。
そして、もうひとつ触れておきたいことがある。現在の大谷をサポートしているのはノアだ。ノアを統括する武田有弘取締役は、送迎バンに乗り込む大谷を見送り、会場の様子はノア事業部の花澤勇佑さんがカメラに収めていた。拳王がかつて「新日本プロレスの天下り先じゃねえ」と口にしたこともあるが、元新日本勢との接点は選手起用にとどまらない。プロレスに携わる者として、いまできることにノアは取り組んでいる。その姿勢が垣間見えた一日でもあった。
大谷「4人(小島・天山・中西・金本)の一角に入りたいって思ってたんですよ」
リハビリのため欠場中の大谷だが、会場に足を運ぶ機会が増えつつある。元気な姿はファンにパワーをもたらしているが、この日はトーク披露、そして2ショット会も行われる貴重な機会となった。

大谷 僕は特に、いまだにプロレスファンなんで。(会場の本部席など)目の前で見たらワクワクしますからね。
金沢 さいきんグッと来たのは?
大谷 この間の両国、ノアの大会で、情熱MAX(征矢学&飯野雄貴)という2人の選手。ずっと声援を送ってましたね。怪我する前に(自身も所属)ホットジャパンっていう、各団体の熱い選手が集まっていて。そんな匂いと、闘志・気合いを感じて。
金沢 ゲストは誰がいいかって言ったら、(大谷妹の)葉月さんがね『おコジ様しかない』ということで、小島聡選手、来てくれることになりました(小島が入場となる)。いつぶりですか?


大谷 会ってますよね。
小島 YouTubeでも撮影しましたし、お見舞いだったりとか、数か月に1回は会えてます。すごくなかよしです。若手のときからです。大谷選手が入門したのが1992年なんですけども、私が91年。1年先輩なんですけども(年齢は小島が2つ上)。もうそこからずっとお互いに道場に住んで、そこでもなかよかったし、巡業中もよく遊びにとか行ったりしましたし。
金沢 アニマル浜口道場では。
小島 アニマル浜口さんのところでは入れ違いなんですけども、プロレス界に入ってからずっとなかよしです。
話はヤングライオン時代にさかのぼる。お互いをどう思っていたのか。
金沢 大谷選手ってすごい抜擢を受けていたじゃないですか。
小島 そうなんですよ、大活躍してましたね。もうずっーと焼き餅を焼いてました。焼き餅の対象でしかなかったです。
金沢 デビューして1年経たずしてTOP OF THE SUPER Jr.出場(1993年。大会名は1994年より『BEST OF THE SUPER Jr.』呼称)。
小島 そうなんですよ。ものすごい活躍してて、しかもいい試合をいっぱいしてたんですね。ライガーさんとすごい試合して、その翌週の雑誌の巻頭カラーにバーッと出てたんですね。『わあ、すげえ』と思いながら、もう焼き餅の対象でしかなかったです。ルックスもね、ブルースリーみたいだった、当時ね。カラダがバキバキの筋肉で。スワンダイブっていうのを最初に流行らせた人だと思うんですよ。当時の日本のプロレス界になかったんですよ。焼き餅は焼いてるんですけども、でもなかよかったんですよ。
大谷 僕は僕で、若手のときに思っていたのは、小島さん・山本(天山広吉)さん・西村(西村修)さん・金本(金本浩二)さんの4人がタッグで、もうすごい試合をするんですよ。それを馳(馳浩)さんらが誉めたり。雑誌でも若獅子四天王みたいな。この4人の一角に入りたいって思ってたんですよ。山本さんも小島さんもヤングライオン杯に優勝して海外に行くじゃないですか。海外遠征も憧れだったし、結果だけだったらヤングライオン杯もスーパージュニアもJカップも、何も優勝してないんですよ。何回も出てるんですけど。僕から見たらうらやましかったです。
小島「あの時代は(先輩は)みんな厳しかった。健介さんばかりが言われるんですけど」
一方で、7~8人いた小島の同期が全員辞めてしまうなど、練習は過酷なものだった。
金沢 きょうね、控室で話してたんですよ。みんな健介(佐々木健介)を悪者にし過ぎだって。
小島 ほんとにね、そう思います。
金沢 もう噂ばっかね。
小島 健介さんの噂ばっかりいっぱい広がっちゃって。

大谷 僕は嫌ですね。あのときは新聞、週刊誌、月刊誌、いっぱいあったんですよ。厳しい世界だってわかってて入って。厳しくて怖かったけど、どこかで『これだこれだ』と思って毎日を過ごしてたんで。驚きはなかったです、怖かった、厳しかったけど。
小島 あの時代は、みんな厳しかったんですよ。健介さんばかりが言われるんですけど。
金沢 水も飲んじゃいけないとか。

小島 水を飲んじゃいけないとか、窓を閉め切るとか。40度くらいの道場室内でやってて。本当にダメなときは『すみません、おトイレだけちょっといいですか』って言って、流すときに手を洗う水が出てくるじゃないですか。それを飲むんですよ。もう汚いとかわかってるんですけど、その水さえおいしい水で。手を洗うふりして水を一生懸命に口に入れて。追い込まれて、それをしないと死んじゃうって感覚だったんですよ。
大谷 道場めちゃくちゃ熱くなるんですよ。
小島 あの感覚はサウナと一緒です。
大谷 キャンバスがめちゃくちゃ熱くなるんですよ。
小島 受け身を取るだけで火傷しそうなくらいに。
エリート勢に負けてなるものか。大谷「自分は雑草の方だな。雑草の道を楽しもう」
アスリートとしての実績ある永田裕志、中西学、石澤常光とも新日本プロレスでは競い合った。
大谷 僕はプロレスファンのときから猪木(アントニオ猪木)さんが大好きで。馬場(ジャイアント馬場)さんと猪木さんならエリートと雑草だと。『自分は雑草の方だな。雑草の道を楽しもう』みたいな。(レスリングを)高校ではやってましたけど、全日本級の選手はぜんぜん違いましたね。3人もうめちゃくちゃ強いんですよ。歯が立たないんだけど、この3人とやっていったら自分は強くなれると思ってやっていました。
大谷と小島はお互いに焼き餅を焼くような関係だったが、レスリングエリート勢の存在からすれば“雑草”としての同志でもあった。

質問コーナーでは、橋本真也のイイ話のリクエストが出る。
小島 1回、新日本プロレスを辞められて、何年か後に1回、会ってるんですよ。『おう小島、ちょっと来いよ』って言われて『いまこれしか持ってないけどよ』って言って裸の2~3万円をポンってくれましたね。すごいあたたかい人だなと。ふつうそんなのできないじゃないですか。
2000年の「BEST OF THE SUPER Jr.」優勝決定戦で高岩竜一に敗れ、優勝を逃した大谷。目標を見失っていた6月30日、海老名大会(長州力が大仁田厚に「またぐなよ!」と一喝する事件と同日)、長州力との口論から解雇を通告される(大谷が「何が長州復帰だ!」と煽ると、本気に取った長州が「今すぐ帰れ!辞めろ!」)。一時は大谷が新日本退団を決意。しかし、獣神サンダー・ライガーや健介ら仲間の引き留めもあり、長州とも和解。この話は媒体でも出ているが、そこに橋本が絡んでいたことが初めて明かされる。
大谷 海老名大会で長州さんに「今すぐ帰れ!辞めろ!」と言われ「わかりました、帰ります」とやりとりがあったとき。誰かが橋本さん(「負けたら引退」マッチに敗れ引退状態時期)に連絡してくれたんですよ。そしたら電話で『会場を出ていいぞ。そのまま俺んちに来い。俺が責任もって新日本を辞めさせないようにするし。俺が全部まとめるから。きょう大変だったな』って。僕はそのまま巡業先にいたんで、長州さんはそのまま東京に帰る日だったんで(最終的に会場を途中で後にすることはなかったが)あのときは…すくわれましたよね。初めてですよ、小学校2年から好きだったプロレスを辞めることを考えるなんて。
金沢 過去の小島聡vs.大谷晋二郎、戦績をみなさん知ってますか。(ヤングライオン時代は抜いて)小島の2勝1敗1引き分け。
【大谷晋二郎ベストバウト#1】火祭り決勝 小島聡 VS 大谷晋二郎 2003.8.3後楽園ホール 映像提供 FIGHTING TVサムライ|大谷晋二郎 ひたすら前進チャンネル – YouTube
大谷 2勝1敗1引き分けですか。あと2回は闘わないと勝ち越せない。しないとですね(拍手)。
[グレート・ムタやパワー・ウォリアーのコスチュームやペイントを手がけ、プロレス界に大きく貢献。アニメ・実写を問わず制作で活躍する株式会社メディアクルー・ジャパン代表の和田卓也さんからマスク贈呈]






















