藤波辰爾「猪木さんがダブる」 フルタイムから38年後の闘魂と飛龍
特別イベントとしての「藤波辰爾席上揮毫イベント」が8日、都内のアートコンプレックスセンターにて開催された。藤波辰爾により「闘魂」の席上揮毫が行われ、猪木実弟・猪木啓介さんが認定式に参列した。
1988年8月8日に「アントニオ猪木vs.藤波辰巳」、令和8年8月8日に「猪木啓介vs.藤波辰爾」
8月6日(木)〜8月16日(日)に東京・アートコンプレックスセンターにて展開されている「COUNT2.9presents 人間・藤波辰爾展」。8日午後は特別メニューとなる。
1988年8月8日に「アントニオ猪木vs.藤波辰巳(60分フルタイム)」なら、令和8年8月8日に「猪木啓介vs.藤波辰爾」が実現だ。ここのところ指導をもらっていた書道の先生に同伴され、藤波は観客前で「闘魂」を書き上げる。啓介さんとのトーク中に乾かされ、イベントの合間に披露された。フルタイムから38年後、また違ったカタチで闘魂と飛龍が並んだ。



藤波が休憩時間に囲み取材に応じている。
藤波 猪木さんがどこまで許してくれるかどうかアレなんだけど、とにかく(トーク中にも)さっき言ったように書いてるときに猪木さんがダブるんですよ。猪木さんから怒鳴られて気弱になったところが『鬼』のところとか。本来、負けないぐらいボーンと書きたかったんですけどね。でもせいいっぱい(書いた)。
(初めての席上揮毫、どんなお気持ちで)
藤波 ちょうどこういう節目でプロレスの歴史であったりとか、猪木さんとのつながりとか、それをお客様がどういうふうに見てくれるかなって感じでね。あくまでも(レスラー人生の)途中過程であるんで、これから先をつづけていく中で、いい機会をもらったなって感じですね。
(厳粛なところがあった)
藤波 こういう経験ないんでね。練習するときでも白い和紙の中に筆を持って立つと、誰もいなくても緊張するんだけど、きょうこういうね、面前だとなおさらね。いい緊張感っていうか、いいものを味わった。猪木さんと60分闘う試合の前に、さあ控室でガウンをまとって、これから会場に猪木さんのいるリングに向かうっていう、なんか、そんな感じだったんですよね。
(あらためて8・8への思い)
藤波 そうですね、これはもう自分の中で忘れられない8・8ですからね。そういう部分と、自分がリングに上がりつづける限りっていうのが、それは自分の人生すべてが、猪木さんのいろんな部分を目標にして来たんでね。そういうものは変わらずリングに上がり続けるでしょうからね。
(チャリティとして熊本地震の被災者支援に寄付される)
藤波 これはもう自分がね、どれだけみなさんのお役に立てるかっていうのがね。常に日本全国ファンのみなさんに力をいただいてるから、一部でもわれわれが返すスベはないかなっていうのはね。たまたま今回こういう機会もらったんで。
(練習はどのくらいされたんですか)
藤波 日にちを分けて4回ぐらいかな。その前に30数年前『無我』を立ち上げたときに、先生は違うけど習ったときに、あの『無我』を書いたんでね。久しぶりに書いて、筆がぜんぜん違うんで(笑)、ちょっと緊張しますね、筆は。
(藤波さんにとって、それをやってる瞬間っていうのは)
藤波 いいですね。なんとも言えない緊張感と、言葉では言い表しにくいんだけど、そういう時間って大事だね。これからつづけてみようかなっていう気持ちになる。



【赤い台紙に貼られたものは猪木事務所に寄贈するためにイベント前に書いたもの。トーク中に掲出された。台紙なしのものが新たにこの日に書かれたものとなる】
(作品として残すのはどのくらいぶり)
藤波 残すのは今回初めて。さっきの(以前に書いていた)あれはもう自分のためのですからね。
(どの部分が一番難しかった)
藤波 全部が(笑)。プロレスと一緒でね、習字って、筆の運びって、この白い部分をどれだけ自分が意識せずに、その間(ま)がものすごい大事なんですよね。気持ちが入ってるとき、焦ったとき、早く終わろうとかするとき、それがそのまま出ますね。すべてが出る。
(画数とかを踏まえて書かれるんですか)
藤波 本来は『門』のバランス的な部分も、ちょっとシールは貼ってもらってたんだけど、まったくこれがないときっていうのは、どういうふうなバランスで書くかなっていう。猪木さんが書く闘魂って本来この『門』をうまく流して書いてますけど、しっかりと書こうとするとかえって難しいですね。
(この辺の飛び散ってる感じなんて、もう神がかってます)
藤波 これくらい大胆なものをもっと出したいんだけど、出ない。そんな勇気がない。
(つぎ書くとしたらどんな文字が。『長州力』とか)
藤波 いいねえ、『長州力』は書いてない。『荒鷲』は書きましたけどね。
藤波辰爾「彼は純粋な気持ちで押さえた」 西村修と『無我』を共同管理へ
なお、イベント内では称号『無我』が西村修との共同管理となることも発表された。西村の妻・恵さんが来場し、「2025年1月31日(翌月に亡くなる)に試合が本当は行われるはずだったんですけれども、緊急入院をしてしまい、体調不良で欠場となってしまいました。そのときに藤波さんが快く(代替で)試合に出ていただいたことによって、夫もとても励まされました」と感謝した。

(共同で『無我』を管理することになった)
藤波 プロレスに携わる『無我』。共同で管理します。
(共同名義に変えた)
藤波 そうです、これから一緒にやっていきましょうと。いろんなところで誰かが商標を押さえるとか、そういう思い(危機感)がいち早く彼(西村修)はあったんでしょうね。彼は純粋な気持ちで押さえてくれたんですよね。それが時間が経つとどっかに違和感が出てきちゃう。それが長年、僕の西村君の間でつづいたんだけど、今回そういうのは一切、彼がこうなったからっていうのではなくてね。
(無我と言う興行タイトルでもやれるかもしれない)
藤波 可能であれば、西村君の命日であったりとか、それを掲げた大会もありかなとかね。
(法的な話をすると、そもそも西村さんが商標登録的に無我を登録していた)
藤波 先にね。僕は関知しない方だから。自分が『無我』って掲げてのちのち『使えません』っていう可能性もあったかもしれないけど、彼がそういったカタチで押さえてくれたんでね。それについて遺恨を残すとか、どっちが最初に持ったものだったとか、そういう気持ちはないんでね。
















