佐藤光留「俺は1.8 回死んで来たんだ」本邦初公開トーク 変態巣鴨・前編
9月27日、巣鴨・闘道館に43人満員の観客が集まったトークイベント「鈴木健.txt対決シリーズSeason7 EXTRA『還ってこいよ!佐藤光留』」。5月から欠場が続く光留は、リハビリのかたわら自身のプロデュース興行を手がけるなど、立ち止まることなく活動をつづけている。
そんな光留を待っていたのは――「見たことあるヤツばっかりだな。なんなら深夜(9月25日・深夜興行)の新宿でも見たな」。満員の客席を見渡した光留が、いきなりそう言って笑わせる。発信型レスラーとして日頃から多くを語っている光留だけに、司会の鈴木健.txtさんから「えっ、これみんな知ってる話なの!?」と戸惑いの声が飛ぶ場面もあった。
ところが、3時間半に及んだ会は、そんな既視感を軽々と飛び越えていった。すでに発信された言葉の奥にある思い、断片的に語られていた出来事の全貌、そしてこの場だからこそじっくり明かされた話――。そんな「再発見」の連続だった。
試合ができない時間を、光留は言葉で埋めていた。そして会場はいつしか、本人と観客が同じ時間を共有するサロンになっていた。
すべてをそのまま再現するには、あまりにも濃密な3時間半(口外禁止も多数)。だからこそ、当日その場でしか味わえなかった空気を少しでも残すために、いくつかのテーマに絞って“再録”する。
プロレスは現場で起きている【当記事】
佐藤光留「俺は1.8 回死んできたんだ」本邦初公開トーク 変態巣鴨・前編
なぜ光留は復帰を目指すのか
佐藤光留「意味のある人生にすることができるなら」 変態巣鴨・中編
“替え”のいないレスラーになれ
佐藤光留「人はレスラーのコンプレックスに恋をする」 変態巣鴨・後編
「プロレスラーはみんな同じ形」首の骨が変形する黄色靱帯骨化症…国の難病に指定
トークイベントでは、プロレスラーは基本的に暑がりなのだが、寒がりの諏訪魔がいると控室の空調の温度差争いが起きるという話に。そこから入院中の空調、入院中の会話へとテーマが展開し、入院から退院までのディテールが明かされた。
病院っていうのは寒いです、意外と。5月25日から6月の22日までだったんで、比較的、外暑いじゃないですか。だからエアコン効いてて。5月の25日に入院して6月の20 日まで僕、外に一歩も出なかった。外気にさらされなかったんですよ、ずっと病院の中にいるから。コンビニも行かなかった。買ってきてもらってたぐらいだったんで。24時間室内温度がけっこう快適だったんですよ。6月の20日に病院の外周を歩く練習っていうので、やったときに『外って暑いっすね』と言ったら『当たり前ですよ』っていう顔されました。ギリギリ言われなかったですけど。(いまは至って普通に話せますね)ぜんぜん、いるときからずっと会話、話はしてた。入院中も先生が『こいつ話長えな』っていう顔してた。看護婦さんとかお医者さんにめちゃめちゃ喋るんですよ。
(どういう話題を)経過で言うと、もう去年(2025年)ぐらいからだいぶきつくなってたんです、体が。だんだんだんだん悪くなってきて、いよいよだなっていうのが今年の初めぐらいからだったんです。で、5月17日に安齊(勇馬)がチャンピオンカーニバルの最終戦で戻ってきて、8人タッグでジュニアが僕だけっていう地獄のような試合で。
[諏訪魔&関本大介&真霜拳號&佐藤光留vs.宮原健斗&安齊勇馬&本田竜輝&羆嵐]
安齊ギャルがいる中で安齊にやられるっていう。あの試合で、これもう公になってんですけど、真霜(拳號)さんが運んでくれたんです、試合後に。控室に帰って座らしてもらった瞬間にポンって座ったら、手が、感覚あるんですけど、まったく力入んなくなって。こうやって収縮してようとしてもアレッ?て。すごい首も背中もめちゃめちゃ痛くて。やばいやばいやばいやばいつって言ってたら『医務室行きましょう』って運んでくれたんです。試合は普通だったじゃないですか。一緒に試合した人とかも『佐藤がいねえな』と思って医務室行ったら手がこんなになってるんで…両手がなってるから『どうしたんすか』って。『控室で急に手が動かなくなって』って。みんな心配してくれたんですけど、15分ぐらいで戻ったんです。だんだん戻ってくる。キツくなったと思いつつ、次の日にMONDAY MAGICに出たらぜんぜん動かなくて。こりゃいかんと。で、1週間めちゃめちゃ治療して、5月23日にJTOの北上大会があったんです。
[ボンバータツヤ&たこぶつvs.佐藤光留&高橋幸光]
それで試合したら動けたんです。あ、これで大丈夫だと。まだまだ佐藤光留いけるぜと。それで25日に
[田中将斗vs.佐藤光留]
田中将斗と試合したらもう、試合中からどんどん体が動かなくなって。感覚はあるんですけど、いまみなさんグッと手を握れるじゃないですか。これが、握れば握るほど握れなくなってくる感覚っていう。何だこれ?と思って。でもタイトルマッチだしメインだし田中将斗だし。超必死にがんばったんです。で、なんとか勝って、うわ、よかったと思った瞬間に…映像も僕は怖くて見れないんですけど、正座して僕ベルト受け取ってるんですけど、正座するときにバランスが取れないんですよ。力が入らないから。そのまま横になって西永(秀一)さんに『ちょっと体動かないですね』って。マイク渡されてもマイクがもう持てないんですよ。やばいやばいってなって。で、トレーナーは前から知ってるから、僕の体悪いのが、もう試合始まったときから。これはなんかおかしいな。なんか起きてるなっていうのはわかってたらしいんですけど。で、すぐ運んでもらったら『こりゃいかんです』ってことで、ほんで運んでもらった、そのまま。そっからもうずっと入院となります。




(去年から調子が悪かったというのは具体的には)みなさんいま座って(少し高さのある壇上の)僕を見てるじゃないですか。僕、たぶんこの首の(上に上げる)角度、できない。僕いま首が一番上がるのここ(正面向き程度)だから。これが調子いいと、これぐらいまで上がる。調子悪いともっと動かない。三沢(光晴)さんが亡くなったときに、首の調子が悪かったってときに強制的に見ちゃった。それで頸椎が離断したということなんですよ。これも、悪い悪いって言っても、プロレス業界はみんな悪いんです。だから自分だけが異常じゃないから“普通”になっちゃうんですよ。だから刑務所みたいなもんですよ、みんな犯罪者だから。世間では『人殺しちまったぜ』ってなるけど、人殺しの中にいるんだから普通なんすよ。
だからもうぜんぜん自分が悪いなんて思わなかったですけど、日常生活もとにかくキツいです。まず上向けないし。僕はまだ左右に向けたんですけど、向くときにみなさん横向いても肩上がんないと思うんですけど、僕らは肩上げないと横向けないんで。これも人それぞれ体って歪んでくるじゃないですか。歪んだものを受け身取ったり力入れたり引っ張られたり近づけられたりしてると、歪んだところからもっとどんどん大きく歪んでくる。10歪んだのを8治して、また11歪めるっていうのを延々繰り返してるのがプロレスの仕事なんで。自分で言うことじゃないですけど、年間200試合超えてましたから。
(これ休まないといかんなとは思わなかったのか)ありました、ありました。だから本当に立てなくなったり、病院には入院しないけど寝たきりになったときは欠場しました、1回。だけど(2022年の)年末にハードヒットで望月親子vs.佐藤&川村みたいなカードがあって、椎葉おうじvs.鈴木みのるの試合があったから。これはちょっと自分が出ないと…そんときは『自分が出ないと』って思ってるから…コロナ中だったし。なんとかそれで復帰して。1月も1日、2日、3日と、ずっと全日本とかがあったんで。だから休んでもたぶん誰も何も言わないですけど、その強迫観念だけで生きてるのがプロレスラーなんで。これはもう、みんなそうだと思うんですよ。原田(大輔)選手、ノアの。引退されたときの同じ先生(長濱健人先生)に診てもらってるんですよ。
これ僕、めちゃめちゃ運がいいのが、ノアのMONDAY MAGICで倒れたから、ノアの主治医の先生のところに連れていってもらったんですけど、この先生が日本の大手、新日・ノア・DDT・スターダムと契約してる先生なんです。日本で一番、プロレスラーの首をMRIで見てる先生なんです。その先生から聞いたのは、もうプロレスラーはみんな同じ形になってるんだ、骨が。骨が変形して黄色靱帯骨化症っていう。
黄色靱帯骨化症(指定難病68)
おうしょくじんたいこっかしょう黄色靱帯骨化症とは脊髄(神経)の後ろにある黄色靱帯という靭帯が、骨化してだんだん大きくなってしまい神経を圧迫して、おもに足の麻痺を起こす病気です。足のしびれや、歩きにくさ、膀胱の働きが悪くなります。(難病情報センター)
国の難病に指定されてるやつ。保険おりない。原田選手は痛みはまだ出てなかったんです。だけどもう5年、10年前に同じ症状になってて。痛みが出ないからといって症状がいい悪いは関係なかったんです。けど、このまま原田選手、試合してたらもう絶対いつか何かのタイミングで…というので、もう強制引退なんですよね。だけど僕はもう痛みが出て動かなくなったから。だけど、戻ったから、めちゃめちゃ運がいいんですよ。もう死ぬほど運がいい。本当に試合中に動かなくなってジャンピングハイキックやったあとにコントロールが効かないからそのまま首から落ちてたら1回で死んでんですよ。で、そのあと脳梗塞もあった(入院中に小脳梗塞で倒れる)んで。あれもどっか電波の通じないところで釣りやっててそうなったら死んでるわけですから。『俺は1.8 回死んで来たんだ』って胸張って言ったら、その1.8っていうのが『また佐藤光留が何か言ってるな』みたいな感じになるんですよね。ぜんぜん響かなくて。そういうの(鈴木健txt.さんに記事で)カバーしてくださいよ!! ヨシタツは1回も死んでないのに2回死んだって言うからあんなになってるじゃないですか。
「手術せずに退院予定だった。それで退院する日の朝に小脳梗塞を起こすっていう…」
ノアの大会だったから、そこの病院に行って、で、初期治療みたいなやつがあるんですけど、もうめちゃめちゃよかった。それはもう、日本で一番首見てる先生なので。死ぬほどよかったです。とりあえず戻っては来たなっていう感じだったんですけど。でも、しばらくは自分で歩けなかったんですよ。(運ばれたその日に手術的なものは)してないです、点滴だけ。手術を絶対しようっていうことで、入院した日に手術の日取りも決まってた。だけど経過がよくて、これひじょうに難しい話なんですけど、頸椎の5番目と6番目がすごく変形してて、先生の言葉を借りると頸椎の1・2・3番は4LDK。4番が2LDK。5・6番は狭めのワンルームっていう。それぐらい、もうだんだん縮まっていってるわけです。ほんでその神経を圧迫して、いまここの右手の小指にだけ痺れがあるんですよ。エンターキー押せないんです。

狭くなったところを広げる手術をしましょう。そうすると楽になります。症状は収まりますっていう手術(の予定)だったんですね。けど、その前にリハビリで動けるようになってきたので。自立歩行もできるようになってたんで、先生に、ちょっと手術の前にパンクラスでずっとお世話になってる先生に診てもらって、そのリハビリを入れたいと。それでもダメだったらもう一回土下座してくるんでって言ったら、『普通の医者だったら止めるけど、俺はプロレスラーの味方だから。佐藤選手の言うことを優先するから』て言ってくれて。ほんで手術せずに退院予定だった。
それで退院する日の朝に小脳梗塞を起こすっていう。6月5日の朝に退院する予定だったんです。(レフェリーの)李日韓に送ってくれって頼んでおいた。会計用紙もそこにある状態で水を買ってきて『よしがんばるぞ』と座った瞬間に、地球が割れたかと思ったんです。バーッと傾き始めて、すっげえ気持ち悪いんですよ。でもまわりから叫び声とか聞こえないから『自分だけだ』と思って。立ちくらみのひどいやつだったら治るかなと思ったら治んないです。しょうがねえから目を閉じたら、目を閉じてももう世界が揺れるんですよ。ずっと僕こう半目だったんですよ、半目が一番なんとかなる状態と思ったら脂汗と冷や汗が勝手に出てきて垂れ始めるっていう。これ俺死んじゃうと思ってナースコールやって。『どうしましたか』て言われたから『ちょっと来てください』って来てもらったら『これはやばい』って言われて。すぐに寝かされて先生呼ばれて。一緒にシレッと来た会計の人も『これ持って帰ります』って。そっからまた再入院。点滴打ちながら李日韓に『ごめんごめん』って言って。
検査の結果、小脳梗塞ですと。カテーテル検査とかすげえ説明なの。科学特捜隊みたいなところにぶち込まれて。MRIを4回やって。全部見たけど、明らかに血管リスク、血液リスク、血中リスク全部ないけど、首の怪我の因果関係でずれたところに血が滞留しました、と。途中で再開通して、やる前・やった後。確かに枝が白くなってるんですよね。『うわ、こんなにわかりやすいですね』って。だから絶対に治ります。けど、治るまでひじょうに時間がかかります。その間のリハビリが、小脳って動きを司る脳だって言われるんですけど、いまは学習能力・記憶力にも影響が出てるっていう研究結果が出てるから。それで毎日、小学生のドリルやらされるんですよ。これに1問でも間違えたら恥だと思って、すげえスピードで僕、4枚同時にやったんです。そしたら『病院の記録です』って言われて。(闘道館で拍手されて)いや、拍手するとこじゃないんだよ。普通の話なんで。
(首の手術そのものは受けてない?)だから何もしてないっすね。リハビリでおじいちゃんおばあちゃんとかと一緒に平均台持って足上げたりとか曲げたりとか『力入りますか?』とか。そういうことやるんですけど。こんなん屁でもないじゃないですか、プロレスラーなんか。投げてるわけですから、われわれ。(それが)何にもできないですよ。力入んない。握力が、リハビリ室に行けるようになってから、それから測って。僕、50・50あったんですよ。右が30で左が22になった。家帰って鍋振れなかったんです、重くて。ビックリして、軽めのフライパンなのに。チャーハンべとべとになっちやって。
(手術を受けてないことで不安にはならないのか)なるんですけど、僕の特異なところが、小脳梗塞を併発してる。首の影響で起こった梗塞なんです。なので再発性はないんです。ただ小脳梗塞って治るのがめちゃめちゃゆっくりらしいんです。で、血圧を上げちゃいけない。呼吸を早めちゃいけない。だからつねに僕のいまできることは、深呼吸しかないんですよ。リハビリとかもしたいんですけど、力入れたりとか早く走ったりとか…ウォーキングもダメなんですよ。なんで、ただ生きるしかないんですよ。散歩も…横浜市ってもう坂すごいのよ。階段も、うち3階なんですけど、1階・2階の踊り場でスマホ見ますもん。1回麻雀で対戦してそれから呼吸整えて上がらないと3階まで登れないんですよ。
(プロレス会場に行くのも)ぜんぜんしんどいです。それも行けると思っていったらめちゃめちゃきつかったのが、格闘探偵団7・1新宿FACE。あのときに、その前にゴキゲンプロレスがあったんで、まるで3シリーズ出たような疲労感。阿部(史典)に『ちょっとごめん。格闘探偵団、行けると思うけど、当日の朝に言っていい? 決めるから』って言った。当日の朝に調子もよかったし、『行けるから』って連絡したら図らずもサプライズ入場になったんですよ。新宿FACEで大ヒカルコールで入った瞬間に、その圧に興奮してフラフラ来てて、格闘探偵団を見返すと挨拶のとき、リングに入るときつまずきかけてて、「ここで倒れまして」って言ってるときもめちゃめちゃ倒れかけてて。こりゃいかんと思ってたのがだんだんだんだんよくなって。自分の川崎で寝転がってても、まあとりあえず大丈夫になって。で、きのう深夜の興行をして夜遊び、夜更かししても、なんとか大丈夫だから。まあきょうも来て、ちょっと早めに着いたんです。ゲームセンターでジャグラーやったら当たっちゃって。ちょっと興奮しちゃうっていう。
日常生活でダラダラ暮らすぶんには問題ないです。(ランニングはできない)ぜんぜん…殺す気か。川崎球場で小走りになったときには死ぬかと思いました。かと言って歩いたら上から雷鳴ってるし。
脳梗塞になる人って生活習慣が悪いかお年寄りしかいないんで。45歳のプロレスラー、健康なプロレスラーが怪我でやるケースなんかほぼ初めてだって言われたんです。もちろん成績はよかったんですけど、もう試合はないし、金も病院にいる限り入院費以外は使わない。もう自分が勝負できるところはリハビリしかないんで。めちゃめちゃ気合い入れてましたね。間違い探しとかすげえ目で見てました。ドン・中矢・ニールセンのときの前田日明みたいな。その話をリハビリのお姉さんにしてもわかんない。でも早く終わってるから、リハビリの時間で決まってるから、早く帰っちゃいけないんですよ。だからいま見せますねって病院の中で『前田日明 ドン・中矢・ニールセン ゴンタ顔』で調べて。ほらほら似てませんか…っていうのを繰り返しました。
(首の手術していたら、もしかするとならなかったかもしれない)わかんないです。ただ、いま僕は根本を変える方を取ってるんです。小脳梗塞を併発したからっていうのもあるんですけど、もう一度体をつくり直して。復帰までどうしても時間かかるんで。いま何もしてないんじゃなくて、いままであったものを1回落としてる。これからリハビリできるようになったらつくり変えるっていう方向を取ってる。けど、お医者さんとしては痛みと原因のところを取り除く、それが例え体が弱くなろうともというのがお医者さんの考え方。それもちゃんと話してくれる、先生は。他の先生だったら僕のこうしたいという話を聞いてくれなかったかもしれないんですけど、ちゃんと聞いてくれる。そこは助かりましたね。
「思っちゃったんですよ。『明日連絡しよう。もう引退しますと。もう辞めます』と」

(それこそ強迫観念で年間何百試合もやってた人間が、これほど長くプロレスやってないわけじゃないですか。自分の中でこれをどう収めているのか)これはもう本邦初公開ですよ。真面目にこんなの聞かれることねえから。入院したときはまだコスチュームですよ。なんとかみんなで脱がしてもらって、練習着を着て、で、集中治療室ってあるんです。あれの“とりあえずきょうここ”みたいな部屋があるんですよ。病院の1階の受付の横みたいなところがあって。きょうはここで過ごして、明日部屋が決まってから移動になりますって言われて。『失礼します』って。もう遅いですよ、1時とか2時だから。パチって消されて、全部連絡して、『とりあえずいまこうです』って言って。
ハーって息をついたときに、なんか『あーもうやりきったな、俺』と思ったんですよ。こう言っちゃ何ですけど、試合(MONDAY MAGIC、田中将斗戦)がよかったんですよ。自分で納得いく試合ができた。で、もう動かないし、終わるんだったらここだよなっていうのが…思っちゃったんですよ。みんなには連絡とかしなかったんですけど、『明日連絡しよう。もう引退しますと。もう辞めます』と。で、次の仕事のことはまあ次考えようと。とりあえず引退セレモニーしたらTシャツで3か月ぐらい食えるぶんは売上あると思うんで。一回なんか止まっちゃったんですよ。
で、次の日いろいろ検査とかしてるときに、『もう一回やろう』みたいなのは口では言っても気持ちが帰ってこなかったんですよ。けど、途中でだんだん戻ってきて、力が入ってきて、動いてきたからシャドーで軽くやってみたらぜんぜん動かないですよ。だんだんイライラ来て、本当に人が怪我したときだけニュースたくさん出るじゃないですか。めちゃめちゃイライラしてた。ほんで『このヤロー』と思ってるうちに『いけるな。もう一回やろう』と思って。
脳梗塞になってから、血圧を日に4回とか5回とか測るんです。常に一定なんです。1回だけ僕のバイタルが朝、崩れたのが。『ちょっと血圧高いですね。きのう何かありました?』って聞かれて『すいません、遅くまで三冠戦見てました』と。宮原健斗vs.鈴木秀樹見て、興奮してたんですよね。その1回だけ僕、血圧がちょっと高くて。カルテに書かれて、看護婦が昼夜で入れ替わるじゃないですか。『佐藤さん、プロレス見て興奮したんですか』って。
よくSNSで、(マリーゴールドの)山岡聖怜が怪我したときに猪木信者とかが『練習してねえからだって昔の小鉄だったら言うぞ』と。でも、練習してるから怪我するんです。怪我しないようにする練習で体が変形していってる。物事だけ見たら『骨がこうなってるから悪いね』だけなんですけど、プロレスってそんなに簡単な感情じゃないんです。“もう終わるかも”と思いながら見るプロレス(このタイミングでの宮原vs.鈴木)って面白いっていうのもあり。自分がいなくても平気で進むプロレス界の無常さもあり。





















