UWF三派分裂、髙田との不仲はどこまで語られているのか【週刊前田日明】
前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」連載第219回をエントリーします。
※不定期連載となっています。
テレビ東京でのバラエティー番組『有吉ぃぃeeeee!』3日放送分にて、49歳の誕生日を迎えたタカアンドトシのトシさんが前田日明に取材した際のVTRが流れた。複数媒体のコタツ記事ともなったが、何が語られたのか。
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祝49歳!トシが独占取材【前田日明(秘)事件簿】衝撃ウラ話を見守る与田祐希&ピコパーク
テレ東
8月3日(日)放送分
配信終了まで1週間以上#前田日明 #有吉ぃぃeeeee— KAKUTOLOG📶プロレス/ボクシング/MMA/格闘技カクトウログ (@kakutolog) August 3, 2025
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裏切り!?前田と高田とUWF(1991年1月)
【裏切り!?前田と髙田とUWF】
※第2次UWF、1990年12月に行われた松本運動公園体育館大会で選手が団結した一方、会社は全選手を解雇。新団体設立への選手によるミーティングが1991年1月7日に行われた。
トシさん「前田さん家に集まって、みんなの決意を聞くと。それ事前に山崎(一夫)さんと髙田(延彦)さんには」
前田「先に呼んだんですよね。そういう話(団体継続について話し合い)するから、あと頼むよって。『わかりました』って」
トシさん「そのあとそうなった(ミーティングでは意見が食い違い解散という話になった)ときに、何も髙田さんと山崎さんからは」
前田「髙田が俺に言ってきたのは『(そのあとに選手たちの意志を聞いても)どうやっても説得できません』と。そのあと船木(誠勝)とHERO’Sやったとき(2004年)に、再会したときに、いろいろ話をしたんですよ、家で。『あのとき結局何があったの?』って。『いや前田さん、あの翌日も髙田と宮戸から(新団体を)一緒にやらないかって言われました』って。(ミーティングの)翌日って聞いてびっくりしたんですよね。
だからね、なんかもう頭の中クエスチョンマークだらけだったんですよね、それ聞いたときはね。『前田さん、どうするんですかね』とかって船木が聞いたらしいんですね、髙田に。髙田いわく『やめんじゃない?』って一言、一言言っただけなんですよ髙田が。そのセリフもね、船木から聞いたときびっくりしましたね。あいつそんなこと思ってたんだと。ちょっとガッカリしましたよね。今頃になって『そんなことがあったの?』っていう話がいまだにあるんですよね」
トシさん「ああそうですか」
前田「(髙田が率いた)Uインターがどっから金を集めたんだろうっていうのがずっと引っかかってたんですけど、つい最近なんか自分の行きつけの#$%&’がいるんですけど、そいつの知り合いから引っ張ったんですよね。(誰が引っ張って来た?)髙田とかが(知り合いで?)そうです。だからなんかもう…最初から動いてたんじゃんってね。そういう感じですね」
トシさん「もうないですかね(UWF選手勢が)交わることは」
前田「何がわからないのが世の中なんで、全面的に否定するつもりはないですけど、今のところは何も変わらないですね」
有吉弘行さん「何回もいろんな方面から、方向からの話を聞くけど、そのときそのときでちょっと話が違ってくるんだよね」
テロップで「※あくまで前田さん視点のお話です。」
トシさん「その人の立場になると見え方がまた違いますからね」
番組の最後にテロップで「※あくまで前田さん視点のお話です」と入るなど、絶対的な真実とされることにはストップがかけられていた。ただ、エンディングで茶化されたトシさんが「すごく大事なVTRだこれ」と声を荒げ、前田への強い思いを露わにしていた。
なお同番組では2024年8月にも「前田さんの愛弟子って誰になる?」との問いに前田が「直で言うと新弟子の時からすごい目を配って『育てたな』って感じは髙田(高田延彦、新日本時代は高田伸彦)っスよね、本当は。もうしょうがないっスよね…」との言い回しで答えている。
この6月に髙田が「懐かしいねー!前田さんの練習パートナーで参加したフロリダ州タンパのゴッチキャンプ、、、20歳の終わりあたりか?」とインスタグラムで前田の名を出して少しファンがザワついた。とはいえ、今回の受けごたえからは髙田との変わらぬ距離を感じさせた。
既存証言でUWF三派分裂はどこまで語られているのか
2年前の前田・船木対談では、船木は「髙田さんが『前田さんがいなきゃ無理だよ』って言ったんですね、(前田が解散宣言したミーティング後の)エレベーターで」と語っている。同日、安生の家に(前高山と藤原を除く)若手が全員集まり、宮戸が『みんなでやりましょうよ』。船木も『残った人間だけでもやりましょうよ。1回やれば多分前田さんも帰って来る』とのスタンスだった。そこから1週間以内にミスター空中経由で藤原喜明が船木・鈴木みのるを呼び出す。船木から状況を聞いた藤原(メガネスーパーと話がついていた)は「全員呼んで来い」としたが、船木から伝えられた宮戸は「それは無理です」とした。この流れで藤原組(藤原、船木、鈴木)ができ、以降に宮戸が高田を連れてきてできたのがUWFインターと船木は説明していた。
※この対談での話の方を正とすると、前田が『有吉ぃぃeeeee!』で明かした船木発言『あの翌日も高田と宮戸から(新団体を)一緒にやらないかって言われました』、高田発言とされた『やめんじゃない?』とは矛盾が生じる。
2年前の前田・藤原対談では、藤原が「仲間内で別れたりとかそういうの大嫌いだから好きにやってくれよ」とのスタンスで前田家ミーティングは欠席していたことにあらためて触れている。その藤原にメガネスーパーの田中八郎社長から電話が入り船木・鈴木を確保できれば面倒を見ることを示唆されるが「俺はそんなに器用じゃない」と3日ほど放置、そうすると自宅前に早朝、車が止まっていて船木・鈴木が乗っていた。家に入れると「何とかしてください」と言われ、田中社長の話を思い出し、藤原は田中社長に電話。田中社長から「すぐに事務所決めろ」となり3日後くらいに藤原組会見となったとしている。
3年前の船木の独白では、若手だけの新団体構想があったところに、藤原からの提案があり船木もメガネスーパーの安心感に乗ろうとしたが、安生・宮戸は「上の人がいると自由にできないのではないか」と別々の道になったくだりが伝えられている。冨宅祐輔(現・飛駈)は藤原組、田村潔司・垣原賢人はUインター(前後して高田・山崎の合流も有力視された)を以降に選んだ。
2021年5月16日の東スポ記事における船木の証言は下記の通り。
【THE FACT~船木が見た事件の裏側(5)】1990年12月にUWFを解雇された全選手は自然と前田さんの家に集まりました。前田さんは「WOWOWが付いてるし、横浜に新しい道場も用意した。とりあえず俺が代表じゃないけど決めていくからな」と。それに1月分の全選手の給料を前田さんが自腹で払ってくれました。
事務方は前田さんの知り合いの芸能関係の方に任せたいというんです。渋谷でその人たちと会ったんですが「この人たちで大丈夫なのかな」と、ちょっと不安になりました。で、そのあと、前田さんの家に突然招集がかかったんです。前田さんはこう話しました。
「これからやっていくにあたって、俺を信じてくれなきゃ困る。全部俺が連れてきた人だし、俺のことを信じてやってくれないと、すごくやりづらい。ひとりでも信じないなら、俺はやらない」
鈴木(みのる)がすぐに「自分は信じます」と言いました。ところが宮戸(優光)さんが「無理やり上から言われて〝はい、やります〟とは言えません」って言っちゃったんですよ。さらに安生(洋二)さんまで「自分も同じ意見です」と続いたんです。
前田さんは「さっき言ったばかりだろ。ひとりでも信じてくれないならやっていけないんだよ」って言いましたが、2人とも引きません。で、前田さんはひと言、こう言いました。「わかった。じゃ、解散」--。
そしたら、みんな本当に帰っていくんです。鈴木が前田さんに食い下がりましたが、前田さんは「いや、できない」。鈴木は「そんな…ないスよ」と泣いちゃいました。
自分と高田(延彦)さんと山崎(一夫)さんと冨宅(飛駈)、垣原(賢人)、田村(潔司)が残ってたんで「前田さん、これだけでやりませんか」と訴えても、返事は同じ。帰りのエレベーターでは高田さんに「俺たちだけでやりませんか。一回やったら、たぶん前田さん、来てくれますよ」と言ったんですが、高田さんは「前田さんがやらないっていうんだから無理だよ」と…。
鈴木が心配だったんで家に行ったら、案の定、泣いてました。でも、かつ丼を食ってましたけどね(笑い)。安生さんは宮戸さんといるということで行くと「前田さんは話にならない。このメンバーでやりましょう」(宮戸)。結局、前田、高田、山崎、藤原(喜明)以外の若手全員が安生さんの家に集まって、新団体をつくろうなったんです。前田さんも高田さんもやらないっていうし、これしかないのかなと思いましたね。
それで会議をしていたら、ミスター空中(レフェリー)さんから電話がかかってきました。「船木と鈴木、藤原(喜明)さんが呼んでるから明日来い」と。行ってこれまでの経緯を説明すると、藤原さんは「わかった。集まってる若手、全員連れてこい」。メガネスーパーの社長が資金を出すというんですよ。
いい話なんで持って帰ったんですが、宮戸さんが反対しました。「藤原さんがいると絶対好きなことできない。こっちでみんなでやれば新しいことができる」と言ってましたね。でも、事務仕事を宮戸さんの芸能関係の先輩にやってもらうことになっていて、今ひとつ信用しきれなかったので藤原さんのところに行きました。それが藤原組です。宮戸さんは看板選手が必要なんで高田さんに接近。それでできたのがUWFインターナショナルです。
そしたら今度は前田さんが動き出しまして。もう一回やり直したいと、選手の家を一軒一軒訪ね歩いてるというんです。でも、誰とも会えてないと…。前田さんは1週間ぐらい頭冷やしたら、みんな来るだろうと思ってたそうです。逆にその1週間は激動で、前田さんが待ってる間に大きく様変わりしていたんですよね。それで前田さんは独りでリングスをつくったんです。
ケンカ別れしても、時がたてば笑顔で会ったりするんですが、このUだけは会えないです。ホント、生々しい別れ方をしてるんで無理ですね。
【今回の事件】1991年1月、前年12月にUWFを解雇された選手たちは前田を中心に新団体を設立するべく話を進めていたが、宮戸、安生が前田に反発したことでご破算に。高田をエースにしたUWFインターナショナル、藤原と船木、鈴木が中心の藤原組が発足し、前田は独りきりでリングスを設立。解散から2か月ほどでUWFは3つに分かれた。




















